6月12日

socotsu
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公開:2024/6/12

先週くらいから歯が時々じわっと痛い…?これは…?と思い、予約をとってどきどきしながら歯医者に向かったところ、虫歯はひとつもなく、食いしばりにより歯にプレッシャーを与えている可能性が高いことが明らかになった。なんとなく予想はしていた。マウスピース作成を即決しました。長く固いものを噛み締められる歯でいたい…

休みの日はだいたい食べたいものをメインに足を運ぶ街を決めることが多いのだけれど、今日は珍しく気になる服を置いているお店がある街に狙いを定め、店を何軒かはしごして試着をし、服を買わなかったり買ったりしました。内一軒で、他のゆたかなセレクトショップ(さまざまな意味で)のショッパーを手にしたゆたかそうなマダムが目当ての服を選びながら店員さんに、(そのコーナーに置いてある古着やアクセサリーが彼女が好んで旅をする国の服装に親和性があったため)○○の正装はこれこれこういう感じなのよ、あたし○○が「ヘキ」だから〜とナウい言葉づかいをされており、会話から伝わるパワーに静かに圧倒されていた。彼女と同じくらいの年齢であの財力体力気力を保持するには、すでに何もかもが間に合わない気がする。わたしはわたしの道を。とりあえず夏はTシャツorノースリーブにおもしろい色や形のパンツを合わせます。

服に焦点を当てたのがよくなかったのかもしれない、その街にある好きなお店のキッシュプレートをひさびさに食べたい、と服の用事を終えた後ようやく向かったところ、ランチがすべて売り切れていた。おなかが空きすぎてもはや無の境地、と悲しみに暮れながらも、ここは絶対やっているだろう、と通し営業の別の好きなお店に空きっ腹をかかえつつ、なんとかすべり込む。

青菜、海藻入りスープ、水餃子5こ、キクラゲと豚の煮込みとハト麦ご飯のセット

お腹が空きすぎて水餃子もうっかりつけてしまった。ここのラゲーライスがとても好きで、セットの青菜とスープも味が濃すぎずちょうどよく、家の近くにあったら週一で食べたい味、学食のクオリティではないんだけど、心の学食の位置付け。ハト麦ご飯(好き)、かなりボリュームがあるので毎回頼んでから量を減らしてもらうべきであったと後悔する。しかし食べきれはする。

ピンク色のアイスとアイスコーヒー

悩みつつ、歩けばいいのよと思い立って、みんな大好きSBSまでやってきた。暑すぎてひとが少なめなのか時間帯なのか、わりとスムーズにイートイン。ビーツ&サワークリーム、どんな味だろうと若干不安だったけど、ビーツのとうもろこしっぽいぽくっとした自然な甘みがもともと好きなので、それを活かした味わいでかなり好みのアイスだった。見えていないワンスクープめはキャラメルリボンです。高級サーティワン、なつかしい定番の味。

晩ごはんはほぼいらないおなかだったため、りんごをふたきれ食べた後、明日の弁当や晩ご飯用のラタトゥユを作ってすこし味見。たんぱく質要員としてひよこ豆も入れてみる。

『違国日記』読み返し期間のせいで、小休止で読んだ『傷を愛せるか』の家族でドライブしていたら黒塗りの車にぶつけてしまい、というエッセイがヤマシタトモコ絵で再生されてしまった。その頭で冒頭からめくると『傷を愛せるか』自体が『違国日記』副読本のような気がしてくる。

同じようなことが「予言」や「約束」にもあるように思う。最終的にその予言が当たり、約束が果たされるという保証はない。けれどもいま、真剣にそう思うから、そう願うから、そう信じるから、言葉にして共有し合う。未来に言葉を投げかける。不十分ながらも、不幸の淵に流されつづけると思い込んでいた人に、「幸せ」という言葉を投げかける。そうやって、淵の手前にガードレールがあるということ、あなたが淵から転落してしまわないように社会は安全策を築いてきたのだということ、あなたが溺れそうになったら命綱を投げて助けようとする人はいるのだということを、思い出してもらうのだ。

p.58-59 予言・約束・夢

トラウマを負った相手に言葉を投げかける相手がいることを思い出してもらう、という行為を、筆者は言葉を投げかける相手と投げかけられた「あなた」との双方的な関係の中でのみ成り立つ「約束」とする。互いが信頼し、ある意味リスクを冒すことを承知で結ばれる命綱について、筆者は医者(自分)と患者の関係性に着目し語っているけれど、最終的にはその関係に限定されないような、不特定多数の二者間において発生しうるものとされているように読める展開があり、その広がりに安易にも期待を寄せてしまった。「弱さを抱えたままの強さ」「女らしさと男らしさ」(男女差によらない個人差があり、「女らしさ」「男らしさ」は社会が形づくっている、という前置きがなされた上で、社会における「女性」「男性」それぞれのヴァルネラビリティ(vulnerability・脆弱性・弱さ・攻撃誘発性)は何か、それを抱えたまま生きることの意義深さについて語られる)もとてもよいです。

「弱さを抱えたままの強さ」を男性が提唱し、保ちつづけるのは、女性よりもはるかにむずかしい。自分の気持ちや感情を聞いてもらうことは、「弱音を吐く」ことであり、相手に「弱みを握られる」危険に自分をさらけ出すことでもあり、競争においては不利に働くからだ。「仕事モード」で課題をこなしていくには、感情にふれないほうが効率的でもある。

それでも、だからこそ「弱さを抱えたままの強さ」を目指すことは、むしろ男性にとってより意義深いのではないかと思う。自分の弱さを認め、「鎧」を外し、肩の力を抜き、自然体でいられる男性のほうがむしろ強くて、魅力的だともいえる。そのことを、多くの傷ついた男性たちが、回復過程の中で示そうとしている。

こちらも読みたい本。

『違国日記』とてもおもしろいし、わーっとなるシーンはたくさんあるんだけど、モノローグでなく直接相手に言葉を投げかける台詞として、会話としてストレートでない、小難しすぎないか、とはずかしくなってしまうシーンも多々ある。わかりづらいけど説明しすぎている、と感じる。

ここからはほとんど悪口なのだけど、それは(たいしてそうではないはずなのに本で聞き齧った)(ので会話から単に浮きまくっていた、私の使い方がうまくなかっただけかもしれないが)小難しい言葉を使うたびに笑われていた学生時代の体験を経て、できるだけ平易なことばで言い換えるようにつとめてきた(というとものすごく小難しいことばを流暢に使えるのにそれを隠しているみたいだけれどそんなこともない)とかってに思っている自分にとって、朝に毎回辞書を引かせるような語彙を日常モードで喋り続ける槙生ちゃんへの、ある意味での、この人はこのままで生きていけたのか、といううらやましさ・むずがゆさに端を発するものだ。誰に対してもそう、朝にそうやって喋ることも会話の上では子ども扱いをしない、という槙生の公平な態度として誠実だし一貫性があるのもわかるんだけど、たくさんの槙生ちゃんのなり損ないのうちの1人として中途半端に世の中に適応して生きている感覚をもつ人間としては、こんなに前提を共有している相手とも、そうでない人ともこの調子で喋っていいのか、というやっかみをふつふつさせてしまう。このまま生きてこれた・このまま生きるしかなかった槙生ちゃんに救われつつ、羨望の眼差しをそそいでいる。

@socotsu
そこそこ/日記のタイトルは川柳