グラフィックデザイナーの友人と、福岡市美術館の「キース・ヘリング展」
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みんな大好きキース・ヘリングなので、もちろん私も代表的な造形は知っている。どころか、昔働いていた建物の前には、3メートルほどのオレンジの「犬」の彫刻作品があった。(ちなみに建物のサイドには草間彌生の帽子が並んでいた。いずれもバブルの遺産。)
まるでポップなアイコンのように、生活の中で断片的に目に入ってくる彼の作品にものすごく惹きつけられる、ということはこれまでなく、オープンリーゲイのアーティストだということが頭のどこかに残っていた程度。友人に誘われなかったら、展覧会にも足を運ばなかったかもしれない。
という、体温低めの状態で会場に入ったのだが、結果的にはすっかり魅了されて出てくることになった。
「たくさんの人に見てもらうために」地下鉄の構内に描くことから始まったヘリングの作品群は、基本的にはずっとライブペインティングの文脈の中にあったのではないか。乾かずに垂れていく絵の具の跡もそのままのいくつかの作品からは、書いている時のスピード感がひしひしと感じられる。
それは私に、2024年3月に見た「長沢蘆雪展」(九州国立博物館)の襖絵を連想させた。4枚続きの襖絵に描かれた、複雑に体をくねらせながら躍り出る蘆雪の龍。圧巻の構図ながら、やはり絵の具の勢いや乾き方を見るにつけ、短時間で一息に描かれたものであることが分かる。
日本画には「席画」といって、酒席の座興として絵を描く、まさにライブペインティングの伝統がある。この蘆雪の龍が席画として描かれたのかは寡聞にして知らないのだが、時代も違う東西の画家の共通点を見るような思いがした。
そして、ヘリングの太く均一な線が与える不思議な安心感。その線がほとんど揺らがずに、フレーミングされた画面の内側をきちきちと埋めていく。シンプルなようでいて書き込まれた図案のバランスは独特で、ついつい眺めてしまう。尋常ではないほどの構図の巧みさも不思議と蘆雪と共通するものがある。
80年代のニューヨークを、ゲイであることをカミングアウトして生きたヘリング。当時、マイノリティへの風当たりはきつかったはずで、さらにエイズ禍の中でおそらく何人もの友人の死を目の当たりにしただろう。そして、最後は自身も病に斃れた。
マイノリティとしての彼の人生の困難さの部分に殊更フォーカスする展覧会ではなかったが、ゲイカップルと思われる絵がどこか上手く行かなそうであったり犬に襲われていたり、友人の死に沈む心情を写したコラージュがあったりと、作品から滲み出てくるように彼の辛さが伝わってくる。
日本の雑誌に掲載するために撮られた、83年のキース・ヘリングのポートレート。青みが強い、どこか寂しげな印象の写真の中にいるヘリングの姿が心に残った。
今回、初期から晩年までの活動期間を通して作品群として見ることができて、やっとキース・ヘリングという作家のイメージを少し掴めたような気がする。平和運動や、人権活動にも積極的にコミットしていたヘリング。今もし存命だったら、きっとパレスチナやその他の問題のためにも作品を作っていたに違いない。それを見てみたいと思った。
路上で始まった「みんなのためのアート」を目指す彼の作品を、美術館で見るのは作家の本意とは〈ずれ〉があり、皮肉な状況だとは言える。
だが、ネオンカラーを用いたボックス型の章解説や、音楽、発光する作品のためにブラックライトの照明を用いた部屋、そして東京でのライブペインティングの動画などを取り入れた展示には、ヘリングの生きた時代や空間、パフォーマンスを感じるための展示の工夫はなされていたのではないか。
お近くの方はぜひ会場へ。