5月21日

socotsu
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公開:2024/5/21

しめじの上に昨日塩麹に漬けておいたささみを乗せて、蒸籠で蒸した後に刻んだパクチーをのせて食べた。味が薄めだったので黒酢とナンプラーもつけてみたらかなり合うたれでした。2切れ蒸したけれど、納豆・めかぶ・刻んだたくわんをのせてくずした豆腐をもりもり食べたらおなかがいっぱいになってしまい、ひと切れ明日の弁当へ。そしてトースターで焼いたズッキーニ・新玉ねぎ・かぶも食べ、食べきれなかった分は同じく弁当行きに。ひとには出せないような他愛ないごはんを1人で作って食べているときの満足感って他のなにかに替えられない、ばかにできないものがある。趣味・おいしいものを食べること、にはスペシャルな外食だけでも、何をつくるか些細に考えて材料を買って手をかけて作った凝った料理だけでもなく、ありもので作ったこの手のごはんも含まれることを覚えておけば、なんとかやっていけると思う。などといいつつたくわん・納豆・めかぶはこれがやりたくて今日買いましたが……最初に提示されたアイテムで全然まかなえてない、途中追加カードがやたらと多い、ファッション誌の着回しコーナーを思い出した。

遅ればせながら追っかけているY2K新書セカンドシーズン、「思い出を共にした人と話す分には悪くないじゃん。別に擁護するわけじゃないし」という柚木さんの言葉に「あんたたちは!悪くない!」とエトセトラブックスで猛烈に励まされたあの時のことを思い出している。ねえ、柚木さん──悪くないとは思ってないし、この先ずっと背負っていくものと思っているけれど、あのときのおもしろさも一緒に抱えており、何度思い返しても非常にありがたい空間と時間だった。ポッドキャストでの「自分が好きだったものが有害って気づいて胸がぎゅってなっちゃう人いるかもしれないけど、そういう時こそおしゃべりだよ」にも、たぶんこの言葉がとても心に響いているたくさんのリスナーのうちの1人です。

特に宮藤官九郎ファンではない私の中の宮藤官九郎の印象は、カルチャーに造詣の深い人間という幻想をヴァイオリニストの松たか子に勝手に求めて勝手に失望した挙句、脱ぎ捨てた靴下を残して失踪したサブカル夫@カルテットで止まっています。あのドラマを好きなボリューム層であろう、カルチャーにかぶれた人間が好きになりそうな松たか子演じるまきまきさんという人を本を鍋敷きにするような人物として描き、失踪した夫をカルチャーに重きを置く側の人間として描く、視聴者が心の寄せどころを見失って混乱するつくり、とてもいじわるで上手かったなといまでも時々思い返して苦い気持ちになる。自分の本という物質への思い入れを振り返りつつ、一方で他の物質との比較で本に重きを置き過ぎる振る舞いに対して距離をとってしまう面もあり、好きなだけど、本は本だよ、と思うのは、歳を重ねたことに加えて、今の職場である程度の時間を経たのもあるのだろうなと考えている。

@socotsu
そこそこ/日記のタイトルは川柳