強雨の日。出勤で朝からびちょびちょになり、帰りもよせばいいのに予定を完遂すべく耳鼻科に立ち寄り退職者の人へのお菓子を買いにいってびちょびちょになり、体力気力ゲージが短くなってしまった。お菓子は雨から守った。そんな状態でもよぼよぼになりながら運動(フィットボクシング)を欠かさずやるというおのれの強迫観念の機能っぷりよ、まあこの日記の継続もその追い込みにより成立しているわけなのだが……なんでやめるのが怖いかと言うと、一度やめたら再開できなくなる・再開が嫌になる、という思い込みがあるからで、これはこけない方法を学ぶのではなく、こけてもまた立ち上がれるのだということや上手なこけかたを学んだほうがよいという話かもしれない。
要するに、安心とは、「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を意識しないこと、情頼は「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を自覚したうえでひどい目にあわない方に賭ける、ということです。いうことです。もしかしたら、一人で出かけた子供が行き先を間違えて迷子になるかもしれない。途中で気が変わって、渡した電車賃でジュースを買ってしまうかもしれない。そう分かっていてもなお、行っておいでと背中を押すことです。
ポイントは、信頼に含まれる「にもかかわらず」という逆説でしょう。社会的不確実性がある「にもかかわらず」言じる。この逆説を埋めるのが信頼なのです。
『手の倫理』p.93-94
この「信頼」と「安心」の話にもつながる気がしている。
昨日仕込んでおいた新玉ねぎのマリネをささみ・アボカド・黄金柑と和えたら美味しかった。そんなに高くないアボカドがあたりでうれしい。ちなみに本当はささみ→白身魚のレシピ。お弁当用の玄米を炊き、文旦もむいたのでもう今日はしまいです。文旦、ワタが分厚すぎて房が一体化しているせいで、ひと房ずつに分けるために固い瓶の蓋をあける並みの体力を消費し、薄皮をむくまでにだいたい力尽きている。