わたしは楽しみ方をしっている

sonoka
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こちらに来てまだ半年ちょい。

今私は人生の棒を地方創生へと振ったところ。

こっちに引っ越してくる時には、東京にいろいろ捨ててきた。

大量の洋服、お皿やグラス、調理器具、お気に入りの家具、観葉植物、絵、家、彼氏。

お別れというのは、本当に一瞬だ。

こちらにきてからは特に、モノで困ることはなく。服も大体3、4パターンを着回している。

私がそれでもここでやっていけるのは、何かとそれなりにやったからだと言えるだろう。

我ながら、出身地や家族のあれこれ事があり、泥水系女子として育った類いの中では、色々とやったと言えると思うし、それが今のモチベーションになっている。

せっかくなので、やったと言えることを書かせて欲しい。

・幼稚園で激モテ(多分クラス全員私を好きだった)

・幼稚園で初チュー😘

・幼稚園で2年ぶりに1人だけ皆勤賞獲得(普通は小さい時になるべき病気にみんな強制してかけさせられるから、なんかがおかしい)

・小学1年入学式当日の朝、愛子猫がおもちゃを飲んで死んでしまった後に出席し、私の脳内身体の全てが死んでおり、周りからドン引かれ、友達は3年生になるまで出来なかった。

・小学生3,4年軽くいじめに合う(分かりやすいハブ、わかりやすい嘘をつかれる、避けられる、謎に年上の先輩からきもいブスとめちゃ言われる、など)

・小学生4年のとき、親離婚。実は幼稚園生の時からかなり険悪で良く暴行事件勃発してた。青果市場で働く父の機嫌を取るため、父が帰ってくる16時には家に帰宅し、枝豆か、ベーコンか、ドンタコスか、銀杏のどれかを作ってあげて、1日でアサヒ銀のロング缶が6缶は空くので、それを片付けたりしてた。

父はよく、21時以降に届くFAXの依頼にブチギレていた。FAXの文字も、父の文字も汚すぎて何も読めなかったから何に怒ってたのか未だにわからない。

・小学4年、母、姉、私の三姉妹暮らしが始まる。この日から私と姉は、母を「母」ではなく、名前で呼ぶようにし始める。これはみんなで相談して決めた。

・小学4年、図工の時間で口うるさい暴君男子が私に向かって「ブスゴリラ!」と叫んだので、ダンボールを切っていたゴツイハサミをその子に向かって思いっきり投げて、腕に当ててしまう事件発生。

学校でも有名な暴君だったので、先生も呆れつつ、投げた私が悪いので謝りなさい〜と言われて謝った際に、視覚的な、物理的な事象がこの世において最も評価される事なんだと学んだ。

人間には心があるのに、コミュニケーションできるのに、結局事象なのか。とがっかりした記憶がある

・小学5年、私は家に帰らなくなった。

学校近くの神社に可愛い猫が住んでいて、その猫たちと日々戯れていた。推しの猫が巨大芋虫を美味そうに食べる姿に遭遇した日は、さすがに頭追いつかずに家に帰った記憶がある。

後にそこで生まれた子猫7匹を愛しすぎるが故に、里親探し隊を発足。5匹は里親さんと繋ぐことができ、最後の2匹は私の活動に見かねた担任の先生夫婦が引き取ってくれた。今でも、職員会議室を秘密で貸し切って、先生を待つ間に子猫たちが部屋を探検しまくっていたらしたその譲渡会のことは、忘れられない。泣いた。今でも元気かしら。

・・・まだ小学5年生か。

6年生はほぼ記憶ない。あまり楽しくなかったと思う。早く中学生になってキャピキャピしたいと思ってた。

・ちなみに、初恋の男の子とは恋叶わず終わったことは覚えてる(レイザーラモンRGのあるあるネタでもあるように、「初恋は実らない」説は濃厚かと!)

ここで、小学生が終わり。かなり端折ってますが。

一旦切ろうかな

次回、中学生編へ!笑