昨日の展示のことをもやもやと考えていた。わからなかったらそれでしかたない、相手のせいではなくただ合わなかっただけ、という考え方ももちろんあるけど、よさをわかりたいという思いと、なんで合わなかったかを知りたいというしつこさをくすぶらせてしまう。
中平さんは、モノのもっている照り返しを俺は撮っているだけだという感じで、昔からの芸術を破壊しなければいけないと主張している。ただただ物質世界の照り返しを自分は機械みたいになって受けとめて撮る。というのは思想としては格好いいですよ。ただし、それがどのように表現されてくるかということになると、自分の作った作品の照り返しが感じられないというのであれば、それはしょうがない。
杉本博司のここの文章に、少し腑に落ちた気持ちになった。"写真は本来、無名な目が世界からひきちぎった断片であるべきだ" というフレーズを一瞬いいなと思ってメモしたけど、でもそれって本当に可能なんだろうか。そこにあるものを撮るときにこちらの作為をできるだけ排除してただ切り取る、そこに社会が切り取られている、ということを言いたいのかなと思ったけれど(違うかもしれない)、あんなにたくさんの文章から社会へのまなざしが立ち上がってくる人が?その目を持って社会の側をただ切り取るということができるのか?それとも思想の付与された視点は正しく世界から断片をひきちぎれるのか?最初のほうは記事と写真がセットなので、切り離して語れないというのはわかるのだが、彼や文章を添えた他の人の言葉が持つ思想の強度を上乗せしない状態の作品の強度にやや疑いを持っている。
また、当時斬新と評価された事実は事実として、その後のガラッと作風を変えた写真家本人の自己批判を展示する以外の、いまこの展示を企画する上での、当時の社会運動っていま社会としてこういう評価があるよね、じゃあその中に組み入れられた彼のこの写真や記事は?という視点がキュレーションとしてあるのか?とか、展示方法への疑問もあった。同じ人が手がけたわけではないと思うが、以前『民藝の100年』を近代美術館で見た際、数々の品を「民藝」として見出した側の、植民地主義への親和性に関する言及がなく、ただ用の美を讃える視点に終始していたことに疑問をおぼえたことを思い出していた。
事実、展示されている琉球の紅型、アイヌの刺繍、李朝の上手の骨董などは、すべて王侯貴族や有力者のための美術品であって、決して「民」の「藝術」ではない。もし、これらもまたスリップウェアや馬の目皿のような「民藝」であるというなら、それは琉球、北海道、朝鮮半島の人々が、すでに大日本帝国の「民」であったからと言うほかはない。つまり民藝の美とは、特定の人間集団を「民」とみなす人間にとっての美だ、ということになる。
特にここの展示はもろ、無邪気にそのまま展示していいわけないだろ、とつっこみたくなる内容だったことを思い出した。
とは言いつつも、やはり中平の展覧会に行って思ったのは、どうしても中平卓馬の言葉のフィルターが強すぎる…!ということでした。彼の言葉によって、写真がある種の聖なるものになっているような感じさえ受けます。そうすると、「アレ・ブレ・ボケ」は、かなり周到かつ意図的に、詩的な感触を写真に与えるための手立てだった、ということにも気がつきます。
展示会自体の展示方法はほめている(?)レビューだけれど、「写真家」としての彼の作品の評価を言葉のフィルターなしにできないとしたら、写真単体に魅入っているようにみえる人たちは、果たして何をそこに見出しているんだろうかと思った。
ぜんぜん違う出会い方をしたらまた違ったかもしれないので、また違う場所で出会えたら、ぐらいの気持ちもあるけど、わたしがあれくらいの年代に活躍した左翼男性(故人)やその人を崇め奉る空気自体にかってにあてられて作品自体をまともに見られていないのかもしれません。社会運動に忙しくしつつ、ともに生きる女性の権利は透明化しがちな人たちというのもまあ雑な括りとは思いますが…(「弱者への目線」などと言いつつ、女殴ったり堕胎を強制したりしているケースを思い出しながら…)
パートナーにリクエストした筍ごはんがおいしすぎて食べすぎた。残りは明日のお弁当にします。しかしあまり筍が写っていない写真。高山なおみさんの『野菜だより』先日のエビチリでひさびさに引っ張り出してきたけど、これにのっている他のレシピもまたなにか作りたいな。エビチリも筍ご飯もわたしは作っていませんが…