たっぷり寝ているつもりなのだけど、暑さにまいっているのか早めの夕方ごろに異常な眠気を感じてしまうこの頃、あるいは自室までクーラーの冷気が届いていない、蒸し暑い状態のなか、根をつめて片付けをしすぎたのかもしれない。秋の風を感じるために早起きをしないといけない。なお、片付けの根をつめたということと、部屋を片付けられたかということはイコールではなく、かなりの量の紙ものを捨てたけれど、すべて引き出し等、見えないところに入っていたもののため、見た目として大きな変化はなし。本については読みたいなと思っていた『エストニア紀行』が家の本棚の奥にあったばかりか、読書メーターを検索したら10年前に読んでおり、たぶんこの手の本が他にもある。もちろんいまは思い出せないが。家のどこかにあるかもしれない本を泥書房のライブラリーに行って探す人たちの気持ちが非常によくわかる体験ふたたびだった。本が多いのではなく本棚が足りないのです。本棚の前に立ち尽くす人生。
朝ごはんのスコーンがわりと重たく、お昼は大きめのおにぎり2種を半分こずつと海藻と豆腐の味噌汁、しかし晩ごはん前におにぎり1/2を食べたのち、晩ごはんにはとろたく細巻きを小ぶりに切ったの3つと鰹のタタキ、ゴーヤと梅干しと塩昆布の副菜、青梗菜と舞茸の味噌汁を食べたので、炭水化物量がよくわからないことになった。

鰹は今井真実さんの塩じめレシピです。友人らとの外食も楽しいけれど、簡単であっても自分である程度調理した料理を家で食べるときのほっとする時間も得難いもので、外食にしか喜びを見出せないような、特別な日以外を特別な日のために耐え忍ぶ日としてとらえたり、逆に毎日を特別な日にしてしまうのも、いまのわたしには好ましくないし、できないなと思う。『家守綺譚』の綿貫が葡萄を勧められて(あの世のものを少しでも口にしたら冥界の者となってしまうような、お決まりの流れを想起させる場面)「こういう生活は──私の精神を養わない」ときっぱり断るイメージ、といいたいけれど、それは格好つけすぎで、単純に金銭面健康面ともに持続可能性に欠けるから。この感覚を持っている人たちと食事を共にし、そのとき食べているものや食べものに関わりのないこと、さまざまな話をしながら同じ時間を過ごすことがわたしの喜びだと感じる。
友人からもらった桃が思いがけず複数種類で、ケルシー(プラム)までついていたため、たいへんうれしくも、物々交換の自家製梅干しが種の個数しかあっておらず申し訳なかった。ひとに差し上げるからとようやくもったいぶっていた梅を食べたのだけれど、かなり好みの塩梅(これがほんとうの)で来年絶対梅をつけるぞ、の思いを新たにしました。