9月13日

socotsu
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公開:2024/9/15

ひょんなことから今年3度目の京都。しかも初日は一人旅。関西への観劇目的の旅での前泊後泊でも一人だったことってあったかな、と記憶をたどりたいけどすでにもろもろがあわあわとしている。

新幹線の中では友人が貸してくれた小沼理さんの日記本を少し読み、とてもおこがましいと思いつつ、友人が読んでいるとあなたを思い出すと言っていた意味がわかる気がした。ああでもない、こうでもないと迷う姿へのシンパシー。しかしこれは中立でありたいということとは明確に違う。そして少しの読書以外は乗り物内ではだいたい寝るいつものパターン。

スムーズに宿に到着してから一目散に向かうは出町柳、つまり餅です。しかしあまりの暑さに途中で洋菓子屋に吸い込まれ、アイスを食べてしまう。

カップにアイスが2スクープ盛られている

レモン・バナナ・ココナッツとスパイス・ドライフルーツ。どちらもおいしかったのだけれど、ここの生菓子同様割と胃にぐっとくるヘビーさで、1スクープでがまんしておけばよかった、しかし選びきれなかったから……と食べ終わってからのぐるぐる。

福豆大福をほおばろうとして笑みを浮かべる人のイラスト

福豆大福を食べるとこの顔になります。

パックに芋餡で包まれたもち、福豆大福、栗餅が並んでいる

栗餅だ!と思って出町柳まで駆けてきたけれど、もしかしたらいもあんのほうが好きなのかもしれないことに気づいてしまった。福豆の豆餅の赤えんどう豆よりやわらかいけど大きくてしっかり食べ応えのあるぽくぽくした豆が散らばったやわらかい餅といっしょに、甘いけれどべったりはしていないやさしい甘さのあんを食べる。固いもの大好きクラブに所属しているくせにごろっとしたかたまりの食べ応えがある栗よりこしたあんを欲するとはと思いつつ、栗がどうかというよりは、あんと皮と具の一体感か?ふたばでは豆餅の次にかぼちゃあん(みぞれもち)といもあん(福豆大福)を食べてみてほしい。

悩みつつそのまま叡山鉄道に乗り、一乗寺の古道具屋、古着屋、本屋の王道パターン。家に積んで(並べて)ある本や上手く着こなせていない服のことを思い出しぐっと一旦耐える。古着屋では赤チェックの袖がたっぷりとしたボウタイ付きブラウス、セーラー襟の絵が描いてある白Tシャツ、着たらそこまで派手ではない赤系の柄の、まるいかわいい赤いボタンがおしりの左右のポッケにひとつずつ、前にもひとつのアルマーニのクロップドあるいはバレルパンツ、ワニのマークがついたコットン地のまるみのあるカーディガンがかわいかった。メンズのボタンの位置がかわいピンクのシャツも。書き出して昇華したい。

しかしこの旅にも小沼理さんの本以外に2冊文庫本を持ってきてしまった。本を持って移動するのが趣味の人。

友人に思わず連絡した、気になった本。

1人でいるとスマホであれこれ調べたり写真を撮ったりする頻度が高まるので充電の減りが早い。いったんホテルに戻って晩ごはんの予定までに間に合うかなこれ、というスケジュールだったが、えいやと近代美術館へ。ひとりきりの無茶が可能な行程も悪くない。今日から始まった企画展「LOVEファッション─私を着がえるとき」を見た。

企画展「LOVEファッション─私を着がえるとき」のメインビジュアル

一つ目のセクションでは、クラシカルなドレスやチョッキに施された気が遠くなるような細やかな刺繍に興奮し、布の裾ばかり見ていた。

レースと刺繍で飾られたドレスの裾
天女?や草花、虫が刺繍されたチョッキの裾

刺繍への憧れとめどなく。ドレスが陳列されている台の一番端に突然Mame Kurogouchiが出現し(私が布の端っこを見るのに注力しすぎて気づかなかっただけ)、これはただ昔々の豪華なドレスを展示する企画展ではなかったことにはっと気付かされる。Mameのドレス自体は作品として私もうつくしいなと感じるようなものではあったけれど、展示の文脈を意識した際、これらの豪華なドレスの並びにMameというブランドを置くという選択の意味について、知名度や評価とあわせても考えてしまう。といってもそこまでファッションブランドのそれぞれの立ち位置や文脈を把握しているわけではないのだけれど。

それを身につけることで何者かになりたい、望むかたちにまなざされたい、ひとの目なんか気にしなくていい、単にそれを所有したいetc. キャプションで企画展の目指したい方向はわかるのだけれど、文章での説明と展示されている作品の撚り合わせにそこまで緊密さを感じ取れず、でもそれは自分が個々の作品を鑑賞しきれていないのかもしれない。あと自分が文章の方の強度に引きずられやすいのもある。東京のオペラシティにきたときにまた、と思いつつ、今回また見たいなと思っていた原田裕規のShadowingシリーズが企画展の一作品として展示されており、思ったよりも早く再会できて(見られて)よかった。すでに見たことのあった1作とあわせて新たに2作が展示されている。2作のうち1作はハワイのムームーを日系移民らに合わせて着やすく手直しした服についての語りだった。物語が語られ、デジタルヒューマンの表情がその語りに合わせて動く、ピジン英語と日本語の字幕両方がスクリーンには映し出され、視覚的、聴覚的な虚構性が多層に積もっていく。しかしこの構造を用いて語られる物語、スクリプトへの意味の付与としては一番初めの下記の展示をやはり見てみたいとおもってしまうのだけれど。デジタルヒューマンからであっても、真正面から映し出される「顔」に語りかけられることによって、いまこの場で上演されている感をほかの映像作品より強く感じている。

鷲田清一すらまだ読んでいないなと思いながら『東大ファッション論集中講義』も気になっている。

展示のボリュームを把握してからは晩ごはんまで余裕があると気楽に構えていたら、意外とぎりぎりに美術館を出ることになった。覚悟していた雨はちょうど止んでいて、濡れた石畳やアスファルト、それから鴨川沿いの川辺の土を踏みながら予約した韓国料理屋へ向かった。定食を頼んでから、そのご飯のボリュームに、おつまみメニューだけにとどめておけばよかったとひとりのごはんの量の調節の難しさを痛感しつつ、たまたま晩ごはんの席で向かいだった人と、お互いご飯待ちの間に本を読んでいたところから会話がスタートし、『百年の孤独』がおもしろかった(私は途中まで)、からシリーズケアをひらくや『手の倫理』いいですよね、という話まで派生して盛り上がり、ごはんチョイスはかんぺきに満足いくものではなかったけれど、かなりレアでおもしろい時間を過ごした。

白ワインのボトルとワインが注がれたグラス オレンジがかった色の液体

帰りがけに気になっていたワインバーで少しだけ飲む。デザートワインっぽい華やかな甘い香りが特徴的、でも飲み口は全然甘くないワインだった。早めの時間からやっているようなので、次回以降また行きたい店として心に(マップにピンを)留めておく。本日25,000歩超、よく歩きました。

@socotsu
そこそこ/日記のタイトルは川柳