2月の開幕時から楽しみにしていたのに、結局終了間際に駆け込むことになる企画展あるある。
このからくり作品を知ったのは世田谷文学館の常設展示がきっかけで、以来定期的に展覧会情報をチェックしてはいたものの、大規模展覧会に足を運べたのは今回が3回目。2018年ぶりのムットーニワールド、しみじみ好きだった。まだ魂が帰ってこられていない感覚がある。閉じられた箱が開くたび、何度でもよみがえる記憶の物語。登場人物らは過去のある一点を思い出し、あるいはある一瞬が訪れるのをただひたすらに待ち焦がれ、鑑賞者はないはずの記憶を呼び起こさせられる・なつかしさを引っ張り出される。そのなつかしさはステレオタイプな表現由来のものも多く、モチーフとして現代の価値観に照らし合わせたときにアウト寄りな内容も少なからず含まれると考えているが、しかしそうした表現も含めてとても惹かれており、いつも好きと思うと同時に後ろめたさも感じている。サーカスのぶらんこ乗りを口をあけて見つめる鰯も、花嫁の復活を待ち焦がれる吸血鬼も私。劇場という閉じた空間を模したからくりが、密閉化された箱の中に収まっているという、とてもいびつで偏った物体のコンテクストにも魅了されている。
展示ブロックごとにテーマが決まっていて、入ってすぐのエリアAはかなりしっとりとした、ゆったりとしているけど湿度の高めな作品が多く、特に1番最初に見た『プロミス』の静かな情念にのっけからやられてしまった。吸血鬼が見そめた人間の女性を仲間に引き入れようとしたけどうまくいかず、彼女は一年の一定期間しか目覚めない状態になってしまい、私たちが見ているのはその短い数分間の逢瀬のときなのか、あるいはもう彼女は完全に死んでしまっているけれど、何らかの魔法を使って生きているかのように数分間だけ見せかけているのか、等々、吸血鬼の前に突き出した両腕をもたげるわずかな手つきと棺から起き上がる彼女の様子だけで妄想がふくらむ作品で、ムットーニ作品におけるファム・ファタールを描く常套手段だし「女が死ぬ」に近い手つきだなと思いつつも、人形に魂を入れたいコッペリウスに心を寄せてしまうように、この吸血鬼は私だ、と引き込まれてしまった。基本的にからくりも上下運動がメインで、音楽もおだやかなのに、物語としての情感の湛え方がすさまじい。『夢十夜』の一話ぽさも感じている。
続けて見た『サーカス』も今回初めてだったけれど、中原中也記念館にこれが常設されているのって、想像するだけでとてもよいな。ムットーニ作品は骸骨のビックバンドメンバーや天使等、人間以外の生き物(?)もモチーフとして取り扱っているようで、意外と完全に架空の生き物(?)の人形って他にないのでは?という新鮮味があった。またこのサーカスという詩を可視化させた時のシュルレアリスムの世界観の立ち上がらせ方として、見世物小屋としてのサーカスというモチーフを描いた作品をからくり作品とする際に、箱というかたちの中にそれを作り、鑑賞者に覗き込ませるというスタイルが、もともと演劇・劇場自体にもその要素はあるけれど、自分たち鑑賞者が存在し、こちら側から見つめることで初めて作品として完成する、わたしたちも作品の一部であるような効果を生んで、とてもぞくぞくする。「サーカスのぶらんこ乗り」を想像するとき、そこにスカートを履いた女性表象の人間を置く、という選択に作り手の癖を感じずにはいられないし、このあとエリアDで対面する『パラダイス』シリーズはその「癖」が多分に出ている作品群だと感じている。
『パラダイス』シリーズは前回も見ており、ビックバンドを引き連れるボーカルのあやしく美しい女性というこれまたステレオタイプの設定が、雨が滴る密林や地獄で繰り広げられる作品群。上記のような表象にひっかかりをおぼえつつ、人形の数やギミックが他のものより多く、動きも豊かなため、見ていてミュージカルのショー作品のような楽しさがある。私は特に『ヘル・パラダイス』が好きで、キーワードは「ミラーボールはだいたいいつも下からくる」です。また、タイトルにパラダイスは入っていないものの、同じくビッグバンドを引き連れた歌姫構成の『サテライト・キャバレー』もそのシリーズに組み入れられていると思っている。これは近未来の地球以外の星に住む人類が、地球の古い文化・キャバレーを懐かしみ、失われたそれを再現している、という設定が何重にも懐古主義でたまらない作品。
見る前から想像していたけれど、特に『パラダイス』シリーズは宝塚のいわゆるラテンショーのノリが強く、その意味でもあまりにも懐かしくて泣きそうになってしまった。宝塚的なものを追いすぎるし、むしろそれに触れられないでいるいまは、宝塚が引用してきた文化の源流のほうに首を突っ込むべき時期なのか?という気もする。全然、何もよくないけれど、同時にムットーニを見ているとき、からくりはからくりだから、作っている人はいるけれど人形は人形だから、とどこか安心してしまっている部分は確かにある。生きている人にさまざまな感情を一方的におっかぶせるのなるべく避けたい。
エリアEではさらに小さい箱を覗き込むようなタイプの作品が多かった。女性のかたちの人形が音楽に合わせて後方から前方へ歩くようにスライドしつつ、膝を折ったり前後に揺れたりする、動き自体は複雑なものではないのだけれど、光の当て方やその種類によって表情に陰影が出て、豊かな情感がただよってくる、ムットーニ作品のおもしろさの基礎の部分を改めて味わった思い。『ディープ・アズ・ホライゾン』の天使が丸い水槽?の中をくるくると回る作品は流石にフェチがすごいな…と思ったが『ヴィヴィル・シン・ティ』『花、根源、そして愛』は、お飾りとしての女性表象にとどまらない、人形の彼女の個性、個人的な感情がはしばしから感じ取れるような作品に、私には受け取れた。
いつも立ち寄る好きなパン屋で色々買い込み、外のテラス席で食べた🥪
杉並区の好きキャラクター、ナッツくんとなみすけ