3月18日

socotsu
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ドロシーがカンザスから家ごと旅立ったのもこんな日か?と思うような、嵐のような風が吹き荒れていた日、もちろんマスクはつけていたし薬も飲んでいたのに花粉の影響がひどく大変だった。現実世界から遠ざけられる風か、あるいは、といったところだけれど、わたし自身はムットーニワールドから魂がまだ戻ってこられていない感があります。明日への活力を与えてくれるタイプの作品と、むしろなんで自分は日常を普通に過ごしていられたのかわからなくなってしまうタイプの作品があるとしたら、昨日のムットーニは確実に後者。

そんなことを考えつつ思い出していた、昨日感想を書かなかったエリアBの作品『ザ・ダイアリー・オブ・ウイングス』は、エリアAの直後に見るとムットーニ作品のなかでは中編小説ほどの尺の長さで、他より時間がゆったりと引き伸ばされており、装置のインパクトも弱めなのだけれど、現実を起点とし、あるきっかけで複数登場人物らの個別の生活が一気に束ねられ、幻想世界に飛躍する物語としてとてもよく、ムットーニ作品にしては珍しく、現実を生きる力を与える寄りの作品かもと思った。握りしめた風船に魅入られた子ども、鳴り続けている電話を取れない人、通勤電車から降りるタイミングを見失う人、バスケットボールを掴んだままゴール下で立ち尽くす人、老いに怯えながら鏡を見続けるのをやめられない人。後ろ向きな思いと共に止まったそれぞれの時が、ふと思い立った子どもの、自分の意思で風船を手放す行為がキーとなってなぜだか動き出し、中央に据えられた大きな本が開かれ、そこに描かれた翼の輝きとともに、それぞれがそれぞれの生活空間から文字通り飛躍する。濃縮された連作短編小説といったほうが近いのだろうか。私の説明だけだとなんのこっちゃという内容かもしれないが……この作品に限らず、表現方法、装置も全部自前で、表現したい内容と方法がぴったり手を取り合ってこれしかないという表現が生まれているのが魅力的で、荒俣宏がいうように、あくまで人間らしい動きをするわけではないからこそよい、機械仕掛けのぎこちない人形が上演する演劇に心底魅了されている。

ムットーニとは、いつわりに満ちた人間や社会のそれではなく、機械や星の冷たい夢でしか癒されない人たちのための、暗い玩具箱である

────荒俣宏

もうこの勢いで前橋文学館に行ったほうがいいのかな。クロフトベーカリーと抱き合わせできそうだね。群馬は好きな役者のFCイベントで一度行ったきりだけど、最近好きなパン屋・気になるパン屋が増えてきた地。

↑埋め込みURLの頭に😼出てるの良すぎないですか?

今こそ幻想小説を読むべき、という頭でぼんやりしていたせいで(?)予約していたケーキを引き取りに行った店頭でさらに追加してしまった意志薄弱人間です。

いちごタルトとアメリカンチェリーのタルト

両方おいしかったけれど、いちごの方がタルト生地との一体感も、タルト生地もより好み、という結論に。

そして具がもりもりのパンも買った、、

いちじくとなっつ、いろんな種類のナッツがみっしりのパン一種類ずつの切れ

これは冷凍する前にカットして切ったやつ。全部食べたわけではないことを主張したい。群馬の具がもりもりのパン屋と同じ雰囲気の、固いパン主食人間にとっては変わり種の引き出しに入る種類だけどかなり好きです。もう一種類も小麦でパンといういれものを作って、その中にオリーブオイルと水を限界まで充填しているむっちりしっとりパンだった。

晩ごはんはずっと作りたいなとメモしておいたこちら。

軽めの塩〆鰤・新玉ねぎ・甘夏と美生柑とオリーブオイルと柚子胡椒で和えたもの

軽めの塩〆鰤・新玉ねぎ・甘夏と美生柑🍊梅オリーブで和えた大根もはじっこに。結構好きだったので、また作りたい。

@socotsu
そこそこ