運動ルーティンをこなしつつ、昨日に引き続き、初売りに浮かれる街の一員となった日。資本主義との訣別ははるかに遠く…
ひとつのブランドの服ばっかりチェックするのやめたい〜けど決断力がないから手を広げすぎると訳がわからなくなっちゃう、からの訳がわからなくなって買えない方が財布にはいいのでは?という一連の流れ。今年もまた古着と手編みニットとミックスでいきます。ワンアイテムへの一目惚れ即財布を開くへつなげるのではなく、手持ちの服との組み合わせを考えて、何が足らないかを考えてゆく訓練をすべき。おしゃれコーデの師とあおぐ友人の行動を教本としたい。服も大縄跳びと同じで一度入ったら永遠に飛び続けないといけない気がするけれど、タイミングを掴んで外に出られるし、別の人が回している縄にもまた入ることができる(??)。謎のたとえ。
服を買って何がしたいか、ということもちゃんと考えたい。いや着たいから、というのは当たり前だけど、それを着てどこへいきたいのか、会社へは着ていきたい服なのか、そうではないのか、基本どこまでも歩いていきたい人間のため、軽くて動きやすい服がよく、綺麗めな服は着る場面が限定されてしまうから、必然的に選択肢から外れることが多い、など。年齢を重ねてまた好きな服、似合う服が変わってくるのだろうなとも思う。
晩ごはん。貝柱の出汁の味薄い王スープだけ作り、定期的にポップアップを追うお寿司屋さんの寿司を久々に買った。ばらちらしは全部、巻物は明日に半分回す。最初にねぎや生姜を炒めて香味を効かせて最後に塩を入れる系の酒徒さんレシピ、味薄い王へのチャレンジの道だと思ってる。遠くの出汁の声を聞けスープ。豆腐がやわやわすぎてかなりくずれた。わたしがスープを作って翌日まで回したい鍋と1リットルプラス具が入る鍋の乖離を、今日食べる分の菜の花だけ入れる、よそいおわった後に翌日分の菜の花投下、で解決する吹きこぼし王。
🐟の形の醤油を見ながら、出しすぎた醤油の小皿を戸棚にしまっておかれる話(向田邦子)を思い出していた。
梅に藻塩を感じる。成分そのままの話です。昨日のスパイスが前面に出た味とぜんぜん違う、まろやか?な梅酒っぽいビール、と書いてなにも味の表現ができていない…おれは……と膝をついている。
元航空関係の家族がいる人間として、ひと言では言い表せない気持ちを抱く昨日からのニュースに、SNS上のさまざまな人の投稿に心がざわついている。飛行場という場所や、飛行機に乗るという行動がとても近い状態でずっと生きてきた、世の中にそこそこいる人たちのうちの一人であるという、ただそれだけのことですが。別に誰がどんな発言をするのも自由ではあるのだけれど、それはそれとして、うっかり見てしまったものにざわつく心を抑えきれないので、なるべく報道以外は見ないようにしている。仕事に行く家族がタクシーに乗り、道の角で曲がるまで見送りながら、これっきり会えなかったらどうしよう、というような想像をほぼ毎回していたことを思い出してしまった。そんなのみんな同じだろう、みんな行ってらっしゃいとおかえりを繰り返すんだろうとは思うのだけど。
ある対応のおかげで助かった人がおり、その対応が可能なシステムが存在するということへの評価まででとまることがなぜできないんだろう。それ以上まで広げてある企業を過大評価することが何に結びつくかという想像と、ある一点からの過剰な誉めそやし、またその逆がたくさんの人に共有されることのあやうさを思う。
そこつってアカウント名結構気に入ってるんだけど、あとはものぐさとうかつかな、という想像。monogusa、ukatsu。字面的には後者かな。