強い風雨でたぶん桜もかなり散ってしまうだろうなと思いながら歩いていたら、花びらまみれの車と行違い、その車がどんな道を通ってここまできたのかを想像した。オオオナモミが人間の服にくっついて少し遠くの場所まで運ばれていくなとは違うけれど、車にくっついた花びらは、木が立っている場所より遠くまで運ばれていくのかもしれないが、だからといってそこに人間がかってに何らかの意味を預けるのもかこつけすぎだなともぞもぞした居心地の悪さをおぼえるので、ただ(運ばれていくのかもしれない)と思っただけのこととして。もともと白い花の隙間からかなり緑の芽が出ているなとは感じており、桜のほうももう花よりそちらの準備どきだよね、という目で見ていたが、ツツジの小さい蕾もちらほらのぞいてきて、たぶん気がついたら5月ももうすぐそこ。5月が近づくとそわそわするのは、大型連休を待ち焦がれてというよりも5月という季節が一年で一番好きだから。生まれ月でなかったら、また違ったのだろうか。もうすぐ芍薬も花屋で見かけられそう。
先週のばたばたから少しおさまったような気がしているけれど、今週末から月末にかけての仕事のスケジュールがやたらとみっしりしており、調整したのは自分だけど、もう自分でやるしかなくて目をつむって引き受けたものも多いので、どうにか駆け抜けるしかない。このせいで忙しいんです、という顔をしていればほかの五月雨式に降ってくることはやらなくていいわけでもないので、ボールを打ち返す速度を上げる準備(ただの心構え)をする。
みてください、この頼もしい横顔を。冷凍するのもどうかな、と迷って立て続けにこればかり食べ続けていることもあるけれど、好みの味でなければ飽きるので、やっぱりとても好きなんだと思う。好きなパン屋の間借り営業販売スコーンに執心中。wellkのスコーンに少しにている気がする。
週の最初の方の晩ごはんのシュウマイストック、今週も大葉と新玉ねぎです。加えて弁当用の小松菜と筍とささみを梅ペーストで和えたもの、弁当箱に入れきらなかった残りも。今日は買っておいたホタルイカの処理まで行きつかず、明日何かにするつもり。
あなたをコントロールしたいと相手に伝える権利はわたしにはないと自覚して生きていくということ、別に対・身近な人間であっても同じでは、ということを考えており、コントロールしたいと考えてしまうこととそれはもちろん全然違うことだ。身近な人間であってもある属性の他者を人間扱いできない人もいる。インターネットの向こう側や、同じ世界に生きている遠くのまぶしく見える人も同じ人間である、ということをなるべく忘れずに、忘れていたとしても人間ではないと思ってしまったことを第三者に伝わるような場所で公開しないことがやっぱりだいじだと思うのは、このさまざまな人間のファンをやった十数年を振り返って、自分のおろかな行いをかえりみているからであって、みんな、気をつけようね、しかしわたしもおろかな行いをやり尽くしたいまだからこそそういえているのかもしれないが……という立場。気をつけるというのは気をつけてファンをやったほうがいいというより、気持ちの届かない、あるいは相手がそう望まないだれかを熱狂的に愛しすぎて暴走しないようにね、まずだれかのファンにならないほうがいいね、という話です。自分の生活を見失うほどに好きなものがある人のことを、もう全然うらやましいと思わない。そういう対象を持たない人を「一般人」のように表現する、その言い方にまとわりつく自意識からも遠ざかりたい。