プールの底を歩いているような足取りの重さは、湿度と気温だけでなく筋トレで筋肉痛になった太もも由来でもある。夜の30℃を喜ぶなんてどうかしていると思いながら、昨日も今日も昼間よりは幾分かましなもわっとしたぬるい空気のなか散歩をした。これに慣れることがあるなんて。
石丸伸二のYouTubeを親が送ってきたことを思い返して、時間差でさらに落ち込んでしまったのは、SNSのおすすめ欄に石丸氏の悪評がたくさん流れてくるようになったからというのもはとつの理由ではあるけれど、それ以上に、わたしは親に、社会正義とは何かを考えたり、弱い人たちへの目線を持つような教育を受けてきたからこのような人間になったと思っているのだけれど、親からしたらそれは建前にしか過ぎなかったのだ、もちろん子どものわたしには基本的に「やさしい」のだが、ということにまで考えを発展させてしまっているからというのもある。パートナーと一緒に住む報告を親にした際、婚姻届を出さない親から生まれた子が学校でどのような扱いを受けるか、ということを教育者である父が話して、その言葉に非常に落胆し、怒りと悲しみのあまり言葉を詰まらせてぼろぼろと泣いてしまったこと、それは差別だ、問題は子ども側ではなく、そのような扱いをする側、その問題に取り組まない学校や教師、社会の側にある、と言えなかったことをずっと後悔している。あれが何年前かを考えればいまにはじまったことではないのだけれど、あのことは一生忘れない。しかしこういうことを書くとき、一瞬吐き出してすっきりした気がするけれど、親のことを一方的に責め立ても結局自分がつらくなるばかりだし、あなたの親はひどいよね、と同調してもらうこともまた、そんなつもりではなかった、と言い分を中途半端に引っ込めたくもなったりする。身内と括っている人たちとの距離、自他の境界線の引き方がうまくない。わたしだけではないのだろうが、こちら側がナイーブすぎるのではといやになるときがある。
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昨日の続きの晩ごはん。
タイトルにカロリン・エムケ『憎しみに抗って:不純なものへの賛歌』を思い出していた。
対話しようとすること、競争の論理の中で生きるのではなく、共に考えようとすること。それは暴力に抗することです。
だから、共に考えるという行為は、共に行動する構えをつくるとも言えます。世界に根差しながら、世界を見ようとすること、あるいはきこうとすることは、過去から手渡されるものをおそれながら受け取り、未来に自らを投げいれながら、同時代を生きることのように思われるからです。
まいっていた身体に染み込むような文章だった。共に生きるために、共に生きたい。
(追記)

イギル・ボラ『きらめく拍手の音:手で話す人々とともに生きる』を読み終えた。コーダの筆者が世界唯一のろう者の大学と言われているギャローデット大学内のカフェテリアでコーヒーを注文する際、アメリカ手話がわからず口話で尋ねたところ、基本的に学内では口話を使わないルールのため、店員に怪訝な顔をされるエピソードがとても印象に残っている。筆者の両親が外の世界では日常的に体験していた対応を、筆者はこの大学内で初めて体験し、初めて親の気持ちを知った、と記述するエピソード。「ろう」は文化で手語(本文内では「手話」ではなく「手語」表記)はひとつの言語、とこの本を読むまできちんと知らなかったことを悔やんだ。ろう者と聴者は違う言語を使い、違う文化で生きる人たち同士であるということ。コーダはその言語と文化のあいだで橋渡しをする人。「日本の読者のみなさまへ」で映画を見たカナダの移民2世の観客から、自分もまた英語が話せない両親に通訳をする役割を果たしていたことから、これはコーダの話だけれど同時に文化と文化が出会うときに起こることなんだと認識した、と感想を伝えられたという記述からも、その事実を再び確認した。