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愛しのドラクエ10:VERSION 1 目覚めし5つの種族

愁羽淋
·
公開:2026/8/5

前書

ゲーム業界に身をおいて37年になります。

 

残念なことにその間、ドラゴンクエストの仕事を受けたことがありません。

ただ、ゲームを作る仕事に入る前にイラストの仕事を受けることがあり、そちらではドラゴンクエストのキャラクターのカットや4コマ漫画を描くことがありました。

 

さらに遡れば、『土曜深夜族』というTBSの深夜番組内のコーナーで、堀井雄二先生とお会いして『姫路黄金伝説』なる遊園地イベントの企画に参加したことがあります。

 

しかし、ゲーム業界に入ってからはさっぱり縁がありません。

 

ただそれもそのはずで、就職した会社が「スクウェア」という、当時はドラゴンクエストの販売元である「エニックス」とはライバル関係にある会社だったのです。そのスクウェアも、やがては堀井雄二氏とタッグを組んで『クロノ・トリガー』なる作品を作り、ゆくゆくは合併へとことは運ぶのですが、『クロノ・トリガー』の頃は『ロマンシング・サガ3』チームに配属されるなどして、なんだかんだで堀井雄二師匠と再会することは叶いませんでした。

 

ちなみに、すぎやまこういち先生とは『半熟英雄~ああ、世界よ半熟なれ~』でご一緒しているのですが、こちらも顔は合わせず、鳥山明先生に至っては、漫画家時代にアシスタントしたともながひでき先生がアシスタントしていたひすゎし先生がアシスタントしていたのが鳥山明先生、というひ孫弟子の関係に当たるのですが、こちらもお会いするに至らず。また、ドラゴンクエストの誕生に深く携わられた鳥嶋和彦編集長は、ジャンプの編集部で一度顔を見ただけ、プログラマーの中村光一氏は(ファイナルファンタジーの生みの親の)坂口博信氏の結婚式二次会で隣に座っただけ、といういろんな巨人と薄く薄く接触してきた、というのが僕のゲーム業界37年……いや、アニメーターを辞めたあたりから数えると、40年史となります。

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その僕が、ドラゴンクエスト10のストーリーを中心とした感想などを書こうとしています。

想像できると思いますが、これはとてもとてもおこがましいことです。これを書くとまた知り合い――坂○さん、亀○さん、松○さんあたりから――「またしょーもねーこと書いとる」と目を細められるかと思うと――まあ思ったところで立ち止まるはずもなく、心して書くしかないんですが、これもまたドラクエへの、一部ちょっと歪んでしまった愛ゆえと思っていただければ幸いです。

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本気の感想です。

すべての知力を果たす気で書きます。

制作陣やファンの悪口は書かないと思いますが、推測されるシステムの欠点や戦略上のミスなどがあれば指摘すると思います。ひとによってはこれを悪口と捉えるでしょうが、飽くまでも前向きな検証材料として書くつもりです。

 

いや、いまからそうやって書きたいことが決まっているわけではないのですが、うっかり悪口を書きそうになったときは、あくまでも前向きな提案になるように取り繕って――という、これもゲーム制作時には常に気を配っていることですが――書きたいと思います。

 

ちなみに、コマンドRPGの企画を立ててる会議のなかで「コマンドRPGでいいの?」みたいな意見って、たまに出るんですよね。

それもまあ、「コマンドRPGなどやってられるかーい!」だと誰も聞く耳を持たないんですが、「こういうゲームにして、こんな可能性を探りたい!」だと聞かざるを得ないというか。

でもそれってプロデューサーマターだから、プロデューサーが決めた以上そこを疑ってもしょうがないのでは? とも思うんですが、一方ではその意見から新たなアイデアを掘り起こせる可能性もあるわけで……

と、そんなことはさておき……まあ、本編に入ってもこうやってひたすら脱線を繰り返すことになるとは思うのですが、ドラゴンクエスト10、正式名称『ドラゴンクエストX オンライン』の膨大な感想へと進んでまいりましょう。

 

テキストの構成は、アップデートごとの8章だてになる予定です。

また、本編中はスタッフ名はすべて敬称略、知人・友人として書く場合は「さん/君」付けで書こうと思ってます。さすがに立場的に「亀岡慎一がどうこう」とは書けないので。すなわち、宮本茂や堀井雄二や糸井重里は呼び捨てで、亀岡慎一は「亀岡さん」とさん付けになります。

「糸井重里と亀岡さんとともに作ったMOTHER 3」

という、これはこれで恐れ多い表記になってしまうんですが、そこは適宜調整して参りましょう。

適宜調整。私の好きな言葉です。

では、第一章、「目覚めし5つの種族」へと踏み出して参りましょう。

ちなみに1万文字あります。文字酔いの激しい人はあらかじめ酔い止めの対策などをなさるとよろしいかと思います。

Version 1 目覚めし5つの種族

まず、ドラクエ10のシナリオで特筆すべきはどこかと言えば、僕はやっぱり、ほんのり受け継がれた辻真先テイストだと思うんです。

お? しょっぱなからなんか聞き慣れない名前が出てきたぞ?

と、お感じになる方もおられるかもしれませんが、辻真先というのは、『エイトマン』や『鉄腕アトム』の時代から、『Dr.スランプ アラレちゃん』、『うる星やつら』等を経て『名探偵コナン』までずっと前線で執筆されてる生きる伝説のような大脚本家です。

初っ端にその名前を出したのには理由があります。ドラゴンクエストには、驚くほど辻真先のカラーが受け継がれているのです。

 

ドラクエ独自の自己言及気味のギャグや、小洒落たセリフ、ちょっと定石を外した小粋な展開などは、70年代から80年代にかけて辻真先が築き上げた伝統芸と言っても過言ではないでしょう。そのカラーは、雪室俊一(『おはようスパンク』や『あずきちゃん』)や井上敏樹(『仮面ライダーアギト』や『鳥人戦隊ジェットマン』)らに引き継がれて今に至りますが、それを受け継いだ巨人のなかに、堀井雄二も含まれるのだと思います。

 

80年代当時は、気鋭の井上敏樹を先頭に、大橋志吉や島田満、照井啓二、少し先行して金春智子、少し遅れてあかほりさとる、大和屋暁と言った恐ろしいセンスと個性を持ったライターが次々と登場しており、辻真先はやや古臭く感じたし、その個性と言われてもピンと来なかった――金春智子や井上敏樹が作品を見るだけで一発でライターを見抜けたのに対して、辻真先の脚本と言われてもありがちな凡作にしか思えなかった――ものですけど、いま見返すと、「これが辻真先か」と改めて驚きますね。

当時のアニメ脚本の基本は辻真先が作ったようなものですから、それで見えなくなっていただけで、そのペーソスからトリックからセンスまで、すべてが辻真先の術中でした。それこそ、ドラクエ10のVer.2の魔王マデサゴーラのような存在です。その世界すべてを築いたのが辻真先であることを、当時の僕は気が付きませんでした。

これは持論なのですが、(『科学忍者隊ガッチャマン』や『ヤッターマン』でおなじみの)タツノコプロの魂を継承したのは広井王子(+あかほりさとる)だと思っていますし、同様に辻真先を継承したのはドラゴンクエストだと思っています。

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その、日本アニメーションすべてを作り出した神々の中でも最高神のような存在の辻真先を受け継いだドラゴンクエストのナンバリング10作目ですが、これが本当にもう辻真先ワールド全開になっています。

それまでのドラクエは概ねファンタジー寄りで、学園要素やSF要素はそれほどフィーチャーされていないんですが、ドラクエ10はそれらの全部盛りで、まさにアニメーション史60年の縮図になっています。

ドワーフやプクリポたちのSF要素、怪盗ポイックリン(この名称はおそらく魔法少女ポワトリンから取ったもので、脚本は浦沢義雄という――辻真先の破天荒面を更にピーキーにしたような――狂気的なライターによるものです)の怪盗要素、パクレ警部の警察モノアクション、紅玉館のミステリー、リィンとラウルの秘境探検、と、どれも小粒ながらツボを押さえた仕上がりとなっており、日本のアニメーションの美味しい要素全部入りのフルコースのようです。

 

また、シナリオばかりでなく、カメラワークも非常に優れており、とくに破邪舟師エルジュや怪盗ポイックリンあたりのカメラは珠玉です。

エルジュのカメラは地味なんですが、水平垂直のラインをしっかりあわせた画面づくりがプロのこだわりを感じさせます。「3Dの仮想空間だから、何もしなくても水平垂直は保たれるんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、キャラを配置してただカメラを向けるだけだと、絶対に安定した構図にはならないんです。ドラクエ10をプレイされてる方は、思い出映写機で振り返ってほしいんですが、カメラを床に水平に壁に垂直に固定した状態で細かくキャラの位置取りを決めていかないとああはなりません。アニメのように先にレイアウトを決めて撮ったのではないかと思えるほどです。

攻殻機動隊というアニメを見たことがありますか?

あのアニメの街の背景はかなり建物の垂直水平を意識して描かれているんですが、実写のカメラだとシフトレンズという特殊なレンズを用いないと撮れない構図になっています。ドラクエ10のような3Dのゲームもそうで、気をつけないとすぐパースがついちゃうんです。これはVer.3の業炎の聖塔内部のカットシーンも同様ですが、垂直ビタ合わせでレイアウトしている場面が散見されます。

 

怪盗ポイックリンの外伝は厳密に言えばVer.4ですが、ついでに言及しておきますと、キャラクタークエストの最終話のアクションのカット割とポージング、タイミングが最高ですね。海外のスラップスティック・コメディの影響も受けながら発達した日本のアニメーションの粋を感じさせる出来ですので、これも思い出映写機で見返して欲しいし、未プレイの方には遊んでみて欲しいものです。

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さて、そんなドラクエですが、海外受けが悪いという欠点があります。

ここまでの流れからすると、「日本のアニメの影響が強すぎるのが悪いんじゃない?」という結論にもなりかねないのですが、わたしはそうは思いません。

 

実際にドラクエ8は海外では高く評価されましたので、その路線を継承すればドラクエ9も評価されていたはずですし、10での売上にも貢献したと思います。

が、現実にはドラクエ9は日本市場でしか成立しないであろうすれ違い通信を大きくフィーチャーし、代わりに海外で受けたヴォイス付きの重厚なドラマを捨てました。これは、日本でトップを取るのが至上命題であるドラクエにとっては避けがたい選択であったとは思います。

 

繰り返しになりますが、もし「ドラクエ10が受けないのはジャパニメーション風のシナリオのせいだ」と評するひとがいるとしたら、わたしは明確に反対の立場を取ります。

だったら――ドラクエ10でも『バージョン5(いばらの巫女と滅びの神)』からはヴォイスがついていますし、それ以降のドラクエ10は十分に海外で勝負できるんじゃないの? という命題も成り立ちますが、確かにそれはそうですが、問題がないわけではありません。でもそれはシナリオの質ではなく、物量です。

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ドラクエ10がまだリリースされていないころ、旧知のディレクターと飲みに行く機会があり、そこで話題に出たのがBlizzardのWorld of Warcraft(=WoW)でした。

世界最高峰と言っても良いMMORPGで、「あれには太刀打ちできない」「日本であれを作れるスタジオはない」という話をしました。わたしも、そしてその話をしたFF12最強の敵でもある彼も、作りたいのはやまやまだが、無理だという結論に達したものです。

 

ドラゴンクエスト10がリリースされたのは、その2年ほどあとでした。

内容は、仕組み的には当時すでに下火になりつつあったWoWクローンに近く、UIはドラクエの伝統を受け継いだ独自仕様、クエスト制はクエストごとのワンオフが見え隠れするやや不安な実装、そこに「相撲」と呼ばれる並のゲームデザイナーだったら絶対に反対する高負荷要素が加わり、海外での販売には決定的な足枷となるすれちがい通信が含まれていました。

つまり、世界を獲りにいくことは端から捨てていたんですね。

 

ゲームの世界観もWoWから拝借した要素が多く、オーガの拠点となる町はWoWに登場するオークの拠点と意匠が被り、エルフが和風で表現されている点、光の神殿とWoWのpinnacleの類似、魔幻宮殿最終部屋とBloodElfの構築物の類似、あるいはレストボーナスの仕様、アイテムのソウルバインド、武器の素材への分解、などなど、実際に海外でリリースされていたら問題視されるのではないかと思えるほどの類似ネタが盛り込まれていました。

これらが問題視されなかったのは、WoWの日本語版がリリースされておらず、海外のゲーマーはドラクエ10をプレイしていないためで、どちらも遊んでいるわたしのようなひとは、「本当にこれでよいのだろうか」と疑問に思ったのではないでしょうか。

と、非常にパクリ臭いドラクエ10ですが、裏を返せば、世界的に大ヒットした(そして今もなお現役の)World of Warcraft と似ているのですから、すれ違い通信を除けば海外でもヒットする要素は十分にあると言えなくもありませんが、そこで問題になるのが「量」です。ドラクエ10は、一般的なRPGに比べるとうんざりするほどの量があるんですが、WoWに比べると10分の1なんです。

 

WoWではこの、ドラクエの10倍のリソースが、ドラクエの倍以上の速さでガンガン消費されます。冒頭の2時間で30から50のクエストが次々と消化されて、それを楽しんでいるうちにチュートリアルが完了します。

これは「国内だけで元を取る」か「全世界で売って元を取る」かという商品仕様の問題であって、市場規模の小さいドラクエは、そもそもリソースを割けなかったのでしょう。

 

海外でMMO好きだと、WoWをプレイしたことのないひとは(今ならともかく、当時は)いませんから、その1割しかコンテンツのないドラクエ10が世界規模で登場しても、すぐに見透かされて飽きられたと思います。

当然、世界に出すということはそれなりに金をかけて作るということですから、売れなければそれが致命傷になり、国内でのサービスも長く続かなかったかもしれません。

日本では、従来のドラクエのターゲット層に届けるために任天堂Wiiを選択せざるを得ない状況でしたし、ハードのスペック的に表現も限られます。諸々勘案すれば、結果としてこの選択しかなかったのは事実でしょう。それでもその状況から最新版に見られる「すれちがい通信なしで成立する」「ドラマに音声のついた」「相撲も戦術に無理なく取り込まれている」ゲームにまで進化したのですから、スタッフの努力と才能はたいしたものです。

 

ちなみに先日の「超ドラゴンクエストXTV」で、「ドラクエ10を作った当時は武器チャームなんか想定してなかった」という発言が飛び出しましたが、実際には当時のWoWには武器にエフェクトが乗るエンチャントがあり、わたしも高い金を出してスクロールを買っていましたから、もし本気で言っているとしたら、ややカンが鈍いのではないかと思いました。

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さて、なぜこうやって重箱の済をつついているかと言えば、何度も繰り返している通り、「ストーリーが日本向けだから海外展開ができない」などの戯言を言われたくないためです。

ドラゴンクエスト10には、日本のアニメーションが築いてきた全てのことが詰まってるんです。

それを海外向けに新たにパッケージすれば、確実に売れます。

日本で売るために、市場の動向に合わせてWii対応やすれちがい通信連携を盛り込んだように、海外で何が受けるか、海外で売るにはどうすればいいかを見据えて、取り込めば、売れるんです。

売れないはずがない。

おそらくだれもが望んでいるはずです。

日本発の、日本のアニメの美味しい要素をすべて盛り込んだゲームというものを。

もちろん、海外で売るためには超えなければいけない問題があります。

そのうちのひとつが、コンプライアンスとポリティカル・コレクトネスですが(ひとつと言いながらふたつありますが)、ただし、「海外に売るためには、いろんな人種を出さなきゃいけない」と短絡的に考えるならば、それには賛成しません。その考えは逆です。

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「多様性を守るために何かしなければならない」と考えるなら、クソのようなアイデアしか出ません。

そうではありません。

「どこにいるどんなユーザーが、どんな要素で遊びたがっているか」を考えるんです。

 

考えてもみてください。

あなたは勇者です。

魔王と戦うため、市民の蜂起を促さなければいけません。

その際にやることは「いろんな市民の実力に合わせた、多様性豊かな武器の準備」ですか?

そんなのは、何もわかっていないひとが出す意見です。

必要なのは、市民の元に駆けつけ、ともに戦う「英勇」となることです。

 

と、これでは抽象的でわかりにくいので、例を挙げましょう。

 

たとえば先にあげたWorld of Warcraftは、中国韓国市場に乗り込む際に、BloodElfという美形の種族を導入しました。

WoWはオークやトロールと言った非人間種族が主流を占めて、人間キャラはチャック・ノリスと揶揄されるようなものしかいないというデザインの偏りがあり、そのまま中国韓国市場で売るのは難しいと判断されたんです。

 

ドラクエ10を海外で売る際にも、その市場のユーザーが何を望んでいるかリサーチして、それを取り入れれば良いのです。それで売上も予算も10倍になります。それをただ、「肌の色を選べれば良い」という粒度でしか捉えないとしたら、製作の怠慢でしかありません。

 

どんな作品が受けるか、という市場調査は、ドラクエの母体のひとつとなった集英社は細かくやってきたはずで、それが日本のアニメ・漫画市場を築いてきました。同じことを、世界規模でやるんです。

 

とは言え、現実的に考えれば、いまからドラクエ10を海外に売るのは難しいと思いますので、次に活かして欲しい、という願望にしかなりませんが。

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ゲームの話に戻りましょう。

ドラクエ10のVer.1を遊んでいて非常に気になる点は、「冒険ガイド」の表示ですね。これとイベントスキップ機能は非常に便利なものですが、多用すると(というか一度でも使うと)ストーリーが意味不明になってしまいます。

 

ドラクエ10のストーリーはまっすぐ繋がっていないものが多く、たとえばガタラの初期クエストや、キーエンブレム6個集めて発生するクエストには、同じ場所に2回アクセスしてフラグを立てるようなものがあります。このあたりはイベントをスキップすると何が起きてるのかさっぱりわかりません。

「スキップしてんだから、わからないのは当然だろう?」と言うユーザーは、おそらく優しいのだと思います。作り手にとってはありがたい存在ですが、その言葉が制作の判断を誤らせます。

 

理想的には、町でイベント、町から出るとなにか起きて、ダンジョンに入るとイベント、ボスに会うとイベント、となってくれていれば、長いイベントなど見なくてもそれなりに冒険した気分を味わえるのです。この場合イベントをスキップしても何も迷うことはありません。

ドラクエ10は、とてもストーリーが面白く、ストーリーを見ることを前提としているので、「一度部屋に入ってイベントを見て、追い出されて、もう一度イベントを見る」というシーケンスもプレイヤー体験の一部を構成していますが、スキップ機能によって、このゲーム体験そのものが劣化するんです。

もしわたしがライターだったら、「スキップできる仕様にするなら言ってよ」と泣きごとを言ってると思います。

 

スキップした際の挙動と冒険ガイドの文言(あるいUIそのもの)を細かく調整できるとしたら、いくらか改善できるとは思いますが、コスパは高くありません。

 

またこの冒険ガイドは、プレイヤーが今やりたいこととは違うことを示し続けることが多く、便利さと引き換えに犠牲にしたものが大きいように思います。

犠牲になったのは言うまでもなくストーリーで、ドラクエにおけるストーリーというものは最も毀損してはならないもののひとつなのではないかと、わたしは思います。

もちろん、今更変えられる部分じゃないだろうってのは承知のうえです。それに、所詮は後知恵で、出来たものを見てあれこれ言うのは誰にだってできるんです。なので全ては後学のためです。

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ドラクエ10の悲願であろう「新しいユーザーを増やしたい」という観点から見ても、冒険ガイドはマイナスのような気がします。現在のドラクエ10の方針は、「新しいユーザーを確保したら、とにかく早く最前線に出す」のように見えますが、ドラクエ10の真価はそこにはないと考えています。

 

今までドラクエが好きだけど10には手を出せなかったひとが遊びたいのは、ストーリーなんじゃないかと思うんですね。

ところがドラクエ10というゲームは、自分の分身たるキャラを作って、アストルティアの世界に降り立って、そこで最初に目にするUIで「エテーネの村の物語をスキップして、5つの種族に生まれ変わるところまで進めますか?」と盛大なネタバレをかましてくるんです。デリカシーの欠片すらありません。本当にここだけはなんとかならなかったのかと悔やまれます。

 

また、バージョン8発売後に実施したスタートダッシュ・キャンペーンも大反対です。わたしの場合、キャラの育成に手間取って(20キャラ以上育てているのが悪いんですが)、ボスにたどり着いたときは過疎ってるということが度々ありました。自分と歩調の合うひととの出会いの少なさは、MMOの欠点のひとつだと思うので、そこに無自覚であってほしくありません。開発から聞きたいのは、「スタートダッシュなんかしなくても、自分のペースで遊べます」の言葉です。

 

14年前の古いシステムよりも、最先端のバージョンを遊んで欲しい、という制作の気持ちはわかりますが、古い部分も古いなりに面白いし、他のユーザーと差がついても面白いものは面白い、というポリシーを持って欲しいし、そのうえでUXの向上を目指して欲しいというのが、とても贅沢なわたしの希望です。

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さて、システムへの愚痴ばかりになってきましたが、ここで少し口直しに、Ver.1でお気に入りのシナリオを4つと好きなキャラ3人を挙げたいと思います。

シナリオ編

ガタラ外伝クエスト【動き出した時間】

ネタバレを避けて書くのが非常に難しいのですが、中心となる皇子の性格付けがとてもとても良く、その心の襞まで見えるかのようなストーリー構成に感服しました。これを見ているからこそ、Ver.4のお話がぐっと来るし、それが巡り巡って時を超えて解決される様など、この皇子の視点からもう一度物語を見直したいと思うくらいです。本当に珠玉ですね。これがあるからドラクエはやめられません。

ジュレット外伝クエスト【ゆるしてほしいのニャ】

ジュレットの本クエストの後日談のようなお話で、落ちぶれてしまった元敵の姿が描かれるのですが、その落ちぶれ方とイジられ方がとても良いです。それが主人公の手引きもあって、解決すべくして解決していく。この先ドラクエ10の物語は大団円に向けて進んでいくと思うんですけど、ラスボスにやられそうになったときにコイツが助けに来てくれたら泣いちゃうかもしれません。ONEPIECEで言うボン・クレーあたりのポジションまで上り詰めてほしいんですが、その後さっぱり話に絡みません。いっそ種族神の器になってほしいくらいです。

アズラン外伝クエスト【人形たちのラグナロク】

Ver.1には、戦士の職業クエ、魔法使いの職業クエのように「その手があったか」と思わせるクエストがいくつかあるんですが、このクエストも限られた舞台装置のなかでよくこのストーリーを仕込めたなと感心したお話のひとつです。初期のクエストなので、あまり設定は練り込まれていないかもしれませんが、人形? ピエージュとの関係は? などと勘繰りだすと、ラグナログはこれから来るのかもしれないと思ったり、思わなかったり。

関係ありませんが、魔法使いの職業クエの概要を始めて聞かされたシステム担当は頭を抱えたと思います。わたしなどそれを見越して最初から提案しませんもの。

武闘家職業クエスト【超天道士の遺産】

プレイしてみるとわかりますが、恐ろしくシンプルなクエスト群です。登場人物も、武闘家、そのお目付け役、死んでしまった超天道士の3人ですが、この3人の設計がとても優れています。長い物語でこの3人の関係を語るのは、割と簡単にできると思うんですけど、ドラクエ10ではそれをわずか5つのクエスト、しかも、どこかに行って、修行して帰ってくる、というだけのエピソードで見事に表現しきっています。クエスト型ストーリーテリングの手本にすべき秀作だと思います。

キャラクター編

ポツコン(1号)

ガタラのガラクタ城主ダストンももちろん好きなんですけど、それを支えるポツコンのいい感じのポンコツぶりが、本当によくできてると思います。ほんのりチリに思いを寄せるがガツガツしないとこも最高。無表情でダストンに拍手を送る仕草など、制作陣が楽しんで作ってる様子も伝わってくるし、しっかりフォロー役ツッコミ役をこなす、物語のギミックに欠かせない存在ですね。ぶっちゃけダストンの多動寄りの性格が、すごい刺さるんですよ。自分を重ねてしまうというか。そこにポツコンという唯一無二の相棒を与えてくれて、開発様本当にありがとうって感じです。

密林の野営地のジェーン

「密林の野営地のジェーン」でパッとキャラが浮かばないひとはいないと思いますが、念のために説明すると、美容院のカラー解放クエストを依頼してくるウェディの女子ですね。ギャルっぽい話し方で、疲れてぺたっと座り込んでて、自分を励ましながら素材に魔法を掛ける姿なんか最高です。カラー解放クエには、イナミノ街道のヒガン、橋上の宿のバラバと名キャラ揃いで、この魔法の呪文テキスト書いた人は天才じゃないかって思いました。同じゲームのテキスト書きとして、悔しくて眠れなくなるほどの良い呪文が目白押しです。勝負するところがそこかよ、と言われそうですが、そこです。

巫女の館のユーチャーリン

エルフ以外だとあまり馴染みがなく、知らないひとも多いのではないでしょうか。知ってるひとでもどこが良いのかわからないかもしれませんが、自分でもどこに惹かれているのかよくわかりません。エルフなのにウェディのように体重をズラした立ち方をして、キュウスケのやや失礼な仕草にただ笑顔で受け答えるだけ、という、登場シーンもごく限られているキャラですが、好きになるのに理由も時間も必要ないんですね。ガールズ&パンツァーに阪口桂利奈というひとりだけヒコーキ走りをするキャラがいて、このキャラがとても好きなんですが、ユーチャーリンもツスクルのイベントで走り方が違うんです。そういうとこはちゃんと見てるんで、どんどんやってほしいです。ちなみに、イベント外で会いに行くと普通に立っていたので、キュウスケにだけ見せたあのリラックスした姿勢にちょっと嫉妬を感じます。

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こうやってドラクエ10全体を眺めて改めて思うのはやっぱり「辻真先の世界だなあ」ということです。

この後、「アスフェルド学園」という学園ものがVer.3で、「パクレ警部の事件簿」というナンセンス刑事サスペンスがVer.4で実装され、いずれも「ドラクエの世界観とは違う」と言われるんですが、ドラクエにはIIの頃から福引がありましたし、IIIからはカジノやバニーガールがあって、10にもドルボードという反重力移動装置があるし、その見た目をバイクやオープンカーにカスタマイズできますし、その世界観の幅はかなり広く取られていました。ちなみに、ドラクエIIIで登場した「あぶないみずぎ」は、時代背景を考えると超ハイレグビキニのことでしょう。

 

そのドラクエ世界の地平線はどこかと考えると、辻真先が先鞭をつけた世界と完全に一致するんです。それはすなわち、日本のアニメーションの全てでもあります。パクレ警部なんか本当に、浦沢義雄が書いてるんじゃないかというノリだし、ポイックリンならあかほりさとるや首藤剛志が書きかねない。サイボーグ001が浦沢で、002があかほり、003が吉田玲子で、004が井上敏樹だとするならば、その性能のすべてを併せ持った009が辻真先で、その筆力がカバー可能な範囲がドラゴンクエストで、なかでも際立ったのがこの10なんです。

だからプレイしていて、本当にそれらのエッセンスを感じるし、書き手が参照しただろう作品もなんとなくわかるし、それをうまく料理して、いい感じでミニマムにゲームに落とし込んでいると感じさせてくれる。だからきっと、ドラクエ10が好きなんだと思います。

 

もちろんドラクエ10には問題も多いです。

とくにコンプライアンス関係では目を覆う部分があります。

これは鳥山明のデザインがそもそも、旧時代のコンテンツへの参照が強いせいでもあり、新しいものをやろうとしてもデザインの方向性に合わせにくいという理由があると思うんです。たとえば、ゲーム中に黒人のキャラを出すにしても、「鳥山明のデザイン」を守る以上は、背の高い格闘家か、トム・ソーヤーのサムか、といったものになり、それ以外で「これは鳥山明のデザインです」とは言い難くなる。

たとえば天使のデザインにしても、鳥山明のキャラでは白人の天使しか想像できないわけで、黒人の天使を登場させたら「ポリコレに屈した」の大合唱になるのが目に見えています。

しかしそもそもキリスト教というのは中東の発祥で、そこに登場する天使もいまのデザインにある白人ではなかったわけで、それが白人で通用しているのは簒奪でしかないんです。事実、キリスト教関係者からも、天使には実体がないので人種は存在しないとの声明が出され、世界中で様々な肌の色の天使が描かれています。

 

他方、日本のアニメーションには、アンドロー梅田、クローディア・ラサール、ナディア・ラ・アルウォール、姫宮アンシー、ネイサン・シーモアと、と、そこそこ多様に表現を広げてきた実績があります。

ただし、これをもって「日本のアニメーションは昔から多様だった」というのは違うと思います。多様性とは、自分が選択したものではなく、捨象したものにこそあるのだと考えるからです。覚えておいてください。何かを選ぶ限り、それは多様ではありません。

 

「アンドロー梅田がいるから多様だった」わけではなく、それと同時に「肌に色を付ければアンドロー梅田になる」わけでもありません。アンドロー梅田を描かなければ、アンドロー梅田にならないんです。

これは哲学者のジャン=ポール・サルトルも言っています。

 

アンドロー梅田を描かなければ、アンドロー梅田にならない。

 

誰にだってヒーローがいます。たとえ全ての麦が倒れ 水が干上がり、涙が枯れても、そこに駆けつけるヒーローが必ずいるんです。

ネイサン・シーモアが「男は度胸、女は愛嬌、オカマは最強」と言ったとき、魂が打ち震えました。いまでは問題があり、吐かせられない言葉です。でも、カッコよかった。そのカッコよさを、いまの言葉で、もう一度、いや、何度でも吐かせるのが、シナリオライターの役割です。

 

いまあるキャラクターに無理して色をつけるのではなく、面白いと思えるキャラ、もっと強いキャラ、もっと憧れるキャラを描けば、必然それは多様性になります。

それはむしろ目指すものではなく、いつの間にか追い越して、「俺達が先頭を走ってるじゃないか」と気がつくものだと、わたしは信じています。

だから、これからゲームを作る若い人たちに言いたいのです。

色合わせなんかしなくていい。

できる限り多くのひと、いろんなひとがカッコいいと思える新しいキャラを考えるんだ。その新しいキャラが、何と戦い、どんな世界を作り出すか考えるんだ。

そして、辻真先を讃えよ。

その作品のなかにすべてが詰まっている。

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と、いうところで、ドラクエ10の感想にかこつけた言いたい邦題のVer.1、ここで締めたいと思います。

次はVer.2『眠れる勇者と導きの盟友のおはなし』へと進みますが、なんと、Ver.2でようやくヒロインが登場します。

すごいですね。Ver.1の間、ヒロインが登場してないんですから。

とは言え、わたしのなかではもうヒロインはユーチャーリンひとりと決まっているんですが。

@sonovels
さよならおやすみノベルズという個人小説レーベルで地味に書いています。サイトで読めばタダ。Kindleで400円。 sayonaraoyasumi.github.io/storage