現代日本で「おじさん」は蔑称であり、もっとも日常的で根の深い差別用語である件について

s-matsu
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なんでもいいので単語を一つ思い受かべてみる。

そして、その単語を当てはめて「〇〇おじさん」とか「おじさん〇〇」と言ってみる。典型的によく使われた言葉でいうと、「子供部屋おじさん」とか「おじさんLINE」などが思い浮かぶだろう。「要はバランスおじさん」みたいなちょっとひねった言葉もあるが、共通するのは何かダメでダサいものを指している、否定的意味合いが付与されることだ。

たとえば今、目の前にある「パソコン」を使って「パソコンおじさん」「おじさんパソコン」と言ってみる。「パソコンおじさん」がどんなおじさんなのかわからないが、何かしら、ダメな感じが漂わないだろうか。「うちの職場にいるパソコンおじさん」などと言ったら、別に否定的なことは何も言っていないのに、そのおじさんのパソコンに関する振る舞いが職場で生暖かい目で見られている人のような雰囲気が伝わってくる。また「おじさんパソコン」というと、何かのパソコンの機種が、おじさんが使うようなデザインだったりで、いかにも若い人からはバカにされそうなモデルであるような雰囲気が醸し出される。

このように、「おじさん」を言葉の前後にくっつけた途端、その単語の対象がダサくて価値の低いものに感じられてくる。なぜなら、現代日本では「おじさん」が蔑称であり、差別用語であり、「ダサいもの」「ダメなもの」「イケてないもの」の象徴だからだ。

以前どこかで書いたかも知れないが、このような「おじさん」「おっさん」への日常的な差別は現代日本社会では根深く浸透しており、あまりにも自然なので差別と認識されてすらいない。女性や外国人への差別については、普段からうるさく指摘され、反応する人もいるが、おじさんだけは無条件で差別的に扱っても誰も文句を言わず、誰も反応しない。それが当然のこととして社会に浸透しているからだ。その意味で、これは現代日本社会において女性差別や人種差別よりも根が深い差別だと言えると思う。

なぜこうなったのか?いつからこうなったのか?については、考えていることもなくはないが、それを話し出すとまだまとまりがなく長くなりそうなので、稿を改めたいと思う。

@smatsu
ここで書いたメモは自分の中で考えを整理するためのものであって、誰かを批判したり攻撃する意図はありません。また、思いつきメモ書きレベルなので文章として流れがまとまっていないものもあるかと思います。どうぞ悪しからずご了承ください。