「──まぁこれは関係ない話なんですけど、南北に続く第八バイパスから私の地元へと枝分かれする国道ヨンマルヨン号線。白線の消えかかった国道をずっと下ったところにある小さな住宅街。分譲住宅に挟まれて堂々と鎮座しているんですよ、アレ。2階建て住宅と肩を並べるぐらいの巨大なオムライスが。私がそれを初めてみたのは確かネオ・ナゴヤ行きの列車、白菜畑越しの車窓からだった気がします。私もう、そのオムライスを初めて見た時は視線がオムライスに吸い込まれたと思った次の瞬間、全ての音も、匂いも、もう何もかもが遠のいて、それはもうオムr...」
「なるほど。今日は少し強めのお薬をお出ししておきますね。」
*
俺がおかしくなったのは明らかにアイツ、”白シャツの男”が頭に入り込んでからだ。頭に入り込んだって言っても本当に頭に入り込んだんじゃなくて、アイツはむしろ最初から俺の頭の中にいたような気がする。アイツが俺の夢に初めて出てきた時、俺は行きつけのファミレスに夢の中でもいて、その時はドリンクバーの順番待ちをしているシーンだった。アイツは俺の目の前で、右上から律儀に全てのボタンを押し進めて灰色のスペシャルドリンクを作っていた。オイオイ、既にヤバそうな色をしているドリンクに最後の仕上げとしてメロンソーダ→烏龍茶のコンボを足し終えたアイツは、振り返って満足げな顔で俺に言う。
「聞いたことあるか? ”ドッペル”ってやつ。何が面白いかってさ、自分のドッペルに会うと、自分もドッペルも、消えて無くなってしまうらしいんだよ。......え?ドッペルって何かって?そうか、それが分かんないと何も面白くないよな。ドッペルってのは、”自分と瓜二つの存在”のことだってさ。まったく馬鹿げた話だ。見た目が瓜二つの奴が存在するなんて、万が一にもある訳無いのに。」
やれやれ、呆れた。白シャツで大人っぽいからってあまり俺のことを馬鹿にするなよ。俺はあの指定国立大学法人の1つである名門、名門大学(Myoto University)の学生だ。なお噂によると悪いことに、指定国立大学法人という枠組みで満悦しているのは名大(Myodai)の人だけらしい。まぁ、話を戻そう。無論、俺はドッペルを知ってるし「ドッペルってなんですか?」という質問をした覚えは1ミリもない。しかも、それを言うならドッペルじゃなくてドッペルゲンガーだ。ドッペルだけだとただの"2倍の"って意味だ。俺は訂正したい欲を抑えながらも、なおかつ俺がちょっとでも博識であるエッセンスを足しておきたかったが、
「へぇ~そうなんすね。俺も一つちょっとした話をしましょうか。ドッペルと言えば、昔は"二度繰り返す = 留年する"って意味で"ドッペる"という単語が若者の間で使われてたらしいっすよ。『ヤベェ、必修の授業を落としてドッペるしちまったヨォ.....』みたいにね。まぁ今となっては死語なんですけど。」
と、適当な相槌、博識とは程遠いキザなスラングの説明を返すに留まった。するとアイツは灰色のドリンクをその場でグビグビと飲んでいく。その間に俺がグラスを右から左へと持ち変えると、流石に全部は飲みきれなかったのか半分ぐらいでぷは~と言いながらグラスを胸元に戻し、
「それ、俺のことやね......」
と苦笑いの顔で気まずそうに言い残しながらそそくさと席へと戻っていった。「アイツ、留年してんのかよ。」と思いつつ、俺はカルピスをコップの六分目まで注いだ。残りの内の二割ほどをカルピスに似合わないであろう烏龍茶で埋めようか一瞬迷ったのは、俺も1浪して名門大学に入った身であり、俺同様結果的に遅れているアイツに何か親近感を覚えたからなのかもしれない。まぁ、結局はミニッツメイドのオレンジで残りを埋めて席へと戻った。
*
自己嫌悪なら腐るほどしてきたが、そう、俺がおかしくなった話をしていなかった。俺はなんでも無いある日を境に日中でも急にスンッと眠るようになってしまったんだ。"日中でも急にスンッと眠る"だなんて、徹夜で大学に行って教授の話が退屈すぎて居眠りしてしまう僕・私とオンナジじゃないかだって?俺だって睡眠習慣はとてもじゃないが習慣とは呼べないほどに不規則だったし、最初の一瞬はそう思っていた。が、俺の居眠りが普通じゃないことには結構すぐに気がついた。
普通じゃない点、それは俺が夢を見ている間にも現実が何事もなかったかのように進んでいるということだ。寝ている間にも時間は進むという当たり前の話しているのではない。どうやら、俺が夢を見ている間にも俺は並列して起きていて、行動しているのである。俺が居眠りをして夢を見ている間、もうひとりの俺がコックピットのハッチを開けてシートに座りこみ、俺を操縦しているんだ。まるで俺が寝ていないかのように俺の人生のコマを着々と進めているのだ。
もうひとつ、白シャツの男について話しておかないといけない。アイツは毎回夢の中に現れる訳では無いが、
一度も会ったこと無いのに一貫して同じ姿で現れること。夢は本来曖昧なものだから、一度も会ったこと無いやつの姿なんて毎回ちょっとばかし違うはずなのに、アイツはいつもアイツである。
アイツはいつもファミレスに現れる。俺がアイツに会うのはいつもファミレスの夢の中である。
俺がおかしくなった初めての日、操縦席をもう一人の俺に初めて握られた日に見た夢が、まさしく、白シャツの男と初めて会った日の夢であった。だから俺はアイツが気がかりでならないんだ。
*
白シャツの男は問う。
「なぁ、人は見た目が何割だと思う?」
「そんなの、人によって考え方それぞれだし、答えはないだろ。」
「いや、そんな元も子もないことを言われてもなぁ......まぁ、割合を答えさせる俺の質問の仕方がナンセンスだったかもしれないが。」
......少し遡ろう。白シャツの男が「相席いいか?」と俺に訪ねてきたのは、俺が四人がけのソファー席でひとりタコライスを注文し終え、落ち着きの無い手を鎮めるため紙ナプキンで折り紙をしていた時のことだった。退屈だったし別に相席されてもいいと思ったが、あいにく俺は性格が捻くれている。「俺が嫌だって答えたらどうするんすか?」という返答に対し、アイツは中指と薬指を揃えて器用に胸元と袖元の塵を払い落とし、流れるように向かいの席に腰を下ろす。また、これも器用に腰を左右にうねらせ、ソファーの奥へとノソノソと移動して行き、結局アイツの身体はソファーの奥に詰めていた俺の目の前にすっぽりと収まった。
「普通、荷物をソファーの奥側、ようは通路から一番遠くて他人に取られにくいところに置いて、自分は手前側、トイレやドリンクバーに行きやすいところに座るものなんじゃないか?なのにお前は逆だ、捻くれている。」
もう一度言うが俺は性格が捻くれている。なので目の前の正論野郎を不貞腐れた顔で見つめた後、黙って視線をストンと手元に下ろして折り紙を再開した。アイツが俺の向かいに座る前にウエイトレスに直接注文を付けていたことを知ったのは、顔の良いウエイトレスがタコライスよりも先にオムライスをテーブルに置いた時のことであった。
話を戻す。白シャツの男は続ける。
「確かに、少々聞き方が悪かったかもしれないが、質問に対して必ずしも答えが存在する訳では無いし、別に答えを知りたくて質問している訳では無い。俺は答えに至るまでの三者三様のプロセスに興味があるわけで、ぶっちゃけ答えにはあまり興味がないんだ。数学の問題だって部分点が付くのは答えじゃなくて導出過程だ。」
白シャツの男は自身の投げかけた"人は見た目が何割"だという質問を内省したかと思いきや、少しの間を明けてから自分がした質問を正当化するかのように、そう自分語りをした。いや部分点が付く答えもあるだろと少し思いつつ、
「......まぁ、割合はよく分からないけど、俺はかなり比率が高いな。やっぱ人間って目から入る情報に一番左右されやすいんだろ?さっきだってウエイトレスがオムライスを運んできたが、このファミレスが好きな理由はあの制服が大変優れているからなんだぜ。ちょっとキモいかもだけど。もちろん味も好きさ。ちょっと高いかもだけど。」
「てか、オムライスと言ったらオマエさっきからオムライスをぐちゃぐちゃに混ぜているけど、それまじで勘弁してくれよ。信じられない。せっかく綺麗だったオムライスが台無しだよ。やっぱ見た目が10割だ、見た目が一番。」
「すまん、食べ物は均一化しないと気がすまないんだ。どこを食べても同じ味であってほしい。こればかりは譲れない。」白シャツの男は灰色のスペシャルドリンクの伏線を回収しつつ「でも、俺もそれには同意だ、見た目はとても重要だ。メイド趣味があるのは、ちょっとキモいと思うけど。」と続ける。
「いや、キモいってなn...」
「タコライスをご注文のお客様~♪」
「あっ、はい!」
「どうぞ~♪ご注文、以上でお揃いでしょうか?」
「あっ、はい。」
「かしこまりました♪こちら伝票になります♪ごゆっくりどうそ♪」
「あっ、はい、あ、ありがとうございます。」
「......メイド趣味をキモいと言ったのは撤回するよ、すまない。いや、服装はとても重要だと思う。俺は、服装は人格を規定すると思うんだ。イケてる服を着るとまるで自分が優れている人間かのような気分になる。高級なお店に行く時や重要な式典に行く時はきっちりした服を着るし、気分も引き締まる。さっき来たウエイトレス、あれだってそうだ。さっきの接客、文章に書き起こしたら全ての文末に"♪"でも入れたくなるような、そんな元気な声と雰囲気だっただろ?あれはあの可愛い服装から出ている、オーラともなんとも言い難い不思議な要因が彼女の振る舞いをそう規定させているんだよ。人間の精神というものが、そのものが身にまとう装衣にある程度規定されるってのは、あると思うんだ、俺。」
「なるほど、じゃあなんでオマエは白シャツを着ているんだ?」
白シャツの男はオムライスを混ぜる手を一旦止め、しばらく考えた後、
「俺は、本来、到底真っ当なホワイトカラーとしては生きてけなさそうなダメ人間なのに、こうやって白シャツを着て常にオフィスにいそうな服装してるっていう、ある種のギャグをやるために着てる面もあったりする。いや、無かったりもする。」
と返した。俺は「ふーん」と思いながら、タコライスにタバスコをかけ始めた。
俺は珍しく、白シャツと長話を楽しんだ。まぁ、心理カウンセリングのような味気のない話とスラングを挟んだ他愛もない談笑とを8:2ぐらいの割合で織り交ぜたような時間だったんだけれども。
会話は次第にフェードアウトしていき、俺は夢から覚める。操縦席を乗り継いだ──取り戻したと言ったほうが気分がいい──のはちょうど6限終了のチャイムが鳴り終えるタイミングだった。2コマ丸々眠っていたはずの講義の板書メモが、書き主である俺だけにしか読めない歪な文字で手元にちゃんと取られていることにやはり慣れない感情を抱きつつ、授業時間外にもつれ込んだスライド3ページ分の講義を聴き終え、俺は教室を後にした。
*
それから暫くの間、俺のおかしな症状はまるで嘘だったかのように消え去った。夢を見る俺と人生のコマを進める俺との2手に分かれることはなく、当然だが白シャツの男に会うこともなかった。俺は普通に大学生活を謳歌し──実際には謳歌と言うほどのものじゃないんだけど謳歌って言ってみたくなるだろ?──まぁ平々凡々な大学生活を送った。なお、俺は悪いことに今年、2年の春学期に、あの白シャツの男のように留年が確定してしまった。謳歌しすぎたのかもしれない。でも、これは年末辺りまではみんなにバレないように黙っておこうと思う。だが、悪いことはこれだけじゃなかった。俺のおかしな症状は水面下で着実に進行していてついに再度発現した。それはあまりにも唐突であった。
俺はまたいつものようにファミレスにいるし、今度は最初から目の前に白シャツの男が座っていた。
「なぁ、俺はオマエに初めて合った時、ドッペル、いや、ドッペルゲンガーの話をしたと思う。あ、そういえばお前ドッペるしたんだってな、俺と同じだ。」
俺は性格が捻くれているので、無論、嫌な態度が顔に出てしまう。せっかくおかしな症状が治ったと思っていたのにオマエが出てきてうんざりとしている。しかも、なぜ知っているのかは分からないが──まぁ、俺の作り出した夢の登場人物だからあろう──留年したという痛い事実を付かれ、俺はご機嫌も、身体も、顔面も、全てが斜めになってしまった。ピサの斜塔だ。決めた、今日はピザを頼もう。
そんな俺の様子などお構いなしに、白シャツの男は続ける。
「ドッペルゲンガーに会ったら、消えて無くなってしまうって話、本当にそうだと思うか?」
俺がはっきりと覚えているのはここまでだ。その先も奴は話していたと思うが、俺はさっぱり思い出せないし今となっては思い出してもしょうがない話だ。
俺はゆっくりと夢がさめて行く。また操縦席の乗り継ぎに至る。
だが、今回は明らかに違った。俺が起きた時、目の前にはアロハシャツがいた。アロハシャツは人を指す言葉、すなわちアロハシャツを着た陽気な男性を指す訳ではなく、言葉の通りハンガーにかけられた服のアロハシャツである。アロハシャツからはまるで化身かのように謎のオーラがにじみ出ていて、どういう理屈か俺はそのオーラから発せられる感情、言葉などが理解できる。オイオイ、俺の頭は更におかしくなっちまったのか?それとも俺は連続して夢でも見ているのか?まぁ、状況説明はここまでとしよう。目覚めた時、どうやら俺はアロハシャツに何かを話しかけていて俺がアロハシャツに話しかけた言葉は「──夢にまでも出てきた時は、本当に悪夢だよ。」というフレーズで終わっていたらしい。
正直、アロハシャツが"何いってんだオマエ?"って感じの表情だったのは確かにそうだった。アロハシャツが間髪入れずに
「おい、夢を見る白シャツがどこにいるんだよ。俺たちシャツは寝ないから夢を見ないぜ。」
と言って来たのも、同様に確かだったし、直後、全てを理解した俺がファミレスへと戻るもの同様に確かだった。
*
2段組みの衣装ケースの外に出るのは、一体何ヶ月ぶりだろう。オレが1年の3/4もの間を薄暗い衣装ケースの中で鳴りを潜めないといけないのは、単純にオレがシーズン物のアロハシャツだからだ。オレもオールシーズンの服に生まれればこんなことは無かったのだろうなぁと思いつつも早速シーズン物としての仕事を開始する。シーズン・オフシーズンを行き来するシーズン物にとっては、人間に着てもらえるシーズンにいかに人間の自我を享受できるかってのがとても重要だ。人間の身体からは神秘的なオーラ、いや、もっと本質的な自我とも呼べるものが、絶えず湧き出ている。オレら装衣は、その人間から生み出される断片的な自我、一方的に提供されるその限られた自我を接ぎ合わせて、こうやって一つの自我を持っている。
まぁ、自我を持ったとしても動きやしないし人間に存在を伝えることはできないから、人間はそんなこと知らないんだけれどもね。ある意味タダ乗りの傍観者であると言えるのか。人間だって俺らを着ることによってなにか特別な気分になっている感じだってのが身体からムンムン伝わってくるし、1年ぶりにオレを着た持ち主は、初日は部屋でノリノリになってダンスを踊っているもんさ。まぁ、次の日からはそうでも無いんだけどさ。
ある日、オレは隣にいた白シャツに話しかける。
「なぁ、聞いたことあるか? ”ドッペルゲンガー”ってやつ。めんどくさいからドッペルとでも言うか。面白いんだよ、それが。何が面白いかってさ、自分のドッペルに会っちまうと消えて死んでしまうらしいんだよ。......え?ドッペルって何かって?そうか、それが分かんなくちゃ何も面白くないよな。ドッペルってのはな、”自分と瓜二つの存在”のことだってさ。まったく馬鹿げた話だよな。俺たちには見た目が瓜二つの奴が五万といるってのに。俺らはそんなの外に出たらアウトだし、ショッピングモールで5着セットで買われたお前なんて家の中でもアウトだろ。あ、店先に並んでる時点でもう既にアウトか!......いや、それを言ったらオレだって店先だったら周りをオンナジ見た目のアロハなシャツたちに囲まれてたしアウトだな......」
白シャツは壊れたラジオのように一方的に話を続ける陽気なオレに対し、若干の怪訝な顔をしながらも、
「でも、こうやって現に消えずに俺らが存在しているということは、俺らにドッペルゲンガーは通用しないのか、それとも俺らの本質ってのは見た目じゃないのかもしれないな。」
うーん、オレは難しい話が苦手だ。正確に言うと、できるが好きじゃない。オレは中古のアロハシャツとして購入され、この家の押し入れ、すなわち賢い大学生の家の押し入れに至るわけだが、前は陽気でちょっと間抜けなオッサンの元にいた。今の大学生はオレのことを着てくれている2人目の人間ってことだ。どうやらオレの自我の大半は前のオッサンに大きな影響を受けているらしく、基本はこの世の真実とか難しい仕組みとかを知ること無く平穏に暮らしていきたく思っている。が、今のオレの持ち主は、少し逆だ。年齢に似つかないほど常に難しい顔をし、難しい話をし......でも、どっか間抜けで前のオッサンに似ている。だから"少し"逆なんだ。オレには2割ぐらいその大学生から享受した自我が流れ込んでいるので、少しは賢い話ができる。でも、やっぱ好きじゃないけどな。
まぁ今日は暇だし白シャツの話にも乗ってみるかと思い、惰性で話を続けると、オレはある結論を話していた。
「──"ドッペル"がいたとしたら、いや、現実にはいないんだけどさ。うーん、ドッペルが"いる"って表現が良くない。ドッペルが"生み出される"としたら。こっちの方が正しい。人間が俺オレ、オレそのものだな、要はアロハシャツを逆に吸い取り、"アロハシャツの人"というような自我を作ったとしたら?
つまるところ、持ち主がまるで呪いに取り憑かれているかのように日々アロハシャツを着続けるような大バカであること。その上、それがサラリーマンのように、白シャツを着るのが当たり前で白シャツに対して特別感が生じなければいいのだが、逆に、アロハシャツを着続けるのが特異なことであって、持ち主の中に"アロハシャツ"という自我が確立してしまったら。
これは最悪だ。人間の自我に俺の分身、瓜二つなアロハシャツの自我が生み出され、それをオレが否応なしに持ち主から吸い取ってしまったら、それはドッペルゲンガーに会ってるも同然なのではないだろうか──」
*
俺が白シャツの男の夢から覚め、もうひとりの俺の白シャツとしての操縦席を乗り継いだ──いや、取り戻したと言ったほうが正しい──直後、俺の自我はファミレスへと戻っていく。
「......悪い、少し寝てしまっていた、長い夢を見ていた。大学生、オマエもよく知っているはずの、ある大学生の夢だった。夢の中の夢って言ったら難しいかもしれないが、夢の中の夢にオマエも、俺も出てきた。同じこのファミレスでだ。」
4人がけのソファー席で目を覚ました俺は、向かいに座る白シャツの男に、詫びる気持ちが一切こもっていない形式的な謝罪のみを済ます。
「いや、いいんだ。本来は夢なんて見ないはずなんだが、見てしまうのは、俺がいるからなんだ。こちらこそすまない。」
白シャツの男、いや、白シャツは続ける。
「で、前の俺の話、どう思ってる?ドッペルゲンガーに会ったものは、本当に消えていなくなるのかって話。」
──あぁ、そうだったのか。答えはもう出てるじゃないか。俺は白シャツと少しばかりの時間を過ごし、しばらくしてからファミレスを後にした。
*
2月上旬は立春であるが、まだ春が始まったと言うには程遠いほどに寒い時期である。6畳2間の押入れの奥、乱雑に積まれたセーターの横で小綺麗に収納されているのは、白シャツである。実のところそれは既に器、抜け殻と称されるようなモノであったが、男が器とか抜け殻とか中身とかモノの魂とかを知る由は当然無く、男はなんの変哲もない白シャツをハンガーから取り出しては今日も身に着ける。生暖かい太陽は仕事をせず、指がかじかむほど寒い朝。外套に身を包むのはもちろんのことだが、男がその内側に白シャツを着ているのはそれが男にとって上手く言い表せないほどに大切なことだからである。男は大急ぎで大学へと自転車を走らせる。
その晩、男はおもむろに手帳型ケースのiPhoneをシワの付いた胸ポケットから取り出し、YouTubeでお気に入りを数曲聴いた後、ふと思い出したかのように
とツイートした。
slimalized,『嘘の木、嘘の文、真の永遠』, 2023-12-04
mast Advent Calendar 2023 4日目 の記事です。