月曜日だけど休み。朝一ジム、朝ごはん、『庭のかたちが生まれるとき』を読みおえた。先日読んだ「石に歩かせる」のエピソードより遡った箇所が気になり、改めて読み返す。数値としては水平で、しかし見た目が水平ではなく見える板石を調整する「偸む(ぬすむ)」(見た目と実際の数値、どちらも完璧には調整できていないけれど決定的に間違っていない位置を探る、やりくりする)技法、どうにも調整がつかない石のクセを「捨てる」(関係を取り外して非関係にする)ことで共存させる技法、それらが組み合わさって係争状態がつづく「物騒な共存」が可能になる、というエピソード(p.235〜)がとてもおもしろい。そこから続く三叉を動かす際の三者と木の棒がもつれあう均衡関係、コミュニケーションにオペラシティで2021年に見た、加藤翼の展示「縄張りと島」を思い出す。折衝。二者間ないし複数のあいだで発生するかけひきの状態。宙吊りであること。

長谷川あかりレシピにうずらを足した。八宝菜の要領。自分で作るといくらでもうずらを足せるしいくらでもよそえる。牡蠣の出汁がきいていておいしい。また作る。
ちょっとずつ読んでいた千葉雅也『アメリカ紀行』も読み終えた。酸味のある明るい色のコーヒーをやたらと飲んでいる描写がある。アメリカは浅煎りがメジャーなの?サワードウブレッドのエピソードから、千葉雅也が酸味のあるパンは苦手なことを知る。食べものの味の話もおもしろく読みつつ、差別なき世界を軍事力で守ることに迷いがなく見えるゲイの黒人男性、クィアのノーマライゼーションに関して思うところ、この国のIとYouを定めて話すこととの距離について思索する箇所が特に印象に残った。特に二つ目についていまも同じスタンスなのかなと思いながら検索したら、かれが婚姻制度に組み込まれる同性婚よりフランスのPACSを支持するという姿勢を表明する記事を見つけて納得。同じスタンスなのかな、という疑問はその言葉どおりの意味で、そうした意見を持つことが理解できないという意味ではない。