追憶オブリガート読みました
1月31日に上記の状態となりましたので読みたての呆然とした感情などを綴ってまいります。ストーリー解説などはせず思ったことを羅列する日記のようなものです。頭と心の整理が……全然ついてないよ……。1つ言えることは1月30日に書いた記事にてアイドル風早巽の放つ輝きにはしゃいでいた何も知らない自分にはもう戻れないということです……。
聖人・風早巽
なんなんだこのひと。(すみません)
追憶オブリガートを読んでからというもの、風早巽さんをどんな目で見ればいいのかわからなくなりました。
一言で言うなら、清らか過ぎて末恐ろしい。幼少期より骨身と魂にまで刷り込まれた神への信仰を一部の隙もなく実行した結果が、心も身体もものすごく傷つくありさまになるとは……。本当にやるせなく、切なく、身が引き絞られる思いが伝わります。一体どうすればよかったのか。どうすれば誰も傷つかずに済んだのか……。
風早巽は間違いなく精一杯やってたと思います。高校生の身分で、大望に向け、わき目もふらず、自らの能力をふり絞り限界を超えて突き進んだ。間違いであることなど思いもしない。信仰の身元で行いを問い掛ければ、間違ってなどいなかったから。しかし理想は理想です。彼の抱く夢は、売れっ子アイドルの自分に仕事を集め皆で分け合い報酬を分配するというものですが、働き手が減少すれば負担は増加する。賢い彼はかなり早い段階かもしくは始める前からそのことを分かっていたはずですが、それでも自らを贄に自分以外のすべてを平等にする道を神の与えた試練と思い喜んで邁進した。その先に待ち受ける未来が彼の拒んだ『殉教』だとしても、幼いころに理想と現実の異なりを心と身体で体験していない風早巽には止まるという発想がもてない。信仰を基に人を平らかに扱いたい風早巽の思いには一点の汚れも澱みもなく、また嘘も偽りもないから、見ている側は己をすり減らし削り取り知らずのうちに無へと向かう破滅的な行いに辛くなる。そんなことをして、あなたはしあわせなの?と問うても、幸せだと答えが返る。世間一般の喜び悲しみからは埒外の存在となってしまった風早巽を理解できる人間が少ない、いや、いない、というのも無理はないかと思います。絶対的な救いをもたらすメシアですら、自らの人間性など何らかの要素を削り対価として救済を与えている。これが『聖人』、『神に近しい者』の正体だったとは……。
また風早巽は信仰の対象物としての他者からの依存性の高さや、救いを与える存在に似たものとして振る舞ってきた役割上、尊敬もヘイトもおびただしい質量を同時に集めてしまいます。時には仰ぎ見ては祈りを捧げ救いを求める存在であり、時には世の澱みを一身に引き受け破滅することで救済を授けるメシアでもある。玲明学園時代の巽の存在は、人外の仕事ぶりや、カタコンベに生徒を集め分け隔てなく施しを与える姿勢、博愛と平等を徹底した振る舞いのある種の異質さから見ても、一時的にでも神をその身に宿す神子、あるいは信仰の対象物たる存在そのものになれていたと言っても過言はなかったようにも思えます。
ゴルゴダの丘で磔刑にされたメシア・キリストのように、玲明学園、ひいてはアイドル業界に蔓延った澱をその身の清らかさで浄化せんと邁進し、あまたの負の感情を一心に引き受けた結果が、要くんと巽にもたらされた悲劇であったのかもしれません。
しかし限界を迎え心身に不調をきたし入退院を繰り返す痛ましい姿はそれこそ人間たる何よりの証左。
それにしたって、、、巽さんはただ無垢に理想に向け頑張っていただけ、要くんは愛されたかっただけなのに、一生懸命頑張っていたのに、こんなのあんまりだよ……….°(ಗдಗ。)°.
馬鹿な君が好きですよ、俺も馬鹿ですから。のセリフに込められた透明な棘が刺さって抜けません……。上手くいかない悔恨と、問いかけても答えない神と信仰心への問答、アイドルとして人を喜ばせ笑顔にする喜びの奥底にある生存欲求と存在証明と、あいされたさ……。かなしくて美しくて綺麗で……純粋で清らかだから、くるしい……。こんなことがあった後では現行軸の巽の自己肯定感が著しく下がるのも無理ないです。ALKALOIDのリーダーにならないのもうなずける。
風早巽にとっての救いと今後
風早巽を救ったのは要くん、ジュンくん、そして日和くん、未来においてはALKALOIDであったように思います。
神に近しい精神性を宿す風早巽には、要くんがユニットを組むと申し出た件や、地獄の只中にあっても己を見失わず救いにも堕落にも手を伸ばさないジュンくんの存在、そして出会う前から、出会ってからも君が好きだよと何もせずとも愛を傾けてくれる存在は救いであったと思います。要くんのリスクを顧みず隣り合うことを選んだ無垢さも、ジュンくんのひたむきに鍛錬し己の人生を充実させる人としてのあり方も、日和くんのたったの一度も会わない関係性であったから長短を理解し会う前から好きだったと言えてしまう大らかさも、巽から救いの手を伸ばさず傾聴の姿勢を取らずとも隣り合ってくれる関係性が、彼に救いをもたらしたのだと思います。そして未来に出会うALKALOIDのメンバーたち。彼らは、巽と同等の存在であろうとします。彼をアイドルの先立として仰ぎ見ることはしても、あくまでもユニットの一員として物をいいますし、彼の隣に立ち支えよう、理解しようと傾聴の姿勢を見せてくれさえします。それは巽が要くんに語っていた、並び立つ友達がほしかったという願い、これが叶い続けている証左でもあります。
ALKALOIDは救いなんや……ありがとうありがとう……! 発足当初は巽におんぶに抱っこな側面もあったけど今やすっかり並び立つ仲間であり、同じ目標にむけ切磋琢磨できる友達、あるかろいどぉ〜〜万歳……! ……で済めばよかったのですが。
現行軸の風早巽は二人(HiMERUと巽)が治ったのは奇跡的と発言しており、HiMERUの中身が入れ替わっている事実に気づいていません。要くんの現状を巽が知るとはすなわち、巽の信仰心により殉教者に近い存在を生み出してしまった事実を知ることです。殉教したくないがためにアイドルになる道を選んだ巽が、信仰に基づき行動した結果殉教者を出したと知るその時に、HiMERUと要を前にしてALKALOIDとして生きた風早巽がどうなるのか……今からとても…………気になります……(ガクガクブルブル)
玲明の光・漣ジュン
追憶オブリガートの作中にジュンくんがいてくれて本当によかった……。ストーリーの主人公的な役割を担う彼ですが、おかしな環境や待遇の格差、自らの努力が凡人と烙印を押される評価の厳しさに心折れつつへこたれつつも、日々にかすかな楽しみを見いだし生きています。こういう閉塞的な環境に身を置かれた際の人は楽な方傷つかない方に流されてしまいがちですが、ジュンくんは横柄な先輩に媚びへつらうわけでもなく、巽のカタコンベに入り浸り浮世の憂さを晴らすこともせず、ひたむきに自分自身と向き合い続けました。この『己』とひたすらに向かい合い、自分の核たる願いに耳を澄ませて行いを定めることの尊さが、本作追憶オブリガートに込められたひとつのメッセージなのではないかと思ったりしています。
どのような閉塞的な状況であっても、己が心に意識を集中し自分の人生を自分で決める漣ジュンくんの姿勢は見事なものでした。彼には信仰する神もおらず、困った時に耳を傾け判断を仰ぐ存在である父親からは、若干偏りのある教育を受けています。彼は生育環境や経験より、自分の道は自分で決めると身に染みて学んできたのかもしれません。玲明に入学したジュンくんは幼少期よりアイドルとなるべく鍛錬してきたにも関わらず、特待生に選ばれませんでした。ここで彼は理想と現実の異なりを知ります。ジュンくんにとってはとても辛く苦しい学園生活となりましたが、自分自身を信じ諦めずにひたむきに進んだ先に、日和くんとの出会いが待っています。彼は才に恵まれた故に巻き込まれ傷ついた日和くんをその生き様で救います。いつだって、ひたむきな人間は救おうとか救われようとか思わずともその生き様で人の心を動かすのかもしれません。
巽が淹れたお茶や料理を日々の楽しみとするシーンは、巽がしてきたことが全くの無駄ではない証拠にもなっています。ジュンくんは風早巽の精神性と施しにより確かに救われており、革命失敗後も巽への思いやりが変わらず存在していたことからも、恩義の深さが読み取れます。巽さんもジュンくんもよかったね……ほんと地獄のような青春の中にきらめくオアシスみたいな存在がお互いになっていそうだ……。
愛されたいアイドル要くん
愛されたい、アイドルになりなさいという母からの業を背負って生きてきた要くんの救いが何だったのか、、、最後に憧れていた風早巽と一連托生のユニットになれたこと、巽の友として側にあれたことを取り上げるにしても、彼の末路を思うとやりきれません。
けれど彼なりに一生懸命頑張った要くんの努力がいつも100点に届かないとしても、頭の足りない馬鹿な行いだとしても、人生は自分で選んだ道にこそ価値があり、その身で責任を追うことすなわち生きている実感であると信じたい。けれど風早巽(完璧なアイドル)になりたいと思ったその根底にはアイドルになれと母に強いられた幼少期の経験があり、愛を得たい要くんは完璧なアイドルを目指してしまう……。ううう辛いいいい、どうしたらいいのか……。
どうにかこうにか要くんには目を開けて頂いて、やさしい場所で健やかに生きてほしい……。要くんの欲しかった無性の愛を持つ血縁者のお兄ちゃんは、誰よりもあなたの目覚めを待っていますから……(その先にも別れと葛藤はありますが)
独りで生きられていたHiMERU(クレビのHiMERUこと要のお兄ちゃん)
風早巽の隣を選ばなければ要くんが無事でいられた、けれど要くんが再起不能になった理由の根源はお兄ちゃんが要くんの虚偽の申告を鵜呑みにしたからでもある。お兄ちゃんは自責の念を感じていますが、彼の優秀さと血縁ともあれば、確かめずとも自分と比類する存在であると信じきってしまうのも仕方ない気がします。ひとりで生きてきたお兄ちゃんだからこそ陥ってしまった思い違いがすごく切ない……。
クレビのメルメルさん、ラストシーンの教会での独白を拝見しているとものすごく愛情深い方なのだろうなと思います。メルメルさんが手を出さなければ要くんは特待生に返り咲くこともなかった。けれどHiMERUが売れてしまい、入院した巽の立場を引き継ぐ形になってしまったからこそ巽と要くんのユニットが生まれ、悲劇が起こってしまう。裏でメルメルさんの行動の糸を引いている茨くんの計算高さが凄まじくて……。
メルメルさんの救い……これもまたクレビメンバーとの交歓になってくるのでしょうか。要が目を覚ました際に、芸能界に要の居場所を作りたい一身で芸能活動に勤しむメルメルさんですが、要くんが目を覚ましたその時がメルメルさんとクレビメンバーの別れの時でもある。要くんが目を覚ます喜びと、クレビメンバーとの別れ、画一的で絶対的な幸せが存在し得ないように見えますが……。なんとなくですが、要くんは目覚めてもクレビメンバーとしてメルメルさんの椅子にそのまますっぽりとおさまるようには思えないような…。(お兄ちゃんの指示を無視して巽とユニットを組むなど、自立心はあるように感じられる。けれどその自立心がそもそも愛されるアイドルになれと育てられた影響によるものだとするとなかなか苦しいものがありますが)
まとめ
玲明学園の革命、その一連にまつわる不運の連鎖の原因をまとめるとこんな感じでしょうか。
1、アイドル業界自体が栄華を極めた後の飽和状態であり、仕事は減少し需要は下がっている。事業として成功する見込みが希薄であるにも関わらず教育施設は運営のため次々と生徒を募集しているなど、社会の発展が頭打ちになり停滞している
2、業界の不況を受け腐敗したアイドル養成学校の体質 情操教育を行なって然るべき教育期間(?)が特待生と非・特待生などと差別化を助長する仕組みで成り立ち、社会情勢、学園のガバナンスも作用しておらず、自浄や改善が全く見込めない状況下にある
3、特待生と非・特待生の差別化を無くそうとした風早巽の政策、『株式会社風早巽』の運営理念が『働かずとも均等に報酬が分配される』思想は、負担が一極化しやすく、理想の結実が非現実的であること
こんなところでしょうか……。
というかこんなこと書いたけど、結局社会がわるくない……? 時代もよくなくて、負の遺産を解消できない社会を築いてきた大人が悪いよ。3で巽の革命が失敗した理由を上げてみたけど、そもそも高等教育は社会勉強として一部分は生徒が運営を担ってもいいかもしれないけど、それはあくまで教師がある程度は秩序の雛形をつくる前提のもとだし、学びのためでもあるし、風早巽がカタコンベでしてたことをしないといけない状況が異常だよ。学生たちはなんにもわるくない……ホント時代がよくない……。
他にも、風早巽が『株式会社風早巽』の運営理念を達成するべくキャパオーバーの仕事量をこなしてしまえる才覚があったこと、その強靭な精神性を育んだ信仰心とか、風早巽に理想と現実の異なりを知る経験が足りていないとか、色々あるのかもしれませんが……。
あんスタという作品の面白さは、誰にもどうすることもできない、自浄作用が全く働いていない世界で擬似的な信仰の対象物にもなりえるアイドルのこどもたちが懸命に生きる様を俯瞰して見るところにあるなのかもしれません。こんな厳しい状況下だからこそ、希望をまといアイドルとして華やかさを放つ彼らの生き様が眩しく興味を掻き立てられる…………これがあんさんぶるスターズの魅力であり、ストーリーの奥深であり、ひいてはアイドルそのものの魅力の根幹なのかもしれませんね……。ああ…………ホントすごいよ日日日先生を筆頭とするhappy elementsのシナリオ作成のみなさま……! あんスタがここまでこんなに面白いなんて思わなかったです……想像を超えてました、ありがとうございます!
以上で、昨日オブリガートを食らった人間が心の整理をつけるために書きつけた文章をおわります。
なんとも支離滅裂な内容ですがここまでお読みくださった方がおいでであればお付き合いくださり誠にありがとうございました。