3月12日

socotsu
·

かなりひさびさに新しい人が近い部署に入ってくるらしく、楽しみではあるが、こちら側がちゃんと新しい人を育てられる環境なのか心配ではある。他人事ではなく自戒を込めて、自部署ではないので気にかけておくくらいしかいまの段階ではできないかもしれないが…

〜であらねばならないが多いのは、そうやっておしりを叩かないと腰を上げない自分の行動力のなさゆえ、あるいは逆方向に走っていこうとする思考のくせがあまりにも強いからで、〜ということをすべきではない、と考えるとき、だいたいその見直したい・推奨しない行動に結びつくような芽を自分のなかにも見出しており、誰よりも自分に言い含めるために言葉にする必要があると考えている。怠惰だし、正しい行動を取ることができるような、自然な思考がぜんぜんできない。むしろこうなりたい自分と逆パターンの思考のくせがあまりにもついてしまっている、ということを常に自覚し続けることでなんとかやっている、つもりでいる。とても疲れるけど、きっとみんな多かれ少なかれこうやって生きているのだから仕方ない。

職場に持参したねぎおからはやっぱりかなりぱさぱさもさもさで、一口がそんなに大きかったとは思えないけど、喉に詰まらせてしまった。詰まらせた、というより詰まりそうになった、なのか、そして喉というより胸のところまで降りてきてそのあたりに一瞬とどまっていた、なのか。水分を流し込んだら、これが本当の「胸のつかえがとれる」か?という感覚を味わうはめに(不本意)。しかし帰り道になんとなく大量のねぎおからのことを思い出し、あのぱさぱさおからを救出しなくては、と決意を固める。帰宅後、即鍋ににだしパックと水を放り込んで出汁をとり、そこからだしパックアウト、交代にねぎおからイン。さらにおかかを一パック入れて煮てるのか炒ってるのか練ってるのかわからない状態だけどしっとりしたからいいか、というところで救出劇の一幕終了でした。二幕は食卓の上で。

家具屋の方にいただいた黄金柑と、出汁の隣のコンロで茹でていたささみ、ターサイのあえものは、先日友人宅で作ったホタルイカをささみに置き換えたもの。海のものから山のものへ。ホタルイカが最寄りスーパーに富山産の高いものしかなく、購入に踏み切れなかったのが理由です……。先日行った中華料理のとてもおいしかったあえものを真似て、歯ごたえのあるもの、きくらげあたりを入れても良い気がする。

豆腐に小口切りの小ネギをかけたもの、ねぎおから、百合根とセロリの炒め物、ターサイとささみと黄金柑のあえもの

みためがかなり地味め。そしてこれにスープも。

今日から始まった国立西洋美術館の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」はもともと気になっていた企画展だったけれど、昨日内覧会にてパレスチナ侵攻と、国立西洋美術館のスポンサーである川崎重工業株式会社への抗議活動がおこなわれたというニュースがSNS上で目に飛び込んできたため、アートの現場での抗議活動を支持する意思から、そうした行動を取るアーティストを含む企画展に改めて興味が湧き、内容について詳しく知るため、ホームページにアクセスした。

出品リストを眺めていたところ、長島有里枝さんの毛糸作品『ゲージ編みI〜Ⅴ』が目にとまった。

とても気になるなとググったら出てきた白水社のwebふらんすで経緯が明らかに。編みもの、今年は例年に比べほとんどできておらず、さわってはいるけど進行が亀の歩み、という状況に対して、完成するためではなく編むために編むのよ、と自分を奮い立たせてはみるものの、初年度から参加し続けていた政治的な手芸部も今年は不参加だったしな、とこと編みものに関しては気持ちが後ろ向き気味。そのタイミングでのこの企画展の情報だったので、はしっこがみつからない毛糸玉のように気持ちがもつれながらも、やっぱり編み続けたいし、自分と編みものを接続させたい。いまはBluetooth接続(夜ふかしの読み明かしの哲学対話ぬいぐるみ回)がしづらい時期なのだと思い込みたい。

こちゅみ、にゅみ、にゅみたむ呼びがかわいすぎるのよ。

わりと長年使ってきたラロッシュポゼもロレアル(イスラエル支援企業)ということを遅まきながら知り、今使っているものを終えたら下地を切り替えようと考えている。近い使用感の代替品を探したいが何かあるかな…

@socotsu
そこそこ