ようやく本物の2月末がやってきて、明日はカレンダーをめくりまくるぞ、と思いながら帰宅前に自分のデスクのカレンダーだけ先にめくって3月にした。
長く指導という名のもとに受けてきた理不尽な仕打ちを、自分が別の誰かを指導する番になった際、同じように引き継いでしまうとする。理不尽な仕打ちは、おそらく自分に「指導」をした人も、さらにその人に「指導」をした人から引き継いだものだ。自分の番になったとき、その仕打ちが倫理的に到底許されないものである、あなたのやったことは「指導」ではない、他者を害する行為である、と第三者から突然糾弾されたとき、その指摘を素直に受け止めて考えを改めることができるようになるには、どのような段階が必要なのか。あるいは理不尽な仕打ちは「指導」を超えた他者を害する行為であると気づいて、別の誰かにその「指導」を引き継がないようにするにはどのような環境が必要なのか、ということについて考えていた。その判断ができないほど劣悪な環境に長く置かれている、他者を害する行為とそうでないものを判断できるような教育をまったく受けていない、と本人の自主性をすべて奪った判断を第三者がくだすのは違うと思うけれど、それにしたって本人の資質の話だけで終わらせてしまうのは絶対に違う。しかしこれはその「指導」を行い、他者を害した人を許せ、という話でもない。