筍ごはんをパートナーに任せて図書館に本を返しに行ったら閉館後だったかなしみ。いいんだ本を返しに来ただけだから……と自分をなだめつつ、ブックポストに本を投じて少しだけ遠回りして帰宅。そしてわたしが作った色々なものを突っ込みすぎて具沢山の域を超えているスープと筍ごはんで晩ごはん。筍はわたしが茹でました。パートナーの米の炊き加減があまりに好みでまたもやおかわりをしすぎる。好みの米の固さを共有しているのもある。高山なおみさんのレシピは、ごま油を小さじ2入れることで風味がつくこと、また油分でコーティングされた米がぱらっとする点がよいらしい。米炊き用ストウブを買ったものの、うちのIHコンロだとビタクラフトで炊くのが一番よね、という結論に達している。小型ストウブはストウブで別の用途で大活躍なので特に何も問題がなかった。
一緒に炊いた後、細切りにして戻した昆布の食感も好き。
『結婚の社会学』を読み終えた。
現在の婚姻制度を維持するため、保守的な言説の一部として取り上げられる、結婚に関する「伝統」が実は大した歴史はなく、いかにして作られたものであったか、結婚をめぐる規範の変化や、家族観の変化に伴い変化してゆかねばならないはずが人々のニーズに追いついていない制度の現状、そのニーズの分析等、「結婚」のあり方から浮かび上がる個人・その個人が生きる社会の状況がある程度把握できる一冊。前々から気になっていたエリザベス・ブレイク『最小の結婚』も引用されていて、「異性愛以外のさまざまなオルタナティブな関係の社会的地位を向上させるためには、結婚をなくすのではなく、結婚という言葉の意味を撹乱する必要がある」という考え方にはとても賛同するし、「なぜ私たちは(法律で認められた)友だちになれないのか?」(Why can't we be (legally-recognized)friends?)の例もとてもよかった。
30年間一緒に暮らしている親友関係にある二人の年配女性のケースです。一人が病気になって病院に行く必要があっても、その友人は配供者や近親者ではないため、見舞いに行くことができない可能性があります。
例えば一方が亡くなったとき、遺言書に他方について何も記載されていなければ、どれだけ長く暮らしていても相手の財産について発言権はありません。同性婚が認められても二人が結婚しなかった理由は、お互いに恋愛的な魅力を感じていないからでした。
しかし、ブレイクはこう問います。
なぜ二人の関係はロマンチックな恋愛関係よりも価値が低いとされるのか。重要ではないと見なされてしまうか。なぜ思いやりをもった二人の関係に結婚と同じ法的権利が与えられないのか。
プレイクは、現在結婚によってしか手に入らない法的権利をできるだけ多くの人に保障する方法として、最小結婚を提唱するのです。
p.262-263
事実婚に関しては選択制夫婦別姓を選択できない現状に絡めた話が印象深く、現状その制度が成立したら現在の「事実婚」から法律婚へ移行したいという人の方が多いのかなとは思う。一当事者としては最初は名字を変える手続きから何から女性側ばかりに負担を強いられる制度を利用したくないし、かといってパートナー側にも自分が嫌なことを強いたくない、という理由から「非法律婚」を選択したけど、今は国に「家族」の単位として管理されたくないという気持ちが強い。
また引用されていた「将来子どもにしてほしくない生活像」の国際調査比較が平成16・17年なのは古すぎない?と思ったけど、日本と韓国に対してフランスやスウェーデンは圧倒的に規範的意識が薄いと思いきや、「一生独身でいる」「子どもを持たない」の数値は高くてびっくりした。パートナー関係の形(同性・非法律婚)や子どもとの血縁関係を問わなくとも、パートナーも子どももいた方がいい、という考え方は強固なのだなと さすがに20年経った今は方向性が変化しているのだろうか。
同性カップルの関係を法的に保護する制度について、北欧は婚姻と登録パートナーシップの差が消滅したことにより後者が廃止されたけれど、オランダ、フランス、イギリスなどキリスト教の社会では「結婚」は「宗教婚」の意味合いが強いため、両者の差がほとんどなくなっても「婚姻」の宗教性を鑑みて後者の制度を残している、という経緯の説明も興味深かった。前者に含有される性質を避けたいひとのために後者が存在する、という制度のあり方、そもそもの国における婚姻の宗教色の違いもあるけれど、様々な生き方を選択し、社会からその生き方を保障されることができるという状況、まったく追いついていない国に住む人間として、途方もなく遠い。
しかしその次の日本における同性愛のあり方として、かつて衆道というものがあった、というくだりはもうすこし詳しい説明が欲しかったかなとも思う。そもそも衆道が対等な二者間の合意によりなされるものが多くを占めていたのか?とか。