朝ごはん、いただきもののおいしいスコーン半分と好きなベーグル屋のコーングリッツマフィン。この噛み締める系のマフィンはとても好きなのだけれど、かなり油脂分が多いので、食べ進めるうちに重たくなってきて、全部は食べ切れなかった。
休みの日の行動がゆっくりすぎる人たちの外出時間は遅い。
以前好きなパン屋の喫茶店で食べて目を見張ったあんバタサンドがパン屋で店頭販売されており、一度迷って買わずに外に出たあと、やっぱり気になって店に引き返して買う、という決断力のなさここに極まれりという行動をとってしまった。食い意地がはっているがゆえの食べものに関する優柔不断さ。買ったあと早速パートナーと外で分け合う。ちょっとかじるくらいに留めておこうかなと思ったのに、粒が残ったあんこのとても控えめな甘さとバター、またカンパーニュのしっかりした酸味のある生地とこのフィリングとの取り合わせがとてもよく、気がついたら全部おなかにおさまっていた。ばきばきした耳の部分とあんの組み合わせ、食感も大好き。
概念としての🐏を横目に見つつ、好きなお菓子屋さんのプレーンスコーンとタルトを買う。
前々から気になっていた東南アジアのヴィンテージショップに行き、モン族の刺繍の入ったはぎれで作られたポーチを買った。別のセレクトショップで購入した小物を入れる箱を発見し、お店の方に伺ったところ、この店から卸していることがわかった。箱の表に彫られていた謎の生き物の正体が象であることも判明。謎が解けてすっきりした気持ちと、謎の生き物のままにしておきたかった気持ちが半々くらい。
ランチ営業にギリギリ間に合うかどうかくらいの時間にしか出られない人間にとって、通しの店は本当にありがたい。京都の人気の立ち食いそばのメニューが食べられるここもそのひとつ、夏場は冷のメニューもあるけれど、他の季節は基本は温のみで、基本蕎麦は冷を選ぶ人間はうーむとなりつつ、夏場は冷としてもメニューに登場していた、トッピングとしてはとても気になっていた生海苔と山芋卵黄を選んだところ、出汁をどこまで飲むべきか悩むくらい好みのもったりとした食感の食べ応えのある蕎麦だった。
散々ここでがなりたてておきながら、好きなものについて安全に話す場所を選ぶべきだなと思いつつ、それがここなのかどうか考えあぐねている。安全、は自分が安全に話すことができる、も、目にする側が不用意な話題をワンクッション置いて自分で読みたいかどうかを選ぶことができる、も両方守られている場所にかかる。あまりにも今更すぎる話ではあるけれど、他者に自分の好きなものをおすすめすることが善である、という風潮について、わたしはずっと懐疑的で、いま改めて、そこにまとわりつく渡す側の責任についてももっと語られるべきだと感じている。