性的合意と表自とゾーニング

snailanonym
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着替え中の女の子が(おそらく誰かにそれを見られて)恥ずかしがり、涙を浮かべて嫌がる表情のフィギュアの話題を見て。

覚え書きとして持論を

○上記のようにそもそも性的接触・行為について現実世界では双方の同意が必要であることが大前提

○性的表現とされる表現について、擁護側が、その意図に関わらず指摘してきた方に向かって「想像と現実の区別をつけろ」と反論するが、実際に架空の性的表現をきっかけにして生まれた欲求を現実の人間にむかったとされる犯罪が存在し、かなりの重大事件となっている

○アイコン、テンプレートとして「エロい」という表現(フェチズム含む)を、その対象が含まれる公的な場で広言する

※クローズではなくフィルター機能を実装しかつそれを使用しない限り、法的にもそれは公の場とされるというのはいくつも実例があります

○そのように「見られる」ことについて好むのも嗜好として認められるべきではありますが、その確認がとれない可能性がある対象や未成年が目にする可能性が高い場所でゾーニングを行わないのは成人としての振る舞いに悖る

私はこれらを、本当に理解していないのであれば成人向けコンテンツを扱う資格はないと考えるし、しかし大多数は「わざと」無視しているとも考えています。

「こんなエロいものを楽しんじゃう自分たち」といういわゆる背徳感や、(近年では望ましくないとされる、男女ともに脱却すべき)マチズム的な団結感による高揚を得るために、です。

そこには、「自分たち」という視点しか存在しません。

「私たち」の快不快の話をしているのではありません。

然るべき場で、それを望む同士で共有するのであれば基本的には問題ないでしょう。(記憶に新しいものであれば四谷大塚の塾講師の事件もあり、全くないとは言えませんが。あれもまた、対象とされるのは実在児童であり当然同意なんて取れていない)

こちらはトランスジェンダー寄りの話題ですが、元を辿れば同じです。性を中心として、特に弱者になってしまう女性と子供を守れ、という一貫した考えがベースにあるのですが、表自側は上層の各論のみでしか反論できません。

そこにも、そちら側の浅慮しか伝わってこず、「話が通じない」という無力感によってまたどこかで1人黙らせられるのでしょう。

私は黙りません。

@snailanonym
私信のようなひとりごと