朝ごはん。ここのはいつも手に取ると軽いな(好みじゃないかな)と思うのだけど、リベイクすると外側がサックサクになって、これよこれ感が高まる。珍しくジャムをつけて食べてしまった。
朝は5分くらいしかなくてもなんとなく編み物に手が伸びる生活が戻ってきている。去年からゆっくりゆっくり編んでいたニットはようやく袖一本めに着手。しかしうっかりインスタでタグ検索してしまったまたたびニットがやっぱりめちゃくちゃかわいい〜〜うう〜〜〜と心が揺さぶられている。おぼえているだけでもアランニットのチェビオットウールのキット2つ、ベスト1つ、ポーチ1つをつんでいるので……しかし編むんだったらおばあちゃんが編んでくれたっぽいかわいさのあるスズランのセーターかな、フキノトウのセーターも季節柄わくわくするし軽くて良さそう。アランのセーターも襟ぐりの「ぴょん」がめっかわだし、アランのパンツもぐっとくる。編みたいしはきたいけど、スリムな友人のほうがとても似合いそう。ムササビのフェアアイルカーディガンは柄とシルエット両方にときめく。改めてめくると『編みもの修学旅行』に感じたときめきを思い出す一冊だ。
30代半ばになっても、今日は職場でなんかうまく話せていないな……と落ち込むことがあるんだなと自分に呆然とする。こういうとき、あっわたしは「ふつうのことができるにんげん」の皮をうまくかぶったふりをしていただけで、やっぱりそんなことはなかったんじゃないだろうかと、左の腕と足を同じタイミングで出していたことに気づいたような気持ちになるが、おとななので大丈夫になり方を自分で考えなければいけない。午後はやたらと各所に電話をかけて調整をはかる仕事があり、また別の意味で消耗してしまったが、こちらは「うまく話せない」という感覚はなく、改めて午前と午後の違いについて考えた。キーワードは「忖度」だということは自分でもわかっている。前者は、本当は担当者としてやりたくないのに、上司から提案を受けた段階で「それはやりたくないです」と伝えられない上に、「担当者として本当はやりたくない」ムードを上司の前でうまく出さないままふんわりとした案として他の課員の前で提示してしまったから「?」という状態になったのだ。なんか、っていうか、書いてみたらわりと理由が明確だった。しかし解決してはいないが言葉にできてよかったね、ではすまないのがおとな…とは思うけれど非常に我の強い人たちに囲まれているという認識でいるので、調整屋としてのポジション取りがしみついてしまった。そこにいるならいるなりにもっとうまいことやりなよわたし。仕事に対する自我のありかを見つけよ…
昨日買ったみかんが水分量少なめで身も小さくてかためだったので、水分量多めのみかんを欲して思わず購入。ネットのまま小脇に抱えて帰る。冷蔵庫内のかためみかんをよくみたらポンカンとオレンジがかけあわされたみかんであることに気づいた。そんな品種あるのか。みかんいろいろ。
同じものばっかり作って食べてるのどうよ、と特に黒酢炒めに飽きたわけではないけれど、豆腐・鶏ひき肉・白菜で検索して出てきたレシピで作った。半量でやったので調味料も半分にしたら片栗粉の量が足らなかったのか、あまりとろみがつかず、さらさらとしたあんに。味は十分おいしいけどいつも以上に見た目が地味だね。