わたしはふつうのITベンチャー企業の社員で、出版社でもないし法曹界の人間でもないのだけれど、そんな会社で「言葉にこだわれ」と言われるとは思っていなかった。いまの会社に転職して人生が大きく好転したことが、わたしの人生にとっての自慢のひとつだけど、その会社人生の中でもいちばんすごいことが、言葉にこだわれ、と言われたことかもしれない。
伝えたいニュアンスから逃げないこと、ぴったりな言葉が見つかるまでドキュメントを書き続ける、時にはエモく仕上げるし、必要なら感情性は捨てて正確に書く。伝わるように、何より自分のために書きまくれ、いちばん考えていちばん書いたやつが正しい、と。
だからなにかをぴったりな言葉で表現できたとき、そんな表現をみつけたとき、いちばんテンションあがる。わー!!夢小説を書くのがたのしいのも、きっとその瞬間がすきだから。
たとえばなにかのキャラクターをすきになるときも、ビジュとかかっこいいシーン、よりも第三者が与える表現が自分に響いたときとか、何より自分が表現できたときにすきになる。
言葉そのものを大切にしていそうなひとも、すき(深津くんはそういうひとだと思ってる)
よしもとばななさんの小説の一説が、(わたしの中の)虎杖悠仁をぴったり表す言葉でだいすきなので残しておく!
「孤独と自立を知っている大人の鋭い目」「彼には不思議な、真冬の曇った空のような中途半端な明るさと暗さがある」
「祝福という言葉がその感じに一番似ていたかもしれない。ずっと、いろいろなものを探していたけれど、それはこれだったのか、という感じだった。
これだったんだ、何かが欠けていたと思っていたし、何かを失くした感じがずっとずっとしていた。それは心のどこかで知っている何かだったけれど、まさかこれだとは思わなかった。ずっと寂しかったが、それはこれがなかったからだったんだ。あまりにも淋しくて、そう思うことさえできなかった」
ジュージュー / よしもとばなな