2026年3月17日、我が家のわんこが逝去しました。名前はエール。享年13歳でした。一か月が経ったので、エールちゃんとの思い出を振り返ろうと思います。
エールちゃんとの出会いは、北海道盲導犬協会のパピーウォーカーに申し込んだことでした。パピーウォーカーとは、盲導犬候補犬の委託を受け飼育を行うボランティアです。盲導犬協会は全国各地に公益財団法人や社会福祉法人といった形であり、北海道には公益財団法人北海道盲導犬協会があります。パピーウォーカーになる条件は多くなく、室内で犬が飼えること、自家用車があること、長時間留守にしないことなどです。赤ちゃん犬のため長時間目を離すことはできず屋外飼育は不可で、研修などで協会に行く必要があるため自家用車が必要になります。 金銭的な負担もほぼ無く、餌代やおもちゃ代程度。病気や怪我の場合は領収書を取得して協会に提出すれば補助して頂けます。食費は月およそ5000円程度です。
パピーウォーカーに申し込んだのは、当時妻が介護の仕事で盲導犬ユーザーと関わりがあり、盲導犬の仕組みに興味を持ったことがきっかけでした。そして北海道新聞でパピーウォーカーが不足しているという記事を見て、社会貢献として関わりたいと考えました。また、僕自身が動物との生活経験がなく憧れがあり、子供たちに動物と一緒に生きるという体験をさせたかった、というのも理由の一つです。
2012年8月25日、7月1日生まれのラブラドールレトリバーの子犬を受け入れました。生後2ヶ月なのでまだまだ赤ちゃんであり、とても小さかったことを覚えています。 この時期は特に大変で、トイレのしつけでは室内のペットシートに覚えさせるまで試行錯誤が続きました。短い間隔で外に連れ出し、排泄できたら褒めることを繰り返して覚えてもらいました。夜鳴きもあり、2〜3時間おきに鳴くため、寝不足の日々が続きました。
生後三ヶを過ぎると散歩が可能になり、トイレもしっかり屋外でできるようになりました。運動量が増えたことで夜鳴きもほぼ解消し、やっと睡眠時間が確保できるようになりました。毎朝6時に起きて1時間の散歩が日課になり、僕自身もすっかり早起き習慣が身に付きました。時々ドッグランに連れていきましたが、大人しい性格で周りの犬に近づいていけず、ボールを投げても3回4回で飽きちゃって、ずっと僕の側で撫でられ待ちになっていました。
2013年9月16日、一年間の委託期間が終わり、終了式をもってパピーとしてはお別れになりました。エールは盲導犬としての道を歩み始めました...が、3か月後に帰宅。通常は早期に去勢するのですが、血統に実績があったことと性格が大人しく人好きで盲導犬に向いていることから、委託期間中に繁殖件候補になっていました。そのため去勢をしておらず、落ち着きがなくて盲導犬としては失格となりましたが、結果的に繁殖犬としての犬生を歩むことになりました。我が家も繁殖犬ボランティアとして、そのままエールを預かり続けることになりました。
繁殖犬は定期的に繁殖のお仕事があり、定期的に盲導犬協会に戻ることがありました。多いときで毎月、少ないときで2~3か月に一回程度。数週間帰ってこないこともあり、寂しかったのを覚えています。でも長く家にいることもあったので、その時は長く散歩したり、一緒にランニングしたり、キャンプに行ったりしていました。残念ながら僕も仕事が忙しくて平日はほとんどいない日が多く、散歩は妻にお願いして、週末だけ僕が担当するような状況でした。でもコロナ禍でフルリモートワークになった時は僕と妻とエールの3人で毎日散歩していました。世間は大変な状況だったけど、我が家にとってはとても幸せな時期だったと思います。
元気に楽しく過ごしていたものの、2020年、7歳の時に股関節に脂肪種が出来ました。悪性のものでは無かったのですが、股関節ということで多少歩きづらそうにしていたので、手術で切除。合わせて去勢も行いました。一般的に雄の繁殖犬の引退年齢は8歳(雌は6歳)ですが、エールの場合は既に多くの子供たちが生まれており、凍結精子もたくさん保管されていたため、7歳で実質的な引退となりました。
最終的にエールの子供は85頭。子供もまた繁殖犬になっており、孫まで含めると数え切れず。日本全国や韓国など、エールの子孫たちが今もたくさん暮らしています。
繁殖犬引退後、12歳からは老犬となり、我が家も老犬ボランティアという扱いになりました。もう若いころほど走ったりはしないけれど、散歩は喜んで1時間くらい行っていたし、キャンプも毎月行きました。この頃に僕も転職して家にいる時間が増え、毎晩エールと一緒に寝ていました。シングルの布団で大型犬と一緒に寝るのはとても狭苦しく、僕が丸くなってエールのために場所を空けなければいけなかったけれど、とても幸せでした。
状況が変わったのは今年の1月。突然咳が止まらなくなり、何度か病院に行き薬をもらっていましたが完治せず、時々血の混ざったものが出るように。3月25日に大学病院を予約して精密検査を受ける予定でした。 ところが3月13日からから食事を取らなくなりました。3月14日は散歩は行けたのですが、3月15日には行けなくなり、急遽通院。レントゲンを撮ったら、左肺下部に腫瘍が出来ており、血痰にも腫瘍の細胞が混ざってる状態で、長くは保たないだろうとのこと。 お注射してもらって、食べれるおやつだけちょっとづつ食べていますが、ぐったりして元気が亡くなりました。家族LINEでしたら、すぐに子供たちが帰省してきてくれました。長女夫婦が柔らかい食べ物や珍しいおやつをたくさん買ってきてくれて、エールも初めての味を楽しんでいたと思います。
翌3月16日も家族が集まってエールと1日中過ごしました。咳がひどくなり、血痰も増えたんですが、食事はそれなりに食べれていました。しかし3月17日の夜中3時ごろ、ふらふらしながら長男の布団に上がったそうです。4時前に僕が目が覚めて様子を見に行ったら、長年の布団の上で、そのまま眠るように逝っていました。すぐに妻を起こして、僕と妻と長男の3人でエールと送り出しました。
朝一番で僕から協会に電話連絡をし、午後の火葬場の予約を抑えて頂きました。 長女夫婦は会社を休んで孫を連れてきてくれました。午前中は家族一緒に時間を過ごし、昼食後にエールを車に乗せて、協会へ。 協会の皆さんが丁寧にエールにお別れのご挨拶をしてくれました。 その後、協会の担当者さんと火葬場に行き、お別れを済ませました。朝からずっといろんな手配をしたり、あちこち連絡をしたり、エールのお世話をしたりと気を張ってたんだけど、火葬場で送り出した時にプツンと緊張が途切れ、大号泣しちゃいました。こんなに泣いたのは祖母が亡くなった時以来。嗚咽が止まらなくなって家族から離れて車の横で呻いていたら妻が助けに来てくれました。ありがとう。火葬場で家族5人分の遺骨を小分けするキーホールダーを購入し、お骨を納めて、火葬が終わりました。
そこから2週間はとても辛い日々でした。お骨や写真を飾る場所を作って、近所の人たちが挨拶に来てくれて、たくさんのお花を飾って。毎朝毎晩、出かけるとき帰ってきたとき、エールちゃんのお骨に声がけして。突然スマートフォンの写真アプリがエールの写真をプッシュしてきて心臓が止まりそうになって。朝起きた時、夜眠るとき、ごはんの時、いつもならエールが一緒に居たのに居ない。妻も毎日泣いていたし、僕は涙は出なくても心臓がキューってなることが多くて、本当にしんどかったです。
少し気持ちが切り替わったのは、盲導犬協会から預かっていた物品を返却に行ったときに、協会の老犬ホームでエールの子や孫に会った時でした。みんなエールにそっくりで、顔だけじゃなくて仕草も似ていて、あぁエールが生きていた証がこんなにたくさんあるんだな、エールえらかったな、と思えました。その後もエールの子や孫が老犬ホームに来るたびに協会からお声がけを頂いて会いに行っており、会うたびに救われています。本当にありがとうございます。
あれから一か月が経ち、ようやっと気持ちも生活も落ち着いてきました。今も毎日エールに挨拶をしていますが、悲しみだけじゃなく、前向きな気持ちで向き合えて来ているような気がします。時々ふとしたことで思い出して(エールの写真を見たり、エールの好きだったフルーツを食べたり、外で他の家の犬と遊んだり、同僚と犬の話をしたり、そういう時に)ウッてなるけれど、ちゃんと毎日を生きていけています。
エール、本当にありがとう。大好きだよ。