忙しい週の中日にもぎ取った休み。
閉店じゃなくて移転なのだからもういいかげんにしなさいと思いつつ、サバマヨを食べられなかった無念を晴らすため、米粉ベーグルに小豆とハニーセサミサンドをもう一度食べたいという執念で足を運んでしまった。
結果、サバマヨは売り切れていたわけですが…前回の教訓を胸に、水分が出やすい具はクリームチーズを糊兼ふたにする、を試みたところ、大正解だったもよう。そしてブルーベリーのベーグルも、シナモンレーズンと同様ほんのりの甘さともちもちかげんがサンドイッチ向き。
小豆ハニーセサミを明日に持ち越しつつ、セブングレインハニーフィグにバナナとカシューナッツシュガーを挟んだこちら、ベーグルと砂糖とカシューナッツのじゃりかりとねっとりしたバナナの食感、それぞれの違う素材の甘みがあわさってハイカロリーなお味におびえつつもりもり食べてしまった。いやーこれは、これは、、、
午後、気になっていた映画を見に初めての映画館へ。
パンフレットに掲載されていておや?と思った文章が上記公式ページにも載っていたけれど、"社会的弱者への偏愛“という表現はこの映画にふさわしいフレーズなのか、少し引っ掛かりをおぼえる。特に「偏愛」の部分が気になってます。
自宅を長期で離れる主人公が冷蔵庫のなかの材料全部使って作ったスープを親しい人たちにおすそ分けしにゆく、その場で交わされるちょっとした会話から、彼や彼を取り巻く環境について少しずつ観客は理解し、また想像を膨らませていく。スープおすそ分けシチュエーションは友人(あるいは姉)分だけ存在し、その違いがとてもいいなと思いながら見ていたのだけれど、そのひとつに、立ち話をしばらくしてから、そうだ、と思い出したように手に下げたビニール袋を相手に突き出す、というやりとりがあり、自分の友人との物々交換の光景を思い出していた。
そうした日常の生活の切り取り方や、自然の映像の美しさに引き込まれつつ、普段わかりやすいサインや言葉優位の表現媒体にしか触れられていない、いや触れている媒体のせいというより、そこから表面上のわかりやすい記号しか受けとろうとしてこなかった、自分のさまざまな表現に対する姿勢を思い返し、もっと多くのものを受け取れるはずなのに、こちら側の体制が整っていないな、と少し落ち込みもした。
また、ブリュッセルが舞台の話という情報だけ確認していたので、フランス語が聞こえてくると思っておらず、耳になじみのある音にこれは、とびっくりした。公共空間で出会う人々間の決まった、あるいは親しい人々間の短いフレーズなら私にも聞き取れるレベルのものが多かったため、(初歩の初歩しかわかりません…)多少馴染んだ言葉として親しみを持ちながら耳が音を拾ってしまう。しかしこの映画の中ではフランス語を話す人物が多く登場するものの、ブリュッセルは他の国から移住してきた人々が多い多言語都市で、パンフレットではバス・ドゥヴォス監督の「ここでは会話の始めに自分が話していることを理解できるか確認する事が頻繁にあります。そのような街で私は何を頼りに人は他者と繋がれば良いのか常々考えています」というインタビューも引用されているため、母語とは異なるフランス語を選択して/引き受けて話している人々もこの映画の中に複数人登場している意味を想像した。(もちろんどのタイミングで移住してきたか作品内だけでは明かされていない人に対して、見た目だけで「この人は元々のフランス語話者ではないかもしれない」という想像をかってに押し付けてはならないし、だから自分が話している内容を理解できるか最初に確認する必要があるのだな、と理解する)
やっぱりこうやってパンフレットや文字になっている情報を得ていろいろ考えるほうがどちらかというと得意(とても上手いわけではない)だし好きなんだろうな、しかしな……と思いつつ、パンフレット情報により、ル=グウィンのエッセイに着想を得た脚本と知って‼️となっています。梨木さんの著作もいくつか思い出している。
そしてこちらも見たい。
映画館を出た後古着屋があるエリアまでふらふらと歩き、いくつか見るも、この時期ってシャツは倉庫にしまわれがち…?以前買ったお店のものをかなり愛用しているのでほかの色もと思っていたけれど、やはり店頭にもなかった。オンラインストアから消えていたので薄々覚悟していたが…別のエリアで先日見かけたので、またそちらにいく時に見てみることにする。エリア別の古着価格がようやくわかってきたこの頃。
晩ごはん、食べなくてもいいのではと思いつつ長谷川あかりさんのしらす出汁で豆腐を煮、せりと白ゴマを追加したものを食べました。もう少し醤油とみりんは減らしてもよかった。山椒が肝だなと思うレシピ。
食事後、八百屋で買った甘夏をむいた。むけたらタッパーにぽいぽい入れていくシステム、うまくむけない分はわたしの口に吸い込まれていくので、これが冷蔵庫の中におさまっている状態が愛とはよく言ったものだ、という量になった。