4月19日

socotsu
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自分の考えを都度立ち止まって思考しながらゆっくり話す人と、ご飯を食べビールを飲み比べ、それからお茶を飲みながらいろいろな話をした。最近読んだ本の話や身の回りの話、とても楽しい時間を過ごしつつ、ひとと話すのって難しいですね、という話を共有できたのが特にうれしかった。

わたしは仲が良い・仲良くなりたい人と込み入った話をするとき、どうにか細かくて伝わりづらい話を伝えようとして、言葉を言い換えたり、重ねたり、ちょっと引き返したりと、とにかく饒舌になりがちで、でももう少し落ち着いて、沈黙を恐れずにゆっくり思考し、保留の棚にいったん預ける、ということも検討すべきじゃないか。細かく話しても受け止めてくれそう、と思って細かく込み入った話をするのは相手を信頼しているからで、じゃあなぜ沈黙を恐れてしまうんだろう、同じように沈黙も引き受けてもらえるだろうと、相手を信頼すればいいのに。信頼に含まれる、相手の負担にならない適度な寄りかかり方を模索したい。

また、いま自分が話したいことに無理に引きつけて話してしまってはいないか、お互いが話しやすい空気づくりは必要だけれど、「わかるよ」というような過剰な相槌は、本当の意味で分かり得ないことまで「わかる」の引き出しに押し込んでしまうことではないか、それは誠実な態度と言えるのか等、相手の話をただ聞くということはどうすれば可能なのか、まさに先日読んだ尹雄大『聞くこと、話すこと』がそんな話だったじゃないの、と思ったけれど、まあ本を一冊読んですぐなんとかなるようならこんなに苦労してはいないのだった。気づきを得られないような本という意味ではなく、現実の実践として。日々練習だ、と思うけれど、この練習はいつだって本番でもあって、いつか来る本番のために、という類のものではなくて、『生活の練習』(朴沙羅)リスペクトの言い方です。

竹でできたリボンの形の箸置きと、リボンの絵が描いてある箸置きが包まれていた紙の容れ物

素材の質感と形のかわいさのバランスがすてきなおみやげをもらってしまった(うれしい❗️)。

@socotsu
そこそこ