現代思想を読んだからというだけではないけれど、自分の「友情の現在」について考えたり実践しなければ、と思う機会が多いこの頃、寅の子すて〜しょんで得た「あなたにこういう期待をしていますと伝えることを恐れない」を試みられた日だったと思う。一緒に暮らしているパートナー男性ももちろん好きだし大切だけれど、パートナーだからといって、その大切さが友人より大きいもののように優劣があるように捉えられるのは悔しい、あなたたちのことが大好きなので、と伝えられてよかった。かってにすっきりさせたかっただけかもしれないが、相手に喜んでもらいたいとかそういうことではなく、私が伝えたかったので。ひとりでウェットになりすぎないよう気をつけたいと思いつつ、きもくならない範囲で自己開示していきたいし、趣味を通じて仲良くなった友人とも、趣味仲間として共有できるものが少なくなったとしても、形を変えても友人でいたい。もちろん私1人の思いではどうにもならないことだけれど、これは願いというより、決意表明でもある。
「すべての女性は男性がうっすらきらいだと思う」「結婚するけど「負けた」という気がする」という友人の言葉に、とてもかなしいし、(すべて、と言い切るのは言葉の意味を強めるためには有効かもしれないが、こぼれ落ちるものも多い)と思いつつ、そう言葉を口にしたかった彼女のニュアンスを会話全体から拾い上げれば、どちらも非常に頷ける、と思ってしまう。側から見て異性愛の男女とみなされるパートナーシップは、この世の中ではなんというか非常に「強い」ため、自分で選んだはずなのに、私はライフハックのために「強さ」を選んだのでは?という疑いが付き纏い、本当の意味で「自分で選びとれた関係」という感覚が薄まってしまう、パートナーのことは好きなのに、私は社会に押し流されてここに辿り着いただけなのでは、と思う瞬間があり、ひとりでも生きられるし、だれとでも生きることを選べる世の中で、ちゃんといまの関係を選びとりたかった、という無茶を思う。事実シス男性とともにあることはある意味でその場で認められるためのパスポートとして有効に作用している、と感じる場は多々あり、でもそのある種の居心地のよさと優遇される居心地の悪さ、人間としてパートナーを好ましいと感じている気持ちをごちゃ混ぜにしたくない、切り分けたいと強く思う。ずるい、と言われるのは承知の上で。
大河を見て!とおすすめされたので、じゃあ『違国日記』を読んで!おすすめ返してみた。一度も見ていないのに、ひとの感想から氷室冴子のなんジャパを思い浮かべている。

前から狙っていたオープンサンド、めちゃ食べづらくカットすると皿の上で豆の運動会が始まる。ぽくぽくした豆とオイリーなケール、かなり好きな味だった。

手でつまみ上げるのをしばらくためらう揚げたてあつあつのトルティーヤの香ばしさ。

しそかパクチーかいつも迷うモヒート。

この板の上にタコスがめちゃくちゃに(整然と)並んでる構図「映え」というよりかなりおもしろくなってしまう。

ぷりぷりのえびゾーン🦐しかし個人的No.1はしめさばのタコスだった気がする。