売れっ子・朝井リョウさんによる問題作。問題作!と帯に書いてあった。
この小説について感じたことは、臨床心理学者の東畑開人先生による文庫版解説でほとんど完全に言い尽くされており、このあとがきを読んだことによって、僕は読書感想文を書くのが困難になってしまった。これ以上言える感想がないよ!
テーマとしては多様性の実態を描くというか、今世の中でもてはやされているダイバーシティというものの正体をもっとガチで直視しろよという問いかけなんだと思う。
途中まで読んで、
「でも水って手ぬるくない?朝井さん、日和ってない?」
「これだと読者(僕とか)はそこまでキモく感じないし、登場人物に感情移入して贔屓できてしまうし」
「このテーマならもっと読者が許容できないようなキモい嗜好・指向にすべきでは」
とか思ってしまったのだが、実は読者がこう思うことすらおそらく罠であり、物語のクライマックスで2人の人物が対決するシーンでは、まさにそういう台詞が出てくる。
多様性とか、あなたと理解し合いたいみたいなのは、あくまでもマジョリティが許容できるレベルの異分子に対してである。そういう台詞だ。
まさに「水」ぐらいなら読者はあんまりキモくなくて許容できてしまうからこそ、マイノリティの登場人物たちの「味方」のような気分になって、寛容な理解者みたいな気分になって、贔屓して読めてしまう。
人間は誰でも正しくありたいし、正常な側にいたいし、世界から許されていたいし、多数派でありたい。だから「非常識なあいつら」「アップデートされてないあいつら」「異常なあいつら」をあぶり出し、吊るし上げることで安心を得ようとする。
以前、タレントでジャーナリストの小島慶子さんがインタビューで言っていた。ダイバーシティというのは、メディアがそう描きたがるようなキラキラした綺麗事ではなく、到底許容できないようなおぞましさといかに共存するかということであり、それは本来不愉快なものなのだと。社会はその不愉快さに取り組む覚悟が必要なのだという話であった。
そんでまた、朝井さんの小憎らしいというか、達者なところは、前述の対決シーンを入れることで、「でも無駄だろうとなんだろうと人間は話し合って分かり合おうとするしかないよね」的な、普遍性の高そうなメッセージを一応投げてから物語を締めくくっているところ。
せめてあのシーンがないと、読者が許容できるような、読者が共感できるような、読者が気分良くなれるような小説にならない。そういう救いの手を読者に示してからあのエンディングにつなげるのが、ベストセラー作家の手腕というものなのかもしれない。
では僕がこれを読んで心を揺さぶられたかというと、あんまりそういうこともなく、途中までは「どう着地させるのかな」と心配になりながら読み、例の対決シーンで「ですよね」と安心し、気分良く本を閉じることができた。
よくいわれるところの
「こういうのでいいんだよこういうので」
という感じの読後感。
他者と分かり合えるということはないのだろうけど、だからといって断絶して生きていくこともできないので、諦めて(あるいは諦めずに)、辛抱強く対話したり、共存したりできなかったりしていくしかないよなーでもなーという、わりと普遍的なところに着地できた読書体験だった。100点。
