6月19日

socotsu
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公開:2024/6/19

朝ごはんはカントリーブレッドの最後のひとかたまり。だいぶかちかちになっていたので二つに切った後、小さいほうの蒸籠で蒸して水分を戻してからトースターでリベイクした。小さいほうの小鍋の上にすぽっとおさまる外径の小さい蒸籠はだいぶぼろなのだけど、機能面では特に支障がないため使い続けてしまう。大きいほうが確かいい素材でしっかりしたつくりではあるのだけれど、外径ぴったりサイズの鍋がないため、蒸し板を噛ませる必要が発生し、その一手間が億劫で出番が少ない。大きいパンや大きい皿に盛ったあれこれを蒸すときはべんりです。小回りがきく作りが甘いほうを選んでしまう、みたいなの何かの比喩っぽいけどただのうちの台所で毎日起こる出来事です。パンと、果物にヨーグルトをかける朝食、たぶんカロリーコントロールとしては米と味噌汁などに変えるべきなのだろうなと思いつつ、パン食いパーソンめはまったく実践できていません。果物を少し減らそうと思っていたくせに、昨日税抜100円を久々に切っていたゴールドキウイを思わずまとめ買いしてしまい、バナナにプラスしてしまった。しかしキウイはまだ固めだった。

職場で企画したイベントが開始し、割と盛況のようでなによりです。アイディア力(ぢから)のかけらもない人間のため、ぜんぜん向いていないと思うんだけど、なぜかそういう担当業務をほかにも振られてしまった今年。やるべきことを期日までにやる。

豆腐麺の上にきゅうりの細切り、アボカド、なっとう、キムチ、もずく、ちくわをのせたもの

好きなもの全部豆腐麺の上にのっける。平日はこういう晩ごはんがいちばんほっとする。そもそもそんなにきれいに具を盛っていないのだが、写真を撮ったあとめちゃくちゃに混ぜて食べた。

『ウォレスとグルミット』のビーグル犬・グルミットが羊とにらみあっている陶器でできた置物 羊の顔のほうがよく見える角度
『ウォレスとグルミット』のビーグル犬・グルミットが羊とにらみあっている陶器でできた置物 グルミットの顔のほうがよく見える角度

羊はぼーっとしてるのにビーグル犬はめっちゃにらんでるのがいい。出張のお土産だった。やわらかい・固いに限らずかわいい・ユーモラスな動物を土産にしがちなパートナー。

マウスピースって結構するのでは、と脅されながら歯医者に足を運び、先週型をとったものを引き取ってきた。想定していたほどの額ではなくほっとしているけど、上顎分だけだからなのか?噛み締めぐせが改善しますように!麻酔を使ってないから特に問題ありませんよと言われたので、昨日大雨で外に出られなかった分、走った。ランニング途中、相変わらず寅の子すて〜しょんを聴いています。走っているルートの景色と彼女らの声、そろそろ二つが結びつけられてしまったようで、不思議な気持ち。仲良くしたい人からどうにも話がおもしろく思われていない、おもしろい人間とみなされていない気がする、という話から、恋愛文脈じゃないと女性と仲良くする気がゼロ、女性と友情を結びたがらない男性へのちくしょー(とはおっしゃってなかったかもだがむかつくよね!ってこと)いう気持ちがあるという話がとても興味深かった。性別関係なく仲良くなりたい人と仲良くなりたいよね。相手の気がのらないならそれはしかたないのだろうが、それが自分という個というより、女性という枠組みに入る人たち全員とその関係性を結ぶ気がないよ、と最初っから決め込むのはつまんなさすぎる。しかしそもそも自分の人生に一対一でいろんな話をしたいと思うような男性の友だちという存在が登場したのがここ最近の人間が言えることではないかもしれないが、そもそも友だちになりたくない以前に男性が登場人物として人生に登場してこなかった歴のほうが長いので許されたい。誰にかはわからない。

宝塚の文春報道がキャンペーンのように連続していたときオンライン会員になってから、(今は退会したけれど)毎週火曜の夜にその週出る号に連なる記事の見出しメールを受け取っている。本日配信された記事は、渦中とされている組の続報ではなく、別の組のパワーハラスメントの告発記事だった。しかもその渦中の組でパワーハラスメントの被害者であった方の同期が、別の組では下級生にパワーハラスメント行為を働く加害者の側であったという。言葉がない、というかもう嘘であってほしかった。多くの劇団員が加害者であり、被害者でもあるのだろう、とは思っていたし、SNS上でも悲しみと怒りを込めて何度も投稿したけれど、宝塚の下級生は上級生を見て学び、真似る、それが続いていくような慣習があることはファンなら誰でも知っている。新人公演の長の期がその下級生にパワーハラスメント行為を働いているのなら、さらにその上の、新人公演を卒業した以降の上級生が同じことを下の期にしていたんだろうと想像するのが普通だろう。わたしはもう、いま笑顔で舞台に立っている、この瞬間素敵と思ってしまった人たちがパワーハラスメントの被害者か加害者であるかもしれないと思いながら宝塚を見続けるのはやっぱりきつすぎて無理なので、早々に諦めてよかったし、宝塚を観劇すること=パワーハラスメントの成果を見て賛美することに近いのではとすら思っている。けれどずっと好きでい続けた場所をこのまま離れてしまっていいのかという思いもずっとあり、みじめったらしくニュースを追ってしまっている。どんな人にも被害者にも加害者にもなってほしくない、ならせるなよ、でも加害者はきちんと責任を取ってくれとも強く願いながら、宝塚を見続けたい人こそ、一旦全組公演をストップして調査をしろと声を上げてほしい。文春の報道をでまかせだ、と疑惑のまま見過ごしてしまった末に、もうすでに一度起こってしまったことを思い出してほしい。半ばあきらめている人間に何が言えるだろうかと、離れた場所から祈っている。こんなの、宝塚がちゃんとした場所でありますように、改革が進められていますようにとポジティブな言葉を口にしつつチケットを買い、変わらず劇場に足を運んでいる人と、根本的には、なにも関与できていないという意味では同じではないか、と思いながら。

@socotsu
そこそこ/日記のタイトルは川柳