小学校の思い出 完食指導編

snows
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突然ですが、私は昔から色々な動作が鈍(のろ)いです。そのせいで、色々な人に迷惑をかけてきた自覚があります。その度にとても申し訳ないと思いつつ、大して改善できないまま大人になってしまいました……。

小さい頃は今よりもっとひどくて、幼稚園の送迎バスに置いて行かれ(積み残しです)泣いたこともありました。すぐ気づいて拾って貰えましたが、あなたがモタモタしているのもいけないのよ、と軽くたしなめられたような記憶が朧気にあります。あんまりだ!と若干思いつつ、事実なので否定できません。

そんな私は、小学校に行っても行動がのろまでした。特に顕著だった……というより一番記憶に残っているのは、給食です。元々食が太いわけではなかったのと、食べるのが遅いので、今思うと本当に申し訳なく反省しかないのですが、当時はよく給食を残していました。

転機は5年生の頃。5~6年生で担任の先生になったのは、(確か他校からいらしたばかりの)かなりベテランの先生でした。

この先生がとても厳しくて……。 とはいっても理不尽な叱り方みたいなものはなかったように思います。もしかしたら嫌っていた子もいたかもしれませんが、学級が荒れることもなく、みんな先生の厳しさも受け入れつつ過ごしていた気がします。今思い返すと、クラスもみんな素直な子が多かったような気がするので、相性が良かったのかもしれません。

話が逸れましたが、その先生は、いわゆる「完食指導」を行うタイプの先生でした。食缶の中にご飯やおかずが残っていたら、各班(席の近い5人前後で班を作って食べるスタイルでした)を回って、食べられるか訊いたり、半ば強引にお皿へ投入したり。後者は今ならクレームが来るか、旧Twitterに書かれて炎上しそうです。

ちなみに、量の問題や苦手な食材の関係で食べきれなさそうな人が、配膳してもらう際に給食係へ頼んで量を減らしてもらうことは許されていました。しかも、最低でも一口は食べなさい、という指導だったので、最小量は一口分でした。もちろん食物アレルギーを持っている子には強制しません。至極当然ですが…。

さて、給食を食べるのが遅い私はというと……量を減らしてもらっても食べきれず、給食の時間が終わって掃除の時間になっても、教室の片隅で食べさせられていました。 食べ終わるまで。 掃除の埃が舞う中で!

これは結構、惨めな状況です。周りの子はみんな食べ終わって、掃除当番の仕事をしたり、掃除が早く終われば遊んだりしているのに、私だけ隅で給食を食べているなんて。 しかも、配膳室に一人分の食器を返しに行くのはかなり面倒ですし、これもまた割と恥ずかしいことで……(給食の時間がとっくに終わっているのに、食器を持って廊下を歩くなんて…)。

ただ、これは本当に周囲に恵まれたなと思うことの一つなのですが、そんな状況でも私をいじめるような人は誰もおらず、それどころか、クラスの優しい男の子が、ようやく給食を食べ終えた私の食器一式を配膳室に返しに行ってくれるということが度々ありました。当時も、今思い返しても、本当にありがたいことです。

正直、小学生の頃というのは、誰かが食べた食器はできるだけ触りたくない!汚いから!みたいな風潮が多少なりともあるので、いくら高学年といえど嫌な気持ちは多少あるはずなのに……。 しかも、それをしてくれた男の子が数人いたということもありがたさに拍車をかけています。本当に優しい子が多いクラスでした。

そんなこんなで、客観的に見た状況は惨めでしたが、幸運にもクラスメイトに恵まれ、給食の時間や食事が苦痛にならず済みました。 それどころか、たぶんあの2年間で私の食事速度は少し速くなったと思います。 そして、食べられる量もこの頃から増えてきた気がします。

そして何より、食事を残さない意識が醸成されました。 お恥ずかしい話ですが、それまでの私は「食べきれなかったんだから仕方ないよね」などと思いながら、平然と残していました。

でも今は、体調が悪くて食べきれない場合を除き、極力食べ残しはしないようになっています。 これはほぼ間違いなく、この先生と、優しかったクラスメイトのおかげだと思っています。

ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました!

当時わたしに優しくしてくれた皆とあなたさまに、幸福が訪れますように🍀

@snows
「名探偵コナン」が大好きです。 こちらでは、思ったことをそのままつらつらと書き綴っていこうと思います。基本的にすべて自己満足で書き散らしています。文章を短くまとめるのが苦手でほぼ必ず長くなります…。