持ち時間が長すぎるのでは疑惑の喋る仕事、どうにかなりました。人前である程度アドリブで喋るということにやはり異様な恐怖心がある。それは失敗する自分を直視したくないという臆病な自尊心の表れなのだとわかってはいるのだが、自分ができていることをもう少し落ち着いて数え上げたほうが良い。
喋る仕事の準備や実際の喋りに本日のリソースを割きすぎて、今日こそは早めに帰るぞと思っていたのにやっぱり残って仕事をしてしまった。忙しいとき、職場にいる間は「がんばっている私」に取り憑かれているので実はあまり問題はなくて、帰ってきてから宙吊りにされていた疲れが「がんばっている私」の支えを失って身体に降ってくる。さまざまな予定をこなす気力・体力が削られていることを帰宅後に自覚する。そうはいっても私なんて全然大した働きはしていないぞ、というようなことを思ってしまいがちだけど、それぞれのキャパシティは違うのだから、自分!自分比でがんばりました!へとへとです!の精神でいたいよね。
冷凍庫のストックシュウマイありがとうデー。助かりました。そして昨日の残りのアボカド半分・ゆでささみ・梅ペースト・筍・大葉を和えたものをもさもさと食べた。
溢れている本をしまい込むために、あまりに雑然としている本棚を確認していたところ、ひさびさに『月のたまご』が目に留まり、そのまま立ち読みしてしまう。
「でも、おわったってことは、つぎがはじまったということかもしれないよ。自分ではおわりだと思っていても、じつはそれがはじまりで、そのはじまりのために必要なおわりだったってことが」
まゆみは、だまっていました。
「おわりというのは、なにかのふし目なんだよ。きみが合格していたら、たぶん、それが、はじまらなかったんだよ」
「なにが、ですか?」
三郎は、白い歯を見せてわらいました。
「それが、わからないとこが、いいんでしょう?うかっていれば、ただのつづきじゃなかったの?」
「おちても、やっぱり、つづきです。」と、まゆみはいいました。
「そうかなぁ」
三郎は、いたずらっぽく見つめて、「あんなふうに、ないたあとでも?」
福永令三『クレヨン王国 月のたまごPART1』p.20
サード殿下、しみじみよい。久々にぱらぱらとめくって、幼すぎていま読むのは違うと感じるかなと思ったけれど、地の文の文体もとても好きだった。
好きでいつづけられるもののなんと少ないことか、と悲しくなることが多いこのごろ、昔好きと感じたもののよさを再度確認できたときの喜びは、新しく好きになれるものに出会えたときのそれにまさると感じてしまうとき、あまりにも後ろ向きな自分を叱りつつ、そこにひたる時間をときどきは許したい。