さわり
さて、『ドラゴンクエストXオンライン』、本気の感想の第4回、『5000年の旅路 遥かなる故郷へ』編です。
本気の感想と言うからには、歯に衣着せず忖度無しで書き散らかしているのだろう――と思われるかもしれませんが、そうではありませんね。かなり遠慮してます。
まあ、わたしが知る他のシナリオライターも似たり寄ったりで、作品としてはボロクソに批判しながらも、制作の裏の苦労もまた想像できるわけですから、本人の前では「でもこう書くしかないよなー」なんて話をしていたりするもので、対して、ユーザーの批評は怖いですね。裏事情なんて察してくれませんし、こっちに人格があるなんて考えもしないで言ってくるひといますし。
と、それはさておき、さっそく本編に入りたいと思いますが、前回も書きました通り、「すべては後知恵」です。ゲームを作っている最中ってのは、手触りを確かめながら調整していきますので、それをとやかく言われたところで、完成したモノだけ見りゃーそりゃー言えるだろーさ、ですよ。
なので、ここで仮にドラクエ10の欠点をあげつらったとしても、「これを作るスタッフは愚かだなあ」って話ではありません。完成させたスタッフは素晴らしいです。それを出汁にして公の場で「自分ならこうするぜフフン」なんてことを書き散らかすのが、本来なら恥ずべき行為なのです。
しかし、それでも書かずにいられない。
それが、オタクの本性だからです。
これは哲学者のミシェル・フーコーも言ってますね。
「オタクなら、語れ。それが、パレーシアである」、と。
そしてまた今回もネタバレありで展開しますので、『ドラゴンクエストXオンライン 5000年の旅路 遥かなる故郷へ』を未プレイでまっさらな気持ちでプレイしたい方は、このあたりでページから離れられることをオススメします。
VERSION 4.0 遥かなる故郷へ
さて、VERSION 3で、竜族の神ナドラガを討ち滅ぼした主人公ですが、ここから自分の出生の謎を巡る冒険が始まります。
VERSION 3のシナリオには、構成的にぎくしゃくしたところがあり、プレイする限りに於いては「途中で設定変わってるな」とか「実装が間に合わなかったな」とか思い当たる部分によく出くわしました。それどころか、VERSION 1と2で貫いていたクエスト制の体裁がかなぐり捨てられていました。
クエストリストを見てみるとわかりますが、VERSION 3では「メインクエスト」のカテゴリーに属するクエストはほとんどなくなり、旧来のドラクエ手法で物語が展開するんですが、この手法はVERSION 4にも継承されます。
やっぱドラクエにはクエスト制合わなかったかー、と感じたりもするんですが、VERSION 5では不完全ながらメインのクエストも復活し、ギリギリ体裁を保っている形で、その後も進んでいます。
おかげさまでドラクエ10では、メインで何かの使命を遂げた後に、ふっと目的が途切れることがよくあります。冒険ガイドを見ると、「どこそこのだれそれに会いに行こう」と表示されていますが、本編でその誘導はナシ、というのがザラです。
これがもし、本気でクエスト制を貫いたゲームだったら、ひとつのクエストを終えると、すぐ目の前に新しいクエストアイコンがポップします。
冒険ガイドに「どこそこのだれそれに会いに行こう」ではなく、クエストで「誰それにこれを持ってってくれ」みたいなものが発生し、それが途切れることなく続くので止めどころがない、というのがクエスト制ゲームの真骨頂です。
要はクエストがUXまで兼ねているのですが、ドラクエでは『VERSION 4.0 遥かなる故郷へ』で実装された「暮らしの中の錬金術」のように、本編と無関係のサブストーリーを見せる重めのクエストが主流です。
とくにこの「暮らしの中の錬金術」はユーザー負担が大きく、報酬も主に「ストーリーを見たことそのもの」にしかならず、こうなるともう、さすがはストーリーテリングの王者ドラクエだと感心するしかありません。
「暮らしの中の錬金術」は錬金術のレシピを駆使して、1本しかない「アルケミ水」をどうやりくりするか、というクエストですが、この謎解きの鍵となる「レシピの穴」にユーザー自身が気づくわけでもなく、NPCが指示する通りに走り回るだけのクエストになっています。
なんで俺にやらせるんだ。
おまえがやれ。
って感じですよ。
プレイヤーは自分のことをやりたいんです。自分が欲しいものがあって、そのアイテムのために走り回りたいんです。シナリオライターが表現したいものに手間ひまかけて付き合わされるってのは、ちょっと違うんじゃないかと思います。
でもまあ、これはシナリオライターのせいじゃありませんね。そーゆーゲームなんだし、そう書くしかない。
まあ、タイトルからして『ドラゴンクエスト』ですから、ドラゴン級の、要は超弩級のクエストが連続するゲーム――と考えるなら、そのコンセプトはしっかり表現できていますが、ユーザ負担が大きい割に、実入りが「お話」しかない、というのがその果実となります。
それでも、4.0で導入されたキャラクターズファイルと呼ばれる連続クエストは、カンダタも、ポイックリンも、パクレも、リーネも、お話だけで十分満足できる内容になっていますので、それで良いと言えば良いのですが、メインのストーリーに絡まないこれらのクエストに興味がないユーザーも少なくありません。
結局、サブストーリーで満足するひとというのは限られ、多くのひとが望むものと言えば、やっぱり「メインストーリー」なんです。
そしてこれも細かく分析してみるとおそらく、「物語が進む」ということは即ち、「世界に関わる」ことだと思うのです。
逆にいえば、「クエストで世界がどう変わったか」が「物語」であり、そこにどんなドラマが絡んだか、というのは壮大なオマケなのだと思います。
という具合に、ドラクエのクエストは、重いです。
いやいや、ドラクエのクエストはどれも簡単じゃないか。クエストが重いとは、どういうことか。
と、訝るひとも少なくないと思いますが、たとえばFinalFantasyXI(FF11)などでは、レベル上げで拾ったコウモリの翼を納品するだけ、みたいなクエストが数多くありますし、World of Warcraft(WoW)にもドラクエ10の《依頼書》に相当するクエストがあるんですけど、こちらはたいがい依頼書を入手した近隣エリアで、レベル上げのついでにこなせます。しかも雑魚敵だった場合範囲魔法で焼くだけなので、クエストを受けることでようやくアイテムをドロップするドラクエ10に比べると、その手間は数分の1です。
しかも、WoWのクエスト報酬は武器防具がメインで、クエストをこなしながら装備をランクアップさせていきます。
ドラクエ10の場合、ユーザーが欲しいであろう武器・防具や家具・庭具、仕草、錬金石などが手に入るクエストは限られ、ゲーム全体を牽引するエンジンとしては機能していません。
これはドラクエ10のコンセプト部分ですので動かしづらいのですが、装備品は職人スキルで作ったものが流通する仕組みになっています。おかげで職人スキルの高い古参はがっぽがっぽ稼げますが、カジュアルユーザーはろくな武器も買えないという惨状です。
レベル100程度になってくると、安い装備品でも、揃えようとすると数百万Gはかかります。ぶっちゃけて言うと、後衛だったらLv80の精霊王のクロークあたりを持っておけば、特に買い替えなくてもLv120くらいまではそれで行けるんですけど、新しく始めたユーザーにそんな割り切りもできないわけですし、まず、そんなプレイでは楽しくない。
そしてクエストが回ってないことによって、「町」が死んでいます。
たとえばVERSION 4にも「樹天の里」という町が登場しますが、メインでシナリオをひとつこなすだけの町になっています。サブクエも配置されていますが、ここを町として機能させるものではありません。
WoWはちょっと先鋭すぎますから参考にはならないんですが、町とフィールドがシームレスなので、クエストを受けると、それをこなす場所がミニマップにリアルタイムに反映され、そのまま走り出せるんですが、ドラクエの場合はやはり旧世代機に合わせなければならないという至上命題もあってか、途中にマップジャンプを挟み、何をやるにしてもユーザー負担があります。
新しい町へ行く場合でも、ドラクエの場合、シナリオで誘導されない限り行くこともありません。なので、シナリオが過ぎ去れば、その町は用無しです。
逆に、もしそこに表面のシナリオとは別に、「騎士団の精鋭が魔王軍に襲撃されている樹天の里へ援護に向かった」という背景があれば、樹天の里では襲い来る魔王軍との攻防があり、そこでたとえば「怪我人を連れ帰ってくれ」「魔王軍拠点の○○を破壊してくれ」「前線に武器を届けてくれ」「だれそれを護衛してくれ」というクエスト群が実装されることになり、物語をぐっと厚くします。
そしておそらく、ドラクエ10設計者の多くはWoW既プレイと思われますので、それは本人たちが最もやりたくて出来なかったことだろうということも推測できますし、その無念さ、その上でやりくりせねばならない苦悩は十分にわかります。
ここでは騎士団と魔王軍を例に出しましたが、戦ってるのがきのこ軍団とたけのこ軍団で、その町のデイリークエストやミニゲームへの参加できのこたけのこ装備や家具庭具が揃うとしたら、しばらくそこに滞在するプレイヤーもでてきますし、町として機能します。(逆に、アラハギーロ近海の謎の島や、フォーリオンの源世植物研究所が予期せずに町として機能してるんですが)
ドラクエ10は、これらのゲームを駆動する要素、すなわちゲームのエンジンがなぜか《福引》に集中しているという不思議なゲームです。
と、システム関連は愚痴ばかりですが、VERSION 4、ストーリーはめちゃくちゃ良いです。特に4.0と4.3。
VERSION 3は前回指摘したように、マイナーバージョン1本ぶんを元の世界で過ごしたんですが、4.0は冒頭、物語のセットアップ前から過去エテーネ王国に飛ばし、しかも1エピソード終えた後に、すぐに現代に戻してセットアップを再開しています。
これからプレイする舞台を最初に見せた上で、現代に戻し、改めてアンルシア姫や賢者ルシェンダの立場や心境を描く、という構成の妙。このやり方は、これからシナリオを学ぶ方にぜひ覚えておいてほしいです。
構成の巧みさは、本編中にも見られます。最初のシャンテとリンカのエピソードから、次のクオードのエピソードへのつなぎ、そこから更にパドレア邸、王立アルケミアへのつなぎの、事前情報の出し方と、自然な切り替えが本当に巧みだと思いました。
サブクエでは、【オンディアヌと魔法のペン】が好きです。
キィンベルはリアリティラインが高いので、少々違和を覚えなくもありませんが、ドラクエと言えばこちらが正解のような気もします。
ひとによっては4.0のジュール・ヴェルヌの世界にハインライン的展開というVERSION 4のほうに戸惑うかもしれません。
ただし、ひとつ凄く気に入らないのは、辺境警備隊が主人公を見逃す際に「悪いやつの目ではない」を理由にしていることです。今の時代にこのセリフはただのプロットの穴だと思いました。
「目つきが悪いのでコイツが犯人だ」と言えばギャグにしかならないように、「目つきが良いので善人」も成り立たないと思うんですが、そのあたりはどうですか?
VERSION 4.1 栄光の勇者と消されし盟友
さて、VERSION 3のギリギリの軟着陸から、奇跡の復活を遂げたVERSION 4.0ですが、果たして、VERSION 4.1は!? と、身を乗り出していると、肩透かしを食らわされます。
ただこれも、同業者から見た肩透かしであって、ユーザーはこれで良いのかもしれず、なんとも言えないところです。
そしてこの、4.1『栄光の勇者と消されし盟友』のどのあたりが残念か、言葉にしようとすると、ここが決定的にダメ、というところもなく、純粋に「感触」としか言いようがない点がもどかしいところです。
「自分ならこうする」というアイデアはあっても、それはロジックというよりは感覚に近いものです。これを言語化できる評論家さんの文章を読んでみたいところでもあります。
それをなんとか言語化するとなると、まず冒頭、賢者エイドスに会いに行け、と言われるところから疑問符がつきます。
もしかしたら、ここですんなり入っていれば、この先もこんな穿った見方はしなかったのかもしれません。
エイドスに会うと、「どこそこの洞窟で○○をしてこい」と、今起きていることとまったく違ったお使いを与えられるんですが、そこで、「ん?」ってなりますよね。そしてまたこれも、今後の展開を知っているから疑問に思うだけで、初見だったら「これが新しい展開に繋がるのか」とワクワクしたのかもしれません。
まあ、いずれにしても、おそらくそれらが物語中できれいに繋がらないために、最終的に「で、なんだったの?」となっているのではないか、と思います。
じゃあ、どうすれば良かったか、と問われるなら、冒頭、ルシェンダ様から「各地に時空の裂け目が発生している」とか言われて、「わたしはどこそこへ向かう、おまえはエイドスの元へ」みたいに運べば、なんかすごい盛り上がったんじゃないかとか思います。
過去グランゼドーラに飛ばされてからの冒頭も、エスタブリッシュメント、セットアップがなく、そのうえで教会で、盟友カミルの失態を目にするところから始まる、という、やや高度なシナリオを書こうとしていますけど、これを機能させるには、かなりプロフェッショナルな腕がでないと難しいでしょう。
このVERSION 4.1は、「カミルという盟友について描く」ことを主眼としていますが、おそらく「盟友という概念の意味付け」が、制作の主たる動機だと考えられます。
だとしたらもう少し、勇者と盟友の人間的側面を掘り下げ、それとアンルシア+主人公との対比を描きながら表現すれば良かったんじゃないかと思います。
たとえばですが、勇者がスティーブ・ジョブスで、盟友がスティーブ・ウォズニアックだと考えてみてください。
あるいは勇者糸井重里に盟友鈴木慶一、あるいは宮崎駿に高畑勲、あるいは銀ちゃんとヤス……みたいに考えると、勇者と盟友にどんなドラマがあるか、ありありと浮かびますよね。
仮に勇者アルヴァンをキース・ムーン、盟友カミルをピート・タウンゼントで描かれていたとしたら、わたしの大好物になったと思います。
勇者矢野顕子と盟友坂本龍一、勇者華原朋美と盟友小室哲哉あたりも、それぞれご飯3杯いけますねえ。
他方、カミルが消えた理由は内面的なものではなく、ただの「事故」と「策略」に矮小化されてるのが、この物語の残念なところです。「どんなひとなのか」よりも「なにがあったか」に主眼が行っているので、結局はキャラクターが伝わらないのです。
「なにがあったか」は、キャラクターに由来すべきなのです。
強情なのでこうなった、怠惰なのでこうなった、真面目すぎるのでこうなった、と。まあ、カミルに関しては真面目すぎるのではありましょうが、だったらそこは、ザンクローネが言った「英雄に必要なものはふてぶてしさだ」に繋がりますし、そこらへんまで妄想して受け止めれば違ったのかもしれません。
セオリー的には、これらの実存的な存在、すなわち人間としての血肉を持ったキャラクターを設定し、それを「不死身の魔王を命がけで封印する」というプロットにねじ伏せます。
「魔王をいかに封印するか」という話ですから、冒頭は、勇者と盟友がローカルな魔王を封印する現場に居合わせるところから始めるのが良いでしょう。
ここで皆さんは、お好きなペアを勇者と盟友として思い描いてください。
たとえば、勇者銀ちゃんと盟友ヤスだったら――蒲田行進曲って映画、観たことありますよね?――勇者は盟友に封印を押し付けようとしますし、勇者キース・ムーンと盟友ピート・タウンゼントだったら――The Whoもご存知ですよね?――そもそも勇者は魔王のもとへ向かいませんね。
これを周りから固めて、魔王を封印するより他はないという状況に押し込んで、プロット化して、ライターに渡すんです。
そうすると、渡されたライターにも意地がありますので、もっと面白く、ドラマチックに、と考えて、上がってきたたシナリオは勇者オノ・ヨーコと盟友ジョン・レノンに変わっていたりするわけです。
いやはやびっくりですよ。勇者オノ・ヨーコと盟友ジョン・レノンって、もう、聞いただけで面白いでしょう。
こうして見ると、VEVERSION 4.0や4.2、4.3に比べて、4.1だけライターが違うような気がします。VERSION 4.1はやや観念的で、非実存的なんですね。端的に言えば、ディレクターから直接新人のライターに指示が行ってるか、ディレクターが書いてるように思えます。
シナリオは誰だって書けると思われてるフシがありますが、ライター側も(わたしのように)スクリプター上がりで、筆力がおぼつかないひとは少なくありませんので、このへんの言葉はぜんぶ自分に返ってきてる気がします。
なんか、いろいろごめんなさい。
自分のことでした。
そのVERSION 4.1ですが、全体の構成から見ても、4.0からの落差をつける意味で「純正ドラゴンクエスト」のようなものが良かったように思います。
つまり、勇者の故郷の村から始まり、草原でレベル上げ、城にたどり着いて、岩山を上って、魔王の居城、という黄金パターンのなかで、勇者と盟友のお話を描くようなオーソドックスなものであったらと思う次第です。
VERSION 4.2 赤き大地の双王子
という4.1を終えて、4.2、古代オルセコ、オーガの故郷へ。
文字数増えすぎちゃったので、ちょっと急ぎます。
魔王ゾンガロンの封印が解けて、再度封印すべく1300年前のオルセコ地方へと飛ぶんですが、まあ、やっぱ普通はこうですよね、という納得の展開。
過去世界では、闘技場で戦っている最中のところに現れて、不審者として捕まってしまうんですが、ここも注文通りというか、「ふつーはこー書くよねーフフン」とか言って当て擦りに来てるだろ、と感じる出来栄えです――なんてことを考えてしまうのは、自分にそういうところがあるからなのですが、ちょっと反省します。
ゲームでの兄弟姉妹って、兄や姉のほうが小さいというのがセオリーで、この4.2のお話ではストレートに弟のほうが小さいのかーと思っていたら、やっぱり兄でした。スクエニのゲームは、小さい方が姉・兄というのは常套手段ですね。
ちなみに、4.0のリンカとシャンテの場合は、姉のリンカの方が大きいんですが、それがレアに思えてしまうという。
VERSION 4.2の見どころは、やはりラストの総踊りでしょう。ドラクエ10のモーションはよく出来たモノが多いのですが、不用意な使いまわしが多いため安っぽく見えがちです。しかし、ここのダンスモーションは違います。気合を入れて作った独自のもので、よくぞやってくれたと感じました。贅沢をいうなら、できれば音楽も独自のものにしてほしかったし、このモーションを報酬で欲しかったです。
VERSION 4.3 砂上の魔神帝国
そして、ドラクエ10全史のなかでも屈指の名シナリオ、古代ウルベア王国編へ。マップも、ダラズ採掘場、カルデア溶岩帯、ガタラ大山林とかなり広大なものが用意されているんですが、まったく活用されておらず、このへんはちょっともったいない感じです。
ちなみに、FFXIVのウルダハ、World of Warcraftのウルダマン、MTGのウルザのなんちゃら、D&DのUltharと、ファンタジーで「ウル」がつくのはだいたい古代遺跡です。
で、そのウルベア王国、活用されていないと言いながら、リリース当時はヤドカリ釣りに行ったり、パイク釣りに行ったり、桃釣りに行ったり、釣り場としては利用していたので……と、いやいや、釣りのために広大なマップを調整したわけじゃありませんよね。
これもフィールドで遊ばせる手段がレベル上げとキラキラしかないことに由来し、リソースを突っ込んでも遊びに繋がらないという結果を生んでいるのだと思います。
ストーリーが面白ければそれでいいんだってのがドラクエ10かもしれないし、わたしも常々ドラクエと言えばストーリーでしょうと言っているんですが、マップには「物語の背景」が織り込まれていると思うのですよ。
UltimaOnline(UO)の頃は、ただ歩いて、見慣れないものに出くわして、そしてPKされるだけで楽しかった。PKがなくなったMMOのフィールドって、もう一度練り直したほうが良いのかもしれない。
その昔、UOやってるとき、クラフトした家具を家具屋が買ってくれないから、町に並べて遊んでたんです。そうしたらその間に入ってきたキャラが理由もなく「うぎゃあ!」とか叫んで死んじゃったんですよ。それを見ていた周りのひとたちから「お前は何をやったんだ」「あいつはなんで死んだんだ」と聞かれるけど、こっちもさっぱりという、変な事件がありました。いまだにその理由がわからない。
ストーリーでNPCが仲間になっても、その仲間は「勝手に後ろからついてきます」だったり「先に行って待ってるぜ」だったりして、ただそれはMMOの技術的仕様であり、伝統でもあるんですが、そこは継承せずに変えてもいいんじゃなかったの? と、ちょっとだけ思います。
仲間に入るとなると、その間マップにいるキャラを消さなきゃいけなかったり、たとえばヒューザを仲間にしてたらソーニャのセリフを変えなきゃいけなかったりとか、とてもとても手間がかかるのはわかるんですが、そこに労力を割かずにドラクエと言えるの? という気もせんでもないです。
それらを考えると、VERSION 3やVERSION 4はNPCを仲間にして連れ歩くシステムを構築するチャンスだったとも思えます。
ギルガランが仲間にいたら強敵モンスターが寄ってこないとか、ダストンが仲間なら青宝箱からガラクタが出るとか、ジェニャならモンスターが小銭ドロップとか、ヒューザがいると猫系が逃げていくとか、そういうのがあればフィールドが楽しくなるのに、と。
バトルはよく拡張されてるんですが、フィールドの遊びはほぼ14年間変わらず、そもそも「クエスト制とはなにか」で揺らぎのあるゲームですし、物語的にもVERSION 4からは全く新しいゲームが始まったと言って過言ではないんですから、フィールドでももっとユーザーがうれしくなる変化が起きていても良いと思います。
VERSION 4.4 うつろなる花のゆりかご
さて、そうこうしているうちに、今度はプクリポ編で、このあたりがもうヴェルヌ+ハインライン路線の真骨頂ですね。
昔のSF大好きだったら、ドラクエ10 VERSION 4は滾ると思います。
ヴェルヌ+ハインライン好きが世の中に何人おるんじゃって言われたら、まあ大した数にはならんとは思いますが、しかし、今のアニメも特撮もたいがいはその延長ですよ。古典のツボを押さえてあるわけですから、万人に面白いですよ。
ただし、VERSION 3までは明らかに別物で、ひとによって好みも別れるので、どちらがオススメとは言い切れない状況です。
例えるならば、ガイナックスの「トップをねらえ!」と「トップをねらえ2!」のようなもので、「トップをねらえ2!」の「2」の場所は本当にそこでいいのか? 普通は素のタイトルの後ろだろ? といつも思ってしまうんですが、「2」を勧めたくても、「1」を知らないと面白さは半減、だけど「1」の後半はオススメできる状態じゃない、みたいな葛藤があります。
プクリポが登場するお話はたいがい明るくて楽しいんですが、そこを期待するとどんよりしてしまう内容で、逆に、ひとはなぜプクリポに心を癒されるのかが痛感できます。
SFというのは、非常に幅広い分野で、たとえばメカがでてきたらSFなのか? 『キテレツ大百科』はSFなのか? 緒形拳と山田五十鈴の『必殺からくり人』はどうなんだ? との疑問の声がたびたび聞こえてくるんですが、わたしの定義では「社会の縮図が描かれていればSF」です。
なので、ドラクエ10のVERSION 4はまごうことなきSFですね。
VERSION 4.5 遥かなる未来への旅路
そして、VERSION 4.5でここまでに起きたことが明らかになりますが、ここで終わりではなく、むしろ物語はここから羽ばたき出すと言っても過言ではありません。
実際にこの先のバージョンで、VERSION 4期間に登場した人物や概念がちょくちょくでてきますし、ドラゴンクエスト世界の地平線を描いたのがVERSION 4だったと言えるでしょう。
あと、ヴェルヌとかハインラインとか書いたんですけど、もしかしたら近いのは上田誠かもしれません。
まあ、タイムループものはほとんどがラストで上田誠的に発散するんですが、つまり、ループにループを繰り返して、すべての前提をぶち壊して終わる、という黄金パターンでVERSION 4は終わります。
一応、ドラクエ10の世界は再構築されますが、「再構築されました」なんてのは口先でなんとでも言えるものですからね。宇宙戦艦ヤマトだって何度も特攻をかましてますが、版元が「実は生きていました」と言えばぜんぶチャラになってますし。
トータル的に見て、とても満足度の高いバージョンです。
VERSION 5では一転してダーク・ファンタジーに、そしてVERSION 6ではレンズマンやハクスリーを彷彿とする宇宙規模のお話へと展開しますが、その豊かな物語背景の基礎を作ったのがこのVERSION 4でしょう。
ただ、VERSION 6で「うっひょー! なんかレンズマンっぽいじゃん! すっげー!」と思ったほどにはレンズマンじゃなかったので、そこはまあ、ドラクエとして頂くしかなかったんですが、まあ、こちらにはそれを補う妄想力がありますし、それで十分です。
では、最後に大急ぎで、好きなキャラと好きなクエストを見てみましょう。
好きなキャラ
ディアンジ
クオードの個人的な家臣、という、やや不思議な肩書のキャラ。性格はほんわかさんでドジっ子。でもこのディアンジと、同クオードの個人的な家臣であるザグルフのいいひとキャラが、4.3の非道なクオードをただの悪人ではない厚みのあるキャラに仕立てる。
ディアンジ周辺はカメラアングルが特殊で、確かウルタ皇女に対してだったと思いますが、ヒッチコックのドリーズームというカメラワークが用いられています。ドリーズームはもう1箇所※、たしかこれもVERSION 4で、キャラクターファイルクエストのどこかだったと思いますが、用いられています。
映画好きがおるなーと思いました。
※全体では5箇所くらいは確認してますが、これ使ってるとこのカメラはたいがい上手いですね。ぜんぶ同じひとかもしれません。
ウルタ皇女
VERSION 4.3のドラマの中心。この感想の初回でビャン・ダオのクエストが好きだって書きましたけど、VERSION 4.3はそれを受けてのドラマなので、見ごたえがあります。
皇女らしからぬファッションと、ウルベアは大帝国というわりにはこじんまりとした都市ですが、不思議とそれが不自然でもない。
ワグミカ
クオードに人生を狂わされたなかのひとり。リアルを感じさせる。
ドラクエ10では、錬金釜の見た目を変えることができますが、「ジョッキに材料入れてシェイクするワグミカプリズム」が出たら2000円程度なら余裕で出します。
福引景品で競売価格2億ゴールド?
買いますよ、当然。
好きなクエスト
オンディアヌと魔法のペン
本文中にも書きましたが、大好きなクエスト。
VERSION 2の『波間に揺蕩う歌声』のような優しさを感じますが、同じライターさんだったりします?
そういえばわたしも「たゆたう歌声」ってタイトルの話を以前書いたことがある気がします。
リーネ外伝
ずっと昔、合成屋の真ん中のひとから請けるクエストが、客船に行っていろいろやらされてめんどくさかったので、全25キャラ持ってるなかの1キャラだけやって、続きも完全放置してたんですが、つい最近改めてやってみたところ、リーネさんの良さがとても前に出た良クエストでした。
「お宝の写真」で、マップを見る目も鍛えられて、ファストトラベルも充実したいまでは、手軽に稼げるクエストナンバーワンですね。ちなみにカンダタの月に行くクエストも、月での低重力移動が鬱陶しくて1キャラしかクリアしてなかったんですが、そっちもちょっと変更されてました。
それでリーネさんですが、バトルのところで、うっかりめちゃ弱い職業で突入して、こりゃリセットかあ? と思っていたら、リーネさんめちゃ強かった。経済的に。やっぱ金かー、みたいな。
遊び人職業クエスト
職業クエストのなかで一番好きなのが遊び人クエスト。遊び人がVERSON 4で実装なので、ここに持ってきました。美容院のカラー追加クエストと同じテイストを感じる。このクエストにも有無を言わせぬ敗北感を感じます。
こんなに素晴らしいものに出会いながら、だれが書いたかもわからない。この悲しみをクエストにしたい。だれなんだまえは。オレと一緒に新しいオレオレ詐欺でも開発してみないか?