ピクニックマスターの友人とおいしい中華を食べ、ドーナツを持ってピクニックに向かった日。散々悩んだ末、青菜のXO醤ソース炒め、海老の蒸腸粉、えびワンタン麺、蓮の葉のちまきなどを食べた。蒸して食感がもっちもちの炭水化物に吸い寄せられがち。

米の粒がしっかり残っており、かつもちもちしているここのちまきが一番好きかもしれない。

友人がコーヒーを買いに行っている間、少しだけ持ってきた本を読んだ。風が時々強く吹いて、半袖では少し寒かったかなと思いつつ、膝を抱えたり片膝をついたり、体勢を変えながら帰ってきた友人と時にぽつぽつと、話題によっては矢継ぎ早に、あれこれ話す。ヤマシタトモコ『HER』の一話一話をコマ割りまでくっきり覚えていることに笑い合う。かぎ針で編み物をしている人が近くにおり、外で編みものもいいよね、と以前、編み物セットを持参しつつも、結局会話に夢中でほとんど手が進まなかったピクニックの思い出がするするとひっぱり出された。

固い穀物がたくさんついたドーナツと悩んでいたら、食べたことのない方にすれば?と後押ししてくれた友人のおかげで、最近あまり選ばないタイプの食感のドーナツを食べられた。
友人はK-POPアイドルのファンなので、最近聞き出した寅の子すて〜しょんというPodcastで、配信者の方が好きなK-POPアイドルの男の子たちの話をしていた、好きなジャンルとしてあなたの方が聞いたらいろいろわかっておもしろいかも、と勧めてみた。また、そのPodcastでは好きなK-POPアイドルグループのメンバー間に見られる関係性について、男性間に見られがちなホモソーシャルとの距離を大きくとった、同性間の親密な関係性が形成されていると認識しており、それは広く、人間同士一般の、二者間や複数の人物と結ぶ友好な関係の理想の姿とみなせるのではというポジティブな話題が登場して、私自身も好ましく思った、というエピソードを紹介したところ、彼女が好きなグループとPodcastで名前が上がったグループは雰囲気が近く、ファンの移動も見かけたことがある、いま追いかけていたらとても楽しいグループだと思う、と教えてくれた。私自身はアイドルを推すという行為と、もともと心の距離がかなりあるし、そもそも生きている人のファン活動をやるタイプの人生の楽しみをもう新たに見つけることはないかもなと思うこの頃だけれど、親しい友人から直接楽しそうな話を聞いたり、また寅の子すて〜しょんで取り上げられているような話題を耳にすると、そうやってあまりにもきっぱりありかなしかで決めつけてしまうのも良くないのだろうな、それはそうだろう、とも揺れる。誰かの好きを否定したいわけではなく、しかし最近SNSで見かけた女性アイドルグループのプロデューサーの権力を握る年上の男性としての振る舞いや、フェミニズムを前面に出していくようなプロデュース方針に反するプロデューサーの発言への批判、10代のメンバーも含む女性アイドルグループを「推す」という行為自体が搾取の構造に加担することではというファンの気づき等、いろいろ他人事ではないなと思って見ていたのもあり、もう割り切れなさにしょっちゅう揺らいでいる。
揺らぐと言えば、さっき買って読み始めた小沼理『共感と距離感の練習』の冒頭からあまりに心を掴まれてしまったので引用したい。
いつも自分のことを中途半端だと感じている。わかるともわからないとも、イエスともノーとも言い切れない。ああでもないこうでもないと明確な結論を出せずに、ぐるぐると考え続けている。
だけどそれならせめて、ちゃんと中途半端でいたいと思う。答えを急がず、単純化せず、抱え続けていたいと思う。そのために、自分に問いかける。「考え続けている」という顔で思考を放棄していないか。たまには羽を休めてもいいけれど、そればかりになっていないか。多くの人が積み重ねてきた蓄積があり、どんな立場を取るべきか明白なものに対して「それぞれの正義」などと安易に相対化していないか。時間をかけて考えた言葉に固執して、別の重要な言葉を見過ごしていないか。揺らいでいるか。無防備でいるか。
わかっています、という顔でいたくない。決断に対して責任を取りたくない、取れないというのとはまた別の意味で。30代半ばを過ぎてもこんな状態とは全然想像していなかった。もう一生このままかもしれない。生まれ変わるならドラゴンがいいけど、不器用すぎて周辺にいる存在を区別なしに傷つける可能性があるので山に籠るしかない、パンを持って会いにきてください。