5月1日

socotsu
·

ぼくの家の庭には

なしの大木があって

5月になると

まっ白な

花が咲く

たぶん5月は……

一年中で

いちばん

すてきな

季節だ

萩尾望都『訪問者』を読み返したくなる5月なので読み返したけど、別に最高な5月が描かれている5月礼賛漫画ではないのを再確認しました。"彼の家の中に住む許される子どもになりたかった" というオスカーの独白にたどり着くためにこの物語を何度も読み返している。

萩尾望都『訪問者』文庫版

フォロワーさんのいう「非婚非産」というフレーズを用いたツイートでバズっているアカウントが、わたしが別ルートで辿り着いてすでに過去に何らかの理由でブロック済みだった、役職定年に関するツイートでバズっているアカウントだとイコールだと知る。自らの属性に差別的な環境を生き抜くことでマッチョさを身につけてしまい、自らもすでに特権を持つ側にまわったと気づかず別の属性を踏みつけてしまう、すでにやっているかもしれないし、これからも繰り返すかもしれない、と自戒しつつ、だから他者のそれを指摘しない方にまわるのではなく、差別と気づけた行為は差別ですと言えるようになるしかない。社会における自らの属性がどれほど「弱い」ポジションにおかれるか意識し、その状況でサバイブすることは前例を作って後に続く人たちのために道を切り開くことでもあると自覚的である人が、別の「弱い」ポジションにおかれる人を差別してしまうという状況がしんどすぎるが、同じ立場にあっても自分の差別意識と向き合って、うっかり表出させないように努力している人もいると信じたい。これは差別意識ゼロの人はいないけれど、それを他者にぶつけてしまうかどうかとそれはまた別の話、という意味です。

インターネット上の様子で想像はつくけど、対面でもこのように「フェミ」が悪口になる時代なのかどうか、周囲にフェミニストの友人ばっかりでいまいち体感できていないかもしれないな、と思いつつ、昔から好きだったものの看過しかねるポイントを見つめつつ批判しつつ、それでも好きでい続けてしまうような、引き裂かれるような思いを抱えて生きていたい、それは趣味においても人間関係においても、と強く願い、勇気づけられるような漫画を読んだ。なかなかどうして困難ではあるのだが。

ホタルイカとそら豆の炊き込みご飯

ホタルイカとそら豆の炊き込みご飯、時々ぴりっとしたしょうがの刺激アクセントになってとてもおいしい。そら豆は混ぜ込むうちにつぶれてしまったものもあって、もう少しかたちを残すには入れるタイミングを変えたほうがいい?などと想像しつつ口のなかで即くずれる豆の味が好きだった。ホタルイカの醤油と合わさった香ばしいコクも。

@socotsu
そこそこ