2月11日

socotsu
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連勤!終了!ウオオと叫びながら、中日は休んだが一日だけの休みって休みな気がしないな、と思いながら身体が明日も職場に行く気がしている。脳の疲れと慣れって怖いですね。実労働時間はたいしたことないのだけれど…

アプリコットタルト半分

朝ごはん。アプリコットタルト半分とマンドラゴラのかたちのパンの脚をちぎって食べる(こわい)。程よく塩気が効いた、かりかりとみっしりのあんばいが良すぎるパン、食べすぎてしまって良くない。

昼にみかんを忘れたショックを胸に、帰宅後即みかんを食う。

帰ってきたら昨日と同じイタリア食材店の昨日売り切れだったパンの包みが机上に置かれていてウケつつ小躍りする。パートナーとフォロイーがすれ違っている可能性を想像。

イタリアの田舎パン
イタリアの田舎パン 切られたはしっこから断面が覗く

記憶のなかの田舎パンよりだいぶ小ぶりだな、発酵具合なのか材料費高騰による調整か?と思いつつ、そのぶん生地がみっしり詰まっている気がする。オリーブオイルの風味も好き。ぱさっとしているようでかむとジュワッとする。

晩ごはん、日本酒が飲みたい口で気になっていた居酒屋に行き、連勤から開放された気持ちでお酒を飲むも、食事はおいしいけれど、きれい・飲みやすい・キレのある、という形容詞の飲み口の日本酒は「アルコール分」が摂取したくてアルコールを飲んでいるわけではないのでしっくりこず、好きなお店で選んでもらうくせのある日本酒が恋しくなった。

この1年くらいでおたくとしてのアイデンティティが消失し、ときどき映画を見たり本を読んだり編み物をしたりおいしいものを食べたり、たぶんはたからみたら楽しくやってるじゃんという状態なんだけど、喪失感でものすごくむなしくなるときがある。でもそのむなしさを見つめるべき時期がやってきたのだと思っている。我や他人を忘れて没頭できる趣味を持つことが人生を謳歌する秘訣だと思っていたころがあって、それはそれでやりきれたらいいだろうしそれがいまもすべて悪ではないという認識はある。過去の自分を全否定したいわけではないが、それは肯定される余地を残したいというよりは、1か0かは雑な判定で自分のやったことをまるごとよく確認しないままゴミ箱に突っ込むようなものだと思うので。人間を同じ人間と思えなくなるような種類の消費や資本主義に偏りすぎたな、という後悔がついてくる類の趣味をよりどころにしてしまったという負目を感じながら、なぜそう思うか、その理由をたびたび振り返って確認しながらこれからも生活していく。

@socotsu
そこそこ