6月20日

socotsu
·

寅の子すて〜しょんの「ep.71 臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の自分のことが好きになれないし、好きと言ってもらえたり褒められても、あなたが好きと言ってくれたのはうれしいしありがとう、しかしわたしは自分のことをあなたがほめてくれるような人間とは認識していないので、という切り返し(勝手な意訳です)、あまりにも身に覚えがありすぎて、いつものように走りながら聞きつつ、ひえ〜と心の中で叫んでいた。他者からのほめを素直に受け取れない、なぜなら自分のどうしようもない、情けない部分を誰よりも理解しているのはわたしなので、わたしがそのほめに値しない人間であり、だめといったらだめ、違うといったら違うんです、という感覚、とてもわかる。常にそれです。書いていて思ったけど、自己肯定感は低いのに、そんな自分を一番理解しているという変な自信はある。鉄壁のガード、こちらを利用しようとしてくる人間に付け入る隙を与えない、他者からの筋の通らないほめ・けなしを受け付けないという謎スキルにより、なんとマルチ商法への勧誘をうまく切り抜けたことがあります。また、わたしってダメな人間なんですよ、誰かれかまわず自己肯定感の低さを振りまくめんどうな人間にはなりたくないという、かたくて強い意志があるので、落ち込む時は誰かを巻き込まず、1人でひっそり落ち込んでいる(つもりだけどごく親しい人は時々巻き込む……)。これはこれでねじくれた自尊心なのかもしれない、お二人も話していたけれど、何かを成し遂げるのハードルを高く設定しすぎの可能性は大いにある、とは思っている。自分はもっとやれる、あるいは他の人はもっとやっている、という見積もりの誤りがあるのかも。30後半に差し掛かってもまだこんな感じでびっくりする。「君は永遠の驚き」をひとりでやっている。

焼いたなすとかぶ

たわむれにターメリックとカイエンヌペッパーをかけたら、後者をかけすぎてやや辛かった。

刻んだ新玉ねぎ、ケッパーが茹でサバの上にのっている

茹でサバが下に隠れています。

近くの川にかかる橋によりかかって、川の流れる音を聞きながら日記を書いていた。風が心地よく吹いていて、これくらいのまま夏が過ぎていけばいいのに。

宙組初日、幕が開いたことも信じられないが、理事長やトップの挨拶のなかで、亡くなった方を追悼するような言葉がひとつもなかったことをニュースで知った。いくらでもひどい言葉を口走ってしまえそうで、口をつぐむのに必死。いや嘘、信頼できる友人とのLINEで憤りをひたすらに交換している。改革を信じて祈ってひたすら劇場に足を運び続けている人たちも、黙祷もなかったのかという趣旨の発言をしている人はいるようで、それをこの日にやらない団体が、あの事件に何かを学んだとはとてもじゃないけど思えないけどそれでも見続けるままでいいのだろうか。今日の報道を見て、離れることを決めるファンもいてほしいと思った。遺族側弁護士の川人氏の最後の会見を見ていたときは、こんなことになるとは全く想像しておらず、自分の考えがあまりにも甘かったことを今になって恥じている。

@socotsu
そこそこ