前史
あちこちで何度も書いているように、身近に小山高生(タイムボカンシリーズで有名なアニメ脚本家)という(物理的にも精神的にも)巨人を目の当たりにしてきたので、当初はゲームのシナリオを書こうという気は更々なかった。アニメーター時代とその後のフリー時代、小山の教え子たちと少し交流があり、話すたびにその知識量に圧倒された。ゲームの仕事についてからもそうだった。まわりはみな僕よりも圧倒的な数の漫画や小説を読んでいるかに見えた。それでしばらくはストーリーのアイデアは出すが自分では書かないという時期が続いた。とは言え、あかほりさとるや千葉克彦を目の当たりにした身だ。チーム内で上がってくるものを読んで、「これはシナリオとは呼べないのではないか?」という気持ちもなくはなかった。小山の教室には参加しなかったが、そこに通っている友人からカリキュラムは聞いており、目だけは肥えていた。
これもどこかで書いたが、高校時代に教科書で安部公房を読むまでは、一切文芸に興味がなかった。興味の有無で言えば、学習全般にまったく興味がなく、授業中はずっとスピーカーボックスの設計をしていた。将来はBOSEの技術者になりたいなどとぼんやりと考えながら。もちろん、そうなると大学もかなりのところを選ばなければならなくなるが、それでも勉強はしたくない――というか、性質的にできない――ので、ある日高校を辞めようと心を決めて、学校を休んだ。そのとき担任が家庭訪問し、いろんなことを話せて、おそらくそこでいまの人生が決まったのだろう。担任は現国の教諭で、「どんな本を読む?」と尋ねた。僕は「読まない」と答えた。そのときはそれで終わり、でもそれがきっかけで、安部公房だったらと、『獣たちは故郷をめざす』『第四間氷期』と読むようになった。これも、どこかに書いた。文芸に興味をもったのが安部公房からなので、作風も自ずとそちらを向いている。
ちょうど同じ頃に、剣道部の朝倉くんが、親が厳しく家でアニメを見せてもらえないということで、毎週日曜日は家に押しかけて来て一緒に『超時空要塞マクロス』を見るようになった。おかげで、スピーカーボックスの設計しか趣味がなかった僕に、安部公房とアニメというふたつの新たな趣味ができた。
それまでは、いつか家出するのだろうとぼんやりと考えていた。あるいは、出家か。当時、「根暗」と呼ばれていた。いまでいう「陰キャ」のニュアンスに近い。小学生の頃の明るかった僕しか知らないものは驚くだろう。出家に憧れたのは、中学時代にバグワン・シュリ・ラジニーシを読みふけったせいだ。いずれ聖者か凶悪犯になりたかった。竹下さんのこと、秋山さんのことはそれぞれ高校の、1年のとき、3年のときに好きだったのは確かながら、就職もせず、家出して、どこかで野垂れ死ぬのだろうというぼんやり描いた未来には居場所がなかった。
アニメが趣味になったとはいえ、当時ほとんど絵は描けなかった。ただ、スピーカーボックスの設計の過程で、パソコン(富士通FM-7)で3次元座標を2次元座標に変換して表示するプログラムは書いていた。当時はアプリもなく、BASICで自分で書くしかなかったのだが、コード自体はそう難しくはない。大変なのはデータの打ち込みで、設計したスピーカーボックスを方眼紙に描いて、その座標をキーボードで打ち込むのだが、「もしかして、自分で描いたほうが早くね?」と気がついた。
これもまたたびたび書いているが、絵は宇宙戦艦ヤマトが描けなくて諦めていた。とくに苦手だったのがパルスレーザー砲で、コモリガエルが背負った卵のようなものが船体に貼り付いたものしか描けず、ガンダムが流行するころには完全にアニメから離れていた。これも、小学生の頃の絵が好きだった僕しか知らなければびっくりだろう。しかし、絵が嫌いなわけでも、描きたくないわけでもなかった。
この時期に同時に起きた、安部公房への憧れ、手動の座標変換←、朝倉くんと毎週見るマクロス・・・これらは奇跡のマリアージュだった。ワンチャン手作業で完璧に座標変換をこなせば、絵は描ける――と、実際にそう公言してアニメーターになろうと決意した。
高校卒業後、博多のアニメの専門学校へ通った。通いながらアルバイトをして上京資金に充てるつもりで、卒業は目的でなく、試験もない楽なところを選んだつもりが、通い始めてみると課題も友人もそれなりに面白く、結局は2年通った。卒業はしなかったが。
高校を出て、鳥栖の専門学校に通う秋山さんと何度か電車のなかで会った。スケッチブックを見せながら、高校時代に根暗だったことを話すと、「気の合うひとがおらんやっただけやろう」と彼女は言った。まあたしかに、ラジニーシに憧れて出家を考えてるようなヤツと気が合うヤツがいるはずがない。上京後、崇教真光の組手である小山高生と接近するのはそのルーツゆえであるし、一定の距離から踏み込まなかったのも、その壁のせいだ。
秋山さんは告白までもう一歩のところにいた。あとたった一言というところで、ためらった。もしあのとき迷わなかったら、その後上京してアニメーターになることも、漫画家を目指すこともゲームの仕事をすることもなかった。二十代前半の頃は、仕事で悩むたびに思い起こした。ちなみに、秋山さんの性格は拙著『憧れの秋山さんに捧げる冒険』に描かれた通りなので、ちょっと本人に読んで確認してもらいたい。
ライブ・ア・ライブ
ゲームのシナリオらしいシナリオを書いたのはライブ・ア・ライブからだが、そちらでは主にバトルを担当していたので、実装はディレクターの時田貴司氏に任せていた。そこでアレンジされた部分が多数ある。たとえば近未来編に――
「そんなに大量に服用したら廃人になってしまうぞ!」
「いにしえの・・・力を持ちて・・・飛び立たん!」
「・・・俳人になってしまった」←
というやりとりがあったのだが、最後のセリフが削除されていた。
このときはじめて、シナリオで名前がクレジットされたが、アイデンティティはまだシナリオライターではなかった。結局なにを書いて良いのかわからず、当時好きだった『ゼンダ城の虜』(夢の遊眠社)と『オネアミスの翼』と『美女と液体人間』を魔合体させた。
「無法松」というキャラクターが登場するが、これは小説や映画の『無法松の一生』からではなく、『ゼンダ城の虜』からの孫引きになる。映画の『無法松の一生』は、ライブ・ア・ライブのリリース後に観た。同様に、『仮面ライダー』や『タイガーマスク』や『マジンガーZ』のカラーが見え隠れするが、これらをコラージュするという手法そのものが夢の遊眠社の野田秀樹の作風に由来しているように思う。
ライブ・ア・ライブの近未来編は、『新世紀エヴァンゲリオン』との類似性を指摘されるのだが、参考にしたものに東宝の「変身人間シリーズ」や『オネアミスの翼』が混じっているので、必然的にそうなったものだと思われる。発想のプロセスが共通しているのだろう。もちろん、庵野秀明氏のほうが僕よりもはるかに広い知識を持っている。近未来編のシナリオは3つほど候補を書いたが、そのうちのひとつは『宇宙刑事シャイダー』インスパイアで、数々の怪人が登場し、そしてなぜかこのバージョンのほうがエヴァンゲリオンに近い。
『宇宙刑事シャイダー』は『仮面ライダー』『がんばれ!レッドビッキーズ』を手掛けた上原正三氏が全話脚本を担当し、氏の象徴主義的な手腕が活きている。ちょうどアニメーターを目指そうとした頃に放映され、そしてちょうど神話の構造分析に興味を持った頃でもあったため、ストーリー構成や表現はずいぶん参考にした。後に知り合った任天堂の田邊さんもシャイダーを観ていたが、話題にしたのは相棒のアニーの衣装の前期と後期での変化だった。つまり、同類だった。他方、時田貴司氏の作風は、仮面ライダーで上原正三とタッグを組んだ伊上勝に近く、こちらは実存主義、かつ、理想主義という相反するスタイルを融合させ、確固たる「カタ」にまで昇華させている。
ライブ・ア・ライブに関しては他のメディア作品の表面的な模倣、あるいは表に出るギャグ要素が目立つと思うが、上原正三の魂には学生時代から接してきた。そこに時田氏の演劇仕込みのセリフ回しが加わるのだから、これは上原正三と伊上勝のバロム・クロスのようなものだ。
ただ、ライブ・ア・ライブに関しては、本来の担当がバトルだったことと、内容も既存の手法や知識をコラージュしてでっちあげたもの、という意識が強く、これで「シナリオライターです」と名乗るような気持ちにはならなかった。実際には、シナリオライターを名乗っているいまも既存の手法や知識をコラージュすることでしか書いていないのではあるが。
ウイユヴェールとエナビア記
シナリオへの苦手意識は、段階的に克服されていくが、そのなかの重要なターニングポイントに『ファイナルファンタジー・タクティクス』(FFT)のゲーム内サウンドノベル『ウイユヴェール』と『エナビア記』がある。こちらは松野泰己ディレクターの下で、いまではFF16のシナリオまで担当するようになった前廣和豊氏とそれぞれ2本ずつを担当した。
こちらも当初はなにを書くべきかわからず、冒頭だけを何本も書き散らかしていたのだが、この「冒頭だけを書き続ける作家」を土台にして書いたのが『ウイユヴェール』だ。もちろん、最初は本気ではなく、ある意味自虐的に書いてみたものだが、ディレクターの松野氏から「これと、殺し屋の話をくっつけたらいいんじゃない?」などと言われ、心の中では無茶言うなあとは思ったものの、実際にそうしてみたら形になった。松野ディレクターの慧眼と言うべきか、なんと言うべきか。
ちなみに、『エナビア記』の方は、同様に冒頭だけ書き散らかして煮詰まっていたなかで「いちばん僕が書かないのを書いてみよう」と思って書き始めたもので、貴族の娘の日常生活が永遠に繰り返されるものだった。乙女モノの過剰な模倣パターンで、さすがに自分でもバカバカしいと思ったのだが、読んでいて妙に癖になるのと、なぜかこの作風が好きだという変人が何人か現れ、極めつけはこれも松野氏から、「後半に駆け落ちへのフローを足せばいいんじゃない?」みたいなことを言われ、心の中では無茶言うなあとは思ったものの、実際にそうしてみたら形になった。松野ディレクターの慧眼と言うべきか、なんと言うべきか。
『ウイユヴェール』には当時はまっていた『ゴルゴ13』の影響が強く見られるが、実は1987年日本テレビ系の深夜番組『NIPPON TV大學』内のミニドラマ『ハイブリッド・チャイルド』のパロディでもある。登場人物のパブロとシモーヌは名前をそのまま拝借している。糸井重里氏もMOTHER3でクラウスとリュカの名前をアゴタ・クリストフの『悪童日記』から取っているので、まあ問題はないだろう。『ハイブリッド・チャイルド』は(おそらくだが)『輪るピングドラム』にも強い影響が見受けられ、幾原邦彦監督もたぶん観ている。そして更に、冒頭の「冬のオレンジのようにありふれた女」という独白は、1986年のTBSテレビドラマ、小林薫、樋口可南子主演『恋人たちのいた場所』の冒頭を僅かに改変したものだ。
正直、テキストというものをどう書けばサマになるのか、さっぱりわからなかった。論考やエッセイみたいなもの、あるいはキャラのセリフは書けたが、地の文は書いたことがない。普通のひとなら、訓練を積んでからシナリオライターなり小説家なりになるのだろうが、僕の場合は現場でスキルを身につけるしかなかった。それで、昔見たドラマのセリフを思い出したりしながら(それも注意していないとすぐに夢の遊眠社やラジカル・ガジベリビンバ・システムになってしまう)書いた。
おかげで『ウイユヴェール』は非常にコラージュ性の高い作品に仕上がっている。とは言え、ソースはどれもマイナーなのでオリジナルにしか見えないのではないだろうか。パブロ(主人公)が同じセリフを2回言って「2回言わないで」とシモーヌ(ヒロイン)に突っ込まれる場面があり、このあたりも『ハイブリッド・チャイルド』の影響だ。まんまパクったつもりはないが、見返したら同じものがあるかもしれない。
いまはトレースやパクリに対して厳しい目が向けられているが、実際にはゲームやアニメのシナリオの多くが何かの模倣であり、それらが問題だとは考えていない。問題はただ一点、そこにオリジナリティがあるか否かで、その作家の個性が発揮されていれば何の問題もない。と、いまでは開き直って考えるようになったが、当時はこれをオリジナルの作品であるとは胸を張って言えなかった。
ちなみに、このサウンドノベルのチェック用に、スクリプトをパースしてツリー表示できるシミュレーターをPerlで書いたが、どちらかと言えば、それが僕の本来の仕事だった。ちょうどウェブにはまり始めた時期で、大量のテキストデータをイテレータで処理するのが日常だったので、ある意味、ウイユヴェールとエナビア記はそれ用のデモンストレーションみたいなものだった。この「大量のテキストをデータ処理する」というプロセスに「ストーリー構造」を結びつけて考えるようになったことは、プラスになった。
ちなみに、であるが、エナビア記の登場人物にはNIRVANA(シアトル出身のグランジ系バンド)のメンバーの名前が練り込まれているが、「カィィ・カボチャ叩き・モンテスト」はスマッシング・パンプキンズ+東山魁夷である。
聖剣伝説レジェンド・オブ・マナ
「聖剣伝説レジェンド・オブ・マナ」は、シナリオで名を出さざるを得ないよう追い込まれた作品だ。
スクウェアにはシナリオに特化したスタッフもいたので、自分ではシナリオを書く気はなく、社内の掲示板システムなどを作ってお茶を濁していた。この頃は、スクウェアを辞めていった連中が興した会社にコミットしており、そちらの社外向けのホームページを作成し、競馬予想コンテンツの簡易CMSを保守し、コラムを書いていた。しかもあろうことか、職場からメンテできるようバックドアを仕込んでいた。
レジェンド・オブ・マナは、見かけはクエスト制だったが、内部的にはフラグを見て会話が分岐するタイプの実装で、クエスト数はそれほど多くもないが、どこでデッドロックがかかってもおかしくないくらい内部は複雑化していた。そもそもなんの設計もなく実装し始めた。いまならクエストをデータ化し、デリゲートパターンで実装するだろうが、当時は思いもよらなかった。レジェマナのスタッフが多く流れているファイナルファンタジーⅪはその実装になっているので、もしかしたらクロノチームが使っていたATEL(Active Time Event Language/エーテル)がそうなっていたのかもしれない。ATELは使ったことがないが、割り込み処理の強力さは仕様で確認した。ATELとクエスト制の実装は相性が良さそうに思われる。
作品の内容に関しては他所でも書いているので割愛する。哲学に見せかけたサイケデリックだ。折も折、ソーカル事件(適当にでっちあげたポストモダン論文が査読誌に乗って、哲学全般が「やっぱおまえらテキトウ言ってたんじゃんwww」と嘲笑を浴びた)の直後で、ドゥルーズ&ガタリなどにしても「哲学っぽい言葉を使った似非哲学」「政治的・感覚的で、理論的厳密さがない」という扱いにまで成り下がった。ポストモダンもサブカルもまとめてカルチュラル・スタディーズの枠に入れて蔑まれた時代だった。レジェマナが哲学的というよりは、ポストモダン思想のほうが勝手にレジェマナのとこまで落ちてきたのだ。
レジェマナでも実際の仕事は、シナリオライターよりもイベント系のスクリプト担当のつもりでいた。カニバッシングや、魔法の教材集め、妖精視力、シャドール避け、アナグマ語などを仕込んだ。シナリオを書けるスタッフは僕以外にもいるが、スクリプトでこれらを仕込めるひとは限られるので、この布陣はベストだろうと思う。いまはこれらは、①書面で設計しプログラマに実装を頼む、②専用のオーサリングツールを使う、③レベルデザイナーがコーディングする、のいずれかになるだろう。レジェンド・オブ・マナの実装は③に近く、制作コストは安く済むが、ときとしてブラックボックスになる。
スクリプトに関しては松井聡彦氏という強力な裏方がおり、僕が扱っていたのは彼がラップした安全なコードで、おかげで僕のポジションは「どちらかと言えばシナリオ」という微妙な位置になった。チームには生田美和氏というこちらもまた強力なシナリオライターがいたのだが、その隣に弾き出される結果となってしまった。
つまり、シナリオでクレジットせざるを得なくなったのは、シナリオを書いたからではなく、スクリプトの座を奪われたからだ。
マジカルバケーション
マジカルバケーションは良いゲームだと思うが、失敗もあった。失敗の多くは僕がシナリオとディレクターを兼任し、しかもイベントのスクリプトまで全部書いてしまっていたせいで、テスト計画やガイドライン周りの仕様チェックができていなかった。いくつかのバグは、予感していたが手が回らなかった。エンディングのクレジットを見てもらうとわかるが、スタッフが足りなすぎた。PMがひとりいてくれたら随分変わったと思う。
マジバケでは、レベルデザイナーがイベントを仕込むような感覚でシナリオを入れている。物語のおおまかな構造は決めていたが、実際にゲームをプレイしながら、「ここで◯◯が✕✕に追われてる姿を見せたい」と思ったらその場で足したり、マップに落ちているアイテムも画面を睨みながら決めていった。おかげで、最初から最後までマップ上でなにかしらすることがあるし、しばらく歩いたら仲間のキャラに遭遇する。小説は原稿用紙に、漫画ならB4ケント紙に、とそれぞれジャンルごとにメディアが違うのだから、ゲームはおそらく画面を睨みながら作るのが正しいのだと思う。
シナリオの内容はとても実存主義的で、予定調和的に理想化された収束がない。だが本来なら、エンターテインメントの醍醐味は、実存主義的なリアルを、どう理想主義でねじ伏せるか、だ。最近では異世界に行って抽象的に問題を解決するパターンが多い。古くはナルニア物語がそうだが、しかしあれはたとえばユースチスが人格的な問題を抱えていたことが全てなので、ナルニアでアスランに会ってバリバリに人格を剥ぎ落とされたら、当然解決するのだ。いまの作品は、派手なアクションシーンを見せられて、ロジックは不明だが圧倒され、ねじ伏せられる。手の込んだデウス・エクス・マキナだ。もちろんユーザーはそれが見たいのだし、物語はオマケだと考えれば、それはそれで良い。
マジカルバケーションは思い出の切り売りのようになっている部分がある。そこが評価されて、報われはしたが、それを貶されたり、クライアントにダメ出しされたりしたら平常心を保てる自信がない。本来なら、自分と作品とを切り分けなければならないことはわかっているし、いまはそうしている。だけどそうやって書いているのは、「貶されてもそれほど傷つかない作品」だ。
マジカルバケーションは代表作ではあるが、シナリオとゲームを分けて作ったものでもない。シナリオでクレジットされているが、シナリオライターというポジションは存在しなかった。
セブンス・リバース
セブンス・リバースは、スクウェアに入社するときの面接官――そして最後に辞表を提出したとき上司だった田中弘道氏が、スクウェアを離れて企画したスマホ用のゲームだ。どちらも氏の〆のセリフは「じゃあ、これで」だった。本人は覚えてないだろう。
セブンス・リバースの依頼を最初に聞いたとき、「歌舞伎のようにしたいと、わけのわかんねーことを言ってる」と、当時のブラウニーズ社長の亀岡氏に言われ、戸惑った。歌舞伎は人生で2回しか見たことがなく、うち1回はONE PIECEだ。当時はなんでONE PIECE歌舞伎なんか観に来たんだろうなぁとか思っていたが、もう1本の方はタイトルすら覚えていない。
次に田中氏に会った際に、直接話を聞いてみると、歌舞伎は歌舞伎でも、劇団☆新感線のいのうえ歌舞伎のことだった。ちなみにこのいのうえはいのうえひでのりという演出家のことであり、僕ではない。そして、劇団☆新感線は当時の僕の大好物でもあった。劇団☆新感線の舞台を観に行くと、開演直前にいのうえひでのりがロビーでぼんやりと観客を眺める姿がよく目撃された。サインを求めなきゃ悪いような気持ちになるので、やめて欲しい。そしてその劇団☆新感線に脚本を差し入れるのが、中島かずき。氏の脚本はキューティーハニーで衝撃を受け、仮面ライダーフォーゼで衝撃を受け、キルラキルで衝撃を受けた。この記事も8000文字を超え、そろそろ言葉を選ぶのが面倒くさくなっている。
中島かずき脚本には、親切にしてくれた上司がラスボス、最初に戦った敵は仲間になる、などのセオリーがあり、舞台脚本では決戦前の口上や決め台詞に特徴があり、このあたりを真似したらそれらしくなると思った。ただし、このセオリーは仮面ライダーの伊上勝等の世代のセオリーを一段メタ化したもののように思える。ちなみに、伊上勝は実存系でリアルでカッコいい描写をする印象があるが、中島かずきや山本優に見られる飛び抜けたギャグをたまに挟んでくる。
さて。このシナリオを書くに当たっては、中島かずき作品のほかに、吉田玲子のガールズ&パンツァー(ガルパン)も参考にした。ガルパンは非常に登場人物の多いアニメだが、学校ごと、チームごとに性格付けがされ、個人・チーム・学校と3層のレイヤーで動機が管理されているので、流れがわかりやすい。セブンス・リバースでもそれに倣い、勢力を設定し、そのなかの有力キャラを主人公グループに接近させるという(のちにwork x workでも多様した)セオリーで設計したが、一筋縄でいかなかった。ゲーム部分の設計を詰めるうちに、物語の想定を通せなくなったり、公開される際のストーリー範囲が変更になりオチがつかなくなったり、かなりの調整が必要だった。特にたいへんだったのが「世界樹の塔」というサブ要素のシナリオで、メインの筋書きと複雑に絡むうえに、「いつ何階層まで公開されるか未定です」とのことで、各階のイベントをどの前提で書けば良いか即興で判断する必要があった。
2012年に、ブラウニーブラウンから独立してさよならおやすみ株式会社を設立した。ちょうどこのセブンス・リバースの立ち上げと同じ時期。以降はシナリオで仕事を受けるようになった。巨人・小山高生に出会って28年もの月日が流れ、ようやくシナリオライターになった。・・・が、シナリオを請け負いながらも、シナリオライターと名乗るにはまだ抵抗があった。いまもある。自分の職種がなににあたるのか、じつは自分でもよくわかっていない。
まとめ
ゲームのシナリオライターとはなんだろう。
ゲームの物語を構築し、テキスト全般を書くひとではあるが、著作権も著作人格権も持っていない。そういう意味では「テキストを外注したひと」※1であって、スカイツリーを建てたのは東武鉄道であって、どこかの工務店ではないように、シナリオを書いたのもライター個人ではなく発注したパブリッシャーということになる。
ならば、責任はあるかといえば、著作人格権を放棄したものに責任は取れない※2。配当を受ける権利としての著作権はなくとも、著作人格権さえ残っていれば、自分の作品であり、文責はすべて自分にあると言える。
批判され、称えられるが、それ以上の権利は何もない。
一人で突っ走って来たが、どうやらこれが限界のようだな‥‥
英雄になれ‥‥
オマエなら出来る‥‥げぼはっ!!
聖剣伝説レジェンド・オブ・マナ、エスカデ編のメインキャラ、エスカデの最後のセリフである。エスカデ編は「悪党が正義の英雄ヅラをしている」をコンセプトにしたつもりだった。いま改めて振り返ると、英雄にならんともがくエスカデに自分の姿が映って見える。
果たして、英雄とは。
果たして、シナリオライターとは。
まさかこんな文脈で自分のテキストを振り返る日が来るとは、思いもよらなかった。
※1※2
これは、「まとめ」に入ったらどうせみんな飛ばし読みするだろうと想定し、それでも最後まで読ませるために関心を引くために仕込んだもので、他意はない。