野菜室のワインの瓶の下で溶けている野菜を発見してしまい、丁寧な暮らしとおのれの生活との距離を思い知らされる。あやうい気配を感じると確認するのを恐れてしまいがちだけど、放っておいても消えるものじゃないんだから早急に手を打つべきであった。薄目であっても確認するようにしたい。そうやってなんとか冷蔵庫の中身を確認して明日以降のごはん計画を立てスーパーに行く途中、いつも通りすぎる家の出窓を見上げたところ、ひなたぼっこと毛づくろいをしている猫が3びきに増えていた。内2ひきは毛づくろいに夢中だったけれど、新入りっぽいいっぴきがじっとこちらの様子を伺っており、ごめんよーと思いつつ少しだけ3びきの様子を観察してから目的地へ歩みを進める。
9時台に起床、朝ごはんが10時台になる休日の過ごし方を改善したいと思いつつ、好きなように過ごせる日が一日しかないのに早起きなんてできやしないわよ、ときりきり追い詰めるのはやめ、頃合いをはかることにしたい。しかし23時台に寝て9時台起床(30代)はロングスリーパーにも程がある気もしている。今朝寝続けられたのはお酒の力もあろうが、夜中に何度か起きてしまうのが常だったりする、眠りが浅いことも原因なのかもしれない。なんでも加齢のせい、で放っておかないで適宜外来等に行ったり…?といろいろ可能性を模索。
前々から行きたかった気になる飲食店の予約をし、うきうき飲食店の最寄り駅に向かった。かなり時間がかかる気がしていたけれど、思っていたより近い、むしろ鎌倉などよりよほど。こうやってイメージだけで物理的に距離があると思い込んでいたけど、自分が心理的距離をとっているだけだったという場所って結構ある。乗り物酔いしやすい体質のことはもちろん考慮に入れつつ、初めての場所だからと臆せず、いろんな場所を訪ねてみたい。いつも行く場所をぐるぐるローテーションするルーティンから抜け出してみる試み。
初めてと思っていたけれど、大学時代の春休みに短期バイトでチョコレートを売ったとき以来に訪ねた街で、野菜中心のイタリアンを食べる。有識者のおすすめ内容からぜったい好きでしょうと思っていたけれど、予想していた通り、かなり好みの味だった。13種類、全部それぞれの良さがあったが、特にビーツのデーツヴィネガーマリネ、ブロッコリーのピュレ、かぶのケッパー蒸し、菊芋のピクルス煮が好き。のらぼう菜とかき菜はそれぞれの青菜の苦みがきいていた。馬喰横町の野菜がおいしいイタリアンを思い出しつつ、あの店よりも塩味がきいた、酒飲み向けのお店な気がする。
もしかしたら一番好きだったかもしれない皿菊芋と芽キャベツとねぎ、それぞれの野菜の元々のかたさ、火を入れた時の変化による歯応えの違い、牡蠣のソースの取り合わせがとても好きだった。赤身を噛み締めるタイプの牛も、白子とたらの味つけもよく、メイン以外はそんなにメニュー変化はないのかなと想像しつつ、また定期的に訪ねたいお店が出来たうれしさ。オレンジワインとロゼが特に好きだったことも記録。
『君たちはどう生きるか』を見て以来、幼少期からのファンタジー体験について考えている。いきてかえりし物語が好きというより、かえりたくないのにかえってきてしまった物語が好きなのかも知れない。かえってきたくなかった彼の地のことをずっと考え続けるひと、あるいはいってしまった経験によってかえってきても馴染めなかったひと。あの映画を、目新しい物語じゃなく、ファンタジー原体験による、自分はまったく違う世界で冒険した記憶を忘れているだけかもしれないという、よくある現実を乗り越えるための、あるいは内にこもるためのささやかな想像を思い起こさせる、懐かしい物語のイメージとしてためつすがめつしている。『死ぬまで生きる日記』を読んだとき、「死にたい」はなかったけれど「帰りたい」はあって、逃避の一環としてある年齢の人間にはそう珍しくはない妄想なのかもしれないけれど、そのときの自分にとっては切実な願いだったのだ、ということはおぼえている。