休みの日、9時に目覚ましをかけても8時ごろに目が覚めてしまったときはだいたいパートナーが起きてくるまで運動。今朝はまだ空は曇っており、比較的涼しかったので、ぱっと着替えて外を走ることができた。走りながら寅の子すて〜しょんを聞き、「クワロマンティックの実践」について考える。これについてはいつか興味のある友人らと話したい。
再び西に向かうパートナーを見送ったあと、好きなお惣菜兼ベイクショップへ再訪を果たす。西荻の和食屋さん、幡ヶ谷のベイクショップそれぞれのお店出身のおふたりの通し営業店、この立地だからこの人気でおさまっているけど・近所に欲しい店シリーズです。定食と迷いつつお酒が飲みたかったので、惣菜5種盛り合わせにコロッケをひとつつけたら、前回より盛りがよくなっている気がしておなかがパンパンになってしまった。ポテトサラダ、毎回頼みたくなってしまう。ブロッコリーとほたてのアーリオオーリオも特に好きだった。次回はパートナーや友人と昼過ぎ〜早めの夕方に来てあれこれ頼みたい。
見返してもかなりの量。よく食べました。
定食を頼まないのはこの揚げたてコロッケ食べたさもある。揚げたてコロッケの誘惑にあなたは耐えられるか。
おみやげの🐖です。
食後に移動し、水曜日しか開いていない好きなクッキー屋へ。
いつも数種類が少しずつ卸されているお店でしか見かけたことがなかったので、お店の平台と店員さんの背面の棚いっぱいに並んだクッキーの山に内心うれしい悲鳴をあげていた。実店舗でしか買えないスコーンにようやくお目にかかれ、感慨もひとしおです。
帰宅後、明日明後日の分にしては量が膨大な梅チキンラタトゥユを作り、朝仕込んでおいた卵ピクルスと合わせて弁当セットを作っておく。(弁当を朝作っている、詰めている人への尊敬の念)
ハン・ガン『別れを告げない』を読み終えた。さまざまな時間・場所に生きる人たちが苦しみを語る声が個を保ったまま多層に響いてきて、どれほどつらくとも耳を塞ぐことができない。読後、振り返って考えていたらなぜかMETライブビューイングで見た「めぐりあう時間たち」のことを思い出したけれど、凄惨な歴史的事件(済州島四・三事件)を物語のテーマにするときの、作者の筆致の豊かさ、ここにいないかもしれないひと・ものがここにいるかもしれない、という描写を、時間と空間をこえたユニゾンととらえ、その広がりに目を凝らしていたので、内容というより、どう語るか、の部分に共通点を見出したのかも。
訳者あとがきにも書いてあったけれど、作品全体を通してキーとなる鳥と雪というモチーフの扱い、描写がよかった。作中で登場するオーラル・ヒストリーに朴沙羅『家の歴史を書く』を思い出しながら読んだし、『スープとイデオロギー』を見なければと思うが、作者の未読作品ももっと読みたくなっている。韓国文学、という括りは大雑把すぎるかもしれないけれど、日本語に翻訳され、私が読んだことのある韓国文学作品は、歴史的事件が背景にある前提で描かれ、読者にも読む際それを念頭に置くよう自然に求めるものが多く、その向き合い方に、日本に生きている一読者としてはたびたび背筋を正される思いになる。日本が韓国にしてきたこと、という意味でも、日本の文学の歴史との向き合い方においても。
「疎開令」と「焦土化作戦」にガザのことを思い出さずにはいられないと思っていたら、訳者あとがきのなかでも、作者インタビューで「人類が長い歴史の中でずっと繰り返してきたジェノサイド」に言及していた、という文脈で触れられていた。起こった出来事のそれぞれの固有の要因についての認識を保ち、薄めぬまま、いずれのジェノサイドも放置してよい状況などこの世界のどこにもない、と言い続け、その意識を共有することは可能だ。