ずっと気にかかっていた仕事がひと段落つき、ほっとしつつ、自分の仕事の比重として生活を仕事に侵食されすぎない、をモットーとしたい気持ちが高まる。職場において、自分がかけがえのない存在とは思ってはいないし、代わりが効く方がむしろ好都合ではあるのだが、この仕事は必要だし個人的なやりがいは感じてはいる。あくまで資本主義社会における賃金労働としての仕事を自己の生活の中でどこにどれくらいのボリュームで置いていくのがよいか、という認識の話。
朝ごはん。米粉の代打セブングレインハニーフィグ、というのは失礼なくらいこの組み合わせもはまっており、好きなベーグル屋の魅力に全く気付かぬまま10年ほど通っていたな、と自分のぼんやり加減を何度も反省。本当に唯一無二だと思う。
メトロミニッツの最新号が三崎なのでみなさんメトロで見かけたら手に取るとよいと思います、という謎の広報をする。好きな飲食店のグループ経営店(という表現でよいのか)が三崎にできるという情報を数ヶ月前から入手して楽しみにしていたので、絶対載ってるだろうな、という期待を込めて開いたらやはりだった。向かいの島の洒落てるフィッシュ&チップスのお店も、新しくできるクレープ屋も、前からあるドーナツ屋も行ったことがない魚メインのお店も、だいたい胃が足りないので、年に最低2〜3回は訪ねる必要がある地。
1日経ってももちもちで、サンド翌日に持ち越しても全然いけるじゃん…という確信を得たところで、次回行けるの(新店舗)は5月かな、という悲しさよ。冷凍庫のベーグル単品を見よ。
ごぼうのケッパー蒸し、昨日から引き続き食べているけどやはりかなり好きだ。ごぼうの糖質いかがですか…と怯えながら定期的に作りたいレシピになった。
ジョージ朝倉『ダンス・ダンス・ダンスール』に今更ながらはまっている。もともと有吉京子『SWAN』を繰り返し読み返す少女時代を経て、大人になってから山岸涼子『アラベスク』『テレプシコーラ』も読み、今の食い意地の張り具合や体型的に嘘でしょ?!って感じなのだが、実は小さいころバレエをやっていました、、、朝まで踊り倒しても誰も咎めないようなスポコン漫画としてのバレエ漫画の時代を経て、もちろん無茶なレッスン描写もなくはないけれど、それが基本ではない、むしろ自己の判断で長時間個人練習を続けることは身体にも悪影響がある、と指導上、明確にそれをよしとしない描写がきっちりあり、実際そうなのだろうけれど普通に芸術に従事する人であってもこうあるべきだよな、という思いを強くした。もちろん理想の体型への非常に繊細な足切りはあり、ビジュアル重視の世界であることには難しさも感じつつ、また、漫画表現としてエモさに振っているな(表情の描き方、心象表現重視の華やかさ)という傾向はあるものの、コマとして伝わる内面表現の豊かさ、細やかさに惹かれてしまう。手放しに賞賛しきれない部分、また「愛」という言葉の便利さに鼻白んでしまうタイミングはあるものの、作中におけるバレエ教師から主人公への(バレエは)「人生の豊かさを愛を持って伝える」ものだろ、という言葉に、単純に感情を解放しすぎかもしれないと留保しつつ、非常に感じ入ってしまった。生きていることは良いことだと思いたい、そのすべてではないけれど、表現のバリエーションのひとつとしてあるバレエ(身体表現による芸術)のよさを、この漫画を読んでいる時間だけでも信じたくなってしまった。きらきらとしたものを見たい。いま、とても好きだったものを好きでいられた頃を懐かしんで、当時の自分がうらやましくて仕方なくてずっとめそめそしている自分がどこかにいて、その欠落を埋めるものを探し続けてしまっているのもある。すべての急激な「好き」に対して一歩引いていたいという考えはむしろ歓迎すべきで、手放しで「好き」と思えるものにはむしろ用心すべきだ、とはわかっている。
そんなこんなで『Here』『ゴースト・トロピック』と2作見たために予告編を2回続けて見たこと、見るなら今では?という演目だったのもあり、非常に気になっているオリガ・スミルノワのジゼル in cinema。鑑賞タイミングをはかりたい。