雨降りでピクニックを早々に諦め、好きなエリアで友人とランチをしたり、歩き回ってパンやおやつを集めた日。副菜まで盛り沢山なもりもりの定食のメインの鶏の蓑揚げは、細く切ったじゃがいもを鶏の蓑に見立てて揚げている、胸肉なのにボリューム満点の一皿で、食事をしながらおいしかったフィッシュ&チップスの話をしていたけれど(食べものを食べながら食べものの話をする)、これも実質フィッシュ&チップスでは?という仮説を店から出た後に思いつく。おやつ部門は全粒粉、カルダモン&レモンピールクッキー、パン部門は大納言さつまいもベーグルです。栗のデニッシュと栗あんぱん両方を買う友人の栗2連発に、いつも最低限のやり取りで終わるお店の人から聞き返してコミュニケーションが発生している場を目撃できてよかった。
移動して向かった武蔵野プレイスは、駅前のとてもアクセスしやすい広々とした施設で、かなり前から気になっていたのに、このタイミングでようやく足を踏み入れることができた。図書館の蔵書も豊富でかなり時間をかけながら、じっくり棚を眺めてしまう。そういえば社会科学分野の棚の本って予約で借りてしまうことが多いから、公共図書館であまりじっくり見る機会がなかったのか。たくさんの親子連れの人たちが利用している施設というのもあり、この街に住んで小さいころは親御さんとともに、大きくなったらひとりで自由にここに足を運んで本を借りるようになるような暮らし方を想像する。書いて思ったけど年齢はどう考えても親世代なのに完全に子ども視点。いまは好きなときにアクセスできる、生活圏内に図書館がある暮らしが当たり前だけれど、週末、親に車で連れて行ってもらうほかに図書館にアクセスする方法がなかった実家住まいの10代のころを、このような機会のたびに振り返ってしまう。最近は図書館から家の本棚に本を移動させるだけで、本を読み切るまでにいたらないことも多いけれど、それでも目の前のここにある本をどれでも読んでいい、という環境を作り出すことの必要性を思う。本に限らず、選択肢が目の前に差し出されることで、初めていままで触れていなかったさまざまな選択肢があると気づくということ。そもそもあることを知らなければ、自分は持っていないからほしい、という欲求さえ浮かぶことがない。あらゆる分野に当てはまる話。
歩き回ってくたびれて休憩のために入ったファミレスの2階から、傘をさして行き交う人の様子を時折見下ろしていた。メロンソーダの柄の傘をさしている人や、服を着た大型犬の存在を会話の途中で声をあげて教え合う。
メニューの写真通り、もみじがガラスの側面に本当にくっついていたパフェよ。
帰宅し、しばらくして荷物が多いパートナーの迎えに駅まで再び向かった。
パートナーが持って帰ったパンが美味しくて味見をしすぎる。