読書感想文「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」

sonicsan
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公開:2024/6/15

今回読んだのは「幸せになる勇気」の方なのだが、「思い出して書く」というアウトプットが記憶の定着に非常に有効らしいので、昔読んだ「嫌われる勇気」についても書いておく。

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え

岸見 一郎 (著), 古賀 史健 (著)

「嫌われる勇気」だが、これは岸見先生をモデルにしたであろう哲人と、古賀氏をモデルにしたのかもしれない青年の対話形式の本だ。

哲人は、アルフレッド・アドラーという心理学者の「アドラー心理学」を研究し、広めている人物である。

Wikipediaからざっと拾って書くと、アドラーは20世紀初頭に活動した精神科医、精神分析学者、心理学者である。フロイト、ユングと共にパーソナリティー理論や心理療法を確立したと言われる。

日本ではもともとフロイトとユングが有名で、アドラーの知名度は低かったが、「嫌われる勇気」がバカ売れしたことで、今や「三大心理学者」という扱いになっており、なんならアドラーが一番影響力があるぐらいになっていると思われる。

アドラーは、戦争従軍経験をへて、フロイトらと決別し、アドラー心理学、または個人心理学というものを提唱するようになった。これはフロイトらと異なり、極めて非常識、かつ実践的な学問だったらしい。アドラーは常に患者と接し、またカウンセラーとしても多くの人々と向き合ってきた。

「嫌われる勇気」を読んだのは何しろ大昔なので、本当に断片しか覚えていない。

大枠としては、人生に不満を抱く青年が哲人のもとを訪れる。そこで哲人から明かされるアドラー心理学の非常識ぶりに憤慨し、哲人に議論を吹っかけ、哲人が徐々にアドラー心理学の真髄を明らかにしていくという対話劇である。

読者は青年に感情移入して読み進めるうちに、哲人の示す斬新かつクリティカルな議論に蒙を啓かれ、最終的には「オッケー、人生、人間、宇宙の真理を完全に理解した!」と満足して本を閉じることになる。これが自己啓発本の醍醐味であり、僕が自己啓発本ばっかり読んでしまうのはこの快楽を得るためである。

断片的にしか覚えていないものの、この本はわりと衝撃度が大きかったのか、アドラー心理学のいくつかの中心的教義は覚えている。

1.課題の分離

アドラー心理学においては、人間の悩み・苦しみはすべて「人間関係の悩み」であると解釈される。しかし、他人は絶対に自分の思い通りにはならない。そこで重要なのが「課題の分離」であり、例えば我が子が愚行を繰り返すことに親はストレスを抱え、なんとかまともになって欲しいと心から祈るのだが、愚行によって人生をしくじるという結果を引き受けるのは我が子であって親ではない。このように、「他人はコントロールできない。自分はコントロールできる。自分がコントロールできることにのみ専心し、他人がどうなるかは他人に任せよ」というのが課題の分離である。

僕の好きな言葉に「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」というものがある。コントロールできないものに対して「なぜコントロールできないのだ」と憤慨するのは、課題の分離ができていないのである。

本の中では「馬を水飲み場につれていくことはできる。が、水を飲むかどうかは馬次第で、それはコントロールできない」という形で示されていた。

2.原因論と目的論

これもアドラー心理学のコアであり、非常識な議論の代表例だ。

人間は、自分の置かれた苦境や不満のある環境に対し、「自分がこうなっているのは◯◯のせいだ」と考える。つまり、「原因があって自分はこうなっているのだ」という考え方で、これは一般的な考えであろう。だが、アドラーは原因論を否定する。

たしか、青年の親友で引きこもりの友人の話だったと思うが、この友人は学校でひどい目にあったり、親が毒親だったりしたことで部屋にひきこもっている。これが原因論的解釈だ。

しかし哲人はこの引きこもりの理由を否定する。青年の友人は「引きこもりたい」という目的があり、そのために過去の出来事を利用しているというのだ。これがアドラー心理学でいう「目的論」である。

もちろん青年は憤慨し、哲人に怒りの反論をぶつけまくるのであるが、アドラー心理学が実践的なのは、何もかもが結局「自分はどういうライフスタイルを選ぶのか?」という議論に帰結するところにある。

原因論と目的論はどっちが正しいかというより、目的論を取ることによって、初めて自分は自分の人生を主体的にコントロールできる、そういうライフスタイルを得ることができるのだ。原因論に耽溺していては、自分の人生を選ぶことはできない。だって過去の原因のせいで何もできないんだから。後述の続編では「自立とは何か」というテーマでこの事が語られる。

3.共同体感覚

アドラー心理学においては、人間の生きる目的というのは「他者貢献感」であるという話になっている。目的というか、生きる指針か。人間の不幸も幸福も「人間関係」の間にしかない。

この共同体感覚という概念を身につけるのがアドラー心理学徒たちのミッションなのであるが、このへんのノウハウはだいたい忘れた。

ただ、印象に残っているのは「他の人々を敵とみなすな、全員仲間であると見なせ」という「ライフスタイル」を選ぼうという話と、「今」に集中して「今」を踊れという抽象論である。

僕ぐらいの自己啓発本マニアになると、あらゆる自己啓発本に共通して出てくる概念というものが身に染み付いており、「過去や未来ではなく今、この目の前に専心し、夢中で踊れ」というのは「ああ、はいはい。いつものあれですね」という感じである。アドラーだけでなく、だいたいの人がこれを言っている。

「嫌われる勇気」の結末をネタバレすると、不幸に浸っていた青年がアドラー思想の素晴らしさに大興奮し、「今を踊る!」とか絶叫してハッピーエンドを迎える。

幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII

岸見 一郎 (著), 古賀 史健 (著)

で、続編のこの本である。ざっくりいうと、「嫌われる勇気」の抽象的な議論を、実際の人生にどう生かすか?という内容で、前作で哲人の言葉に大感動していた青年が怒りに燃えて哲人の書斎に帰ってくる。

「アドラー心理学は机上の空論だ!先生は詐欺師だ!」

というところから始まる。このパターンで3冊目も出たらおかしいな。

ここでは精神科医でありカウンセラーであったアドラーの三角錐の話が出てくる。

アドラーはカウンセリングルームに、とある三角錐を置いていた。人間の幸せも不幸もすべて「人間関係」に帰結させるアドラーらしい、良いエピソードなので書いちゃうと、三角錐の二面には

「悪いあの人たち」「かわいそうな私」

と書かれている。カウンセリングにやってくる人々の悩みは結局この2つに集約されるのだそうだ。

青年が「残りの1面は!?」と問うと、そこには

「これからどうするか?」

と記されていた。

というのが今回の核心なのだけど、ぶっちゃけ前著「嫌われる勇気」が凄すぎたため、「幸せになる勇気」はそこまでぐさっとは来なかった。

「嫌われる勇気」に書かれていることを実践する際に、浮かんできた疑問を解消するためのサブテキストぐらいのものだったと思う。

飽きたので終わります。2冊あるけど、「嫌われる勇気」だけ読めばだいたいOKかと思う。