自分比で旅先としてはかなりの早起き、チェックアウト&荷物をホテルへ預け、出町柳へ餅を買いに向かう。これから先の長い1日を想像して行きは電車を選択したけれど(といってもまあまあ歩く)、今振り返るととこれくらいはセーブしておいて本当によかった。

出口を間違い、橋一本手前に降り立ってしまったために見られた、三角のとんがり方向からのデルタ。
栗餅豆大福田舎大福福豆大福をそれぞれ複数個に加えて栗赤飯の小も買い、餅の運び屋おつかい編キャリアがスタートしました。


後のご飯事情を考えた際、思ったよりポーション少なめで助かった、という場合も多い旅先。薄くてガリガリのカンパーニュの食感、松の実のペーストが好きな風味。油を吸ったナスってお肉並みの食べ応えがある、でもここでなんでもお肉にたとえる必要ってある? 顔を合わせた途端了解したように、元気でしたか?と尋ねてくる店主の人と服の話をするのがここ最近の京都旅の楽しみの一つでもある。でもいつも服の師匠と思っている友人を憑依させているつもりで喋ってる。
目当てのパン屋の開店時間ちょうどに店の前につき、順番を待って予約していたサンドイッチを引き取りたい旨伝えるも、予定していたもう一種類がまだできていないとのことだった。3つ入り用で、2種類あると聞いていたので予約の際の電話口ではおまかせ2:1で購入したいと希望を伝えていた。一瞬全部同じ種類にしてもらおうかなと悩みつつ、また時間を置いて出直すことにし、先に一人で泊まっていたホテルからパートナーと一泊するホテルへ荷物を移動させた。そこまではスムーズだったものの、この炎天下のなか、まあまあの距離があるパン屋→ホテルからの再びのホテル→パン屋→ホテルとは…?とおのれの決断を後悔しつつもずんずん歩みを進め、無事やり遂げました。ひとりだと基本無理を自分に強いすぎてよくない。不備があったことを詫びられフォカッチャをおまけにもらえたのでチャラです、というかそもそも別にパン屋の人には不満を持っておらず、全てを叶えようとマッチョな思考に走りすぎる自分の責任ですので……
予定していたおつかいをすべて完了し、パートナーの実家へ。数年ぶりに会うパートナーのお母さん、パートナー、私でごはんを食べる会。私はパートナーと一緒に住んでいて、パートナーのお母さんはパートナーと血縁関係にある家族、お互いにパートナーの大事な人間同士として接してはいるものの、私とパートナーが婚姻届を出していない関係というだけではなく、向こうからしたら自分の子どもと一緒にパートナーとして暮らしている人間が突然現れたからといって、その人間を自分の子どものように扱ったり、逆に私が相手を自分の親として扱うような、自分たちの関係を「義理の家族」という枠組みにおさめるのはなんだか違和感があり(第三者からはそう見なされるだろうが)、パートナーのお母さんもおそらく近い想いを抱いていると想像している。でもそれはお互いにまったく関心がなかったり、嫌いだったりするわけではない。パートナーのお母さんと顔を合わせていない期間に私から直接やりとりをしたことはほとんどないけれど、今回のように会えばものすごくくだけたとはいかないにせよ、お互いなんとなくの無言の了承のもと会話ができるのは、パートナーを介在した関係性だけではない、共有しているものがあると思っているから、と今回言ってもらえてとてもうれしかった。私はこういった関係性でなくとも、そこまでたくさんの時間を共に過ごしていない人、特に年上の人に対して非常にかしこまった対応をとり、結果相手との間に壁を築いてしまうことが多いため、逆に意識して気さく寄りの態度をとるように努めていたように思うが、お互いに気を遣うことで気を遣わせてしまって余計に疲れる、を可能な限り回避したい。これはパートナーにもよく言っているのだけれど、ひとりで生きる女性のあり方として、私はパートナーのお母さんをある意味理想的なモデルのひとつと思っており、読書傾向や政治思想としても共有できるものがあるため、パートナーを挟んだ関係でなく出会っていたら、もっと別の親しい関わり方があったかも、とよく考えてしまう。たらればはキリがないのだが。

お土産に持っていって、少しだけ味見させてもらった栗赤飯、ほくっとした栗ともちもちの赤飯がとても好きだった。栗は餅と食べるよりこちらのほうがいいかも。
帰り際にパートナーの祖母がパートナーの母のために編んだコットンヤーンニットをもらった。セーター自体の形と編み地が好み&自分がコットンヤーンを編むのが苦手なのもあってうれしい、早くこれが着られるような季節になってほしい。

コーヒーが飲みたいという話になり、京都に戻る前に大阪のGLITCHでカフェラテを飲んだ。同じ豆を使った精製方法(Culturing)が異なる2種で、私がメインで飲んだ方はぶどう、パートナーの方はメロンの香りがした。両方とも牛乳由来ではないとてもリッチな味、そしてグラスの底に溜まっていたエスプレッソがおいしいワインのボトルの底近くの濃さを味わった際のそれで、あまりのおいしさにびっくりしてしまう。カフェイン、体質的にそんななたくさん接種できるわけではないので、2週に一度、いや1ヶ月に一度くらいGLITCHのラテが飲めたらいいなと思ってしまった。食べ物、飲み物に限らず、たくさん機会を持てたらいいけど、限りがある時間・お金・体力・気力を考えると、このジャンルなら私はここにいきます、が自分の中である程度定まっているほうがいいなと思うターンに突入してきていて、たんにマイブームなのかもしれないが、歳のせいにしすぎるのもどうかと思いつつやはり年齢もあるなと思う。まあまたいろいろ試すのが楽しいときがまたやってくるのかもしれない。
晩ご飯は遅くまでやっていて便利なアラカルトの和食。いろんなものが少しずつ食べられてたのしい&うれしい。

なすにじゅわっとしみた出汁、はりのある皮に油の効果を想像。

おいしかった日本酒。

こんなに小さいのに脂のおいしさが今回のベスト1だった。

最後のとうもろこしかもしれないと思う季節。ぷりっとしたえびとぷちぷちしたコーンをばらしてちまちま食べてしまう。
帰りは腹ごなしのため、鴨川沿いを少し歩いて遠回り。よく歩きました30,000歩の日。