さわり
さて、本日はドラゴンクエストXオンラインの感想文の第二回目です。
2013年12月にリリースされたVERSION 2、『眠れる勇者と導きの盟友』を中心とした言いたい放題になるんですが、バージョン2?という呼称はちょっと違和を覚える呼び方ですよね。
普通はバージョンと言えば、脚色や翻案をくわえたもののことを指し、ドラゴンクエストXで言えば2022年9月に出たオフライン版が「ドラゴンクエスト10のオフラインバージョン」というような呼び方をされるはずです。
ところがドラゴンクエスト10はそうなっておらず、拡張パックのことをバージョンと呼んでいます。これ、一般的な言い方をすればそのまんま「拡張」だし、ドラクエ10で「VERSION 2のシナリオ」と呼ばれているものは、一般的に言えば「第二章」ですよね。
なぜドラクエ10が拡張をバージョンと呼ぶのか歴史的な経緯は不明ですが、もしかしたら経理上の事情、あるいは法務的な事情があるのかもしれません。
たとえば、ですが、TV版のドラゴンボールやシティハンターは、勝手にZとかGTとか2とか3とかが追加されていますが、タイトルごとに権利者にテレビ局や代理店が含まれていたりいなかったりしますので、アニメのタイトル違いにはそのへんの事情があるのではないかと推測しています。あるいは、再放送枠に売る際に個別に契約できたりというのもあるんじゃないかとずっと勘ぐっているんですが、ここ、本当はどうなんですかね?
また、話は変わりますが、ドラゴンクエスト10は現在展開中のVERSION 8で本編の物語は終了すると発表されていますが、これも「Protect Our Games Act(ゲーム保護法案)」の対象から逃れるためではないかと邪推しています。
この法案そのものはまだ審議中ですが、万が一どこかの国で通ってしまったら、法の施行後にリリースされたぶんは永続的なプレイ環境の提供を余儀なくされますからね。いったん区切っておくことで、「法の施行まえに発売されたものでーす」と言って対象作品からは外れることができます。
オンライン専用でパッケージを売りながら、オンラインサービス自体を中断したゲームを身近に知っていますので(タイトルは出しません)、このあたりの対応にはちょっとピリピリしてるという個人的な事情もあったりしますが、そっちはそっちでちょっと触れにくい感じなので、このへんでお口ごにょごにょしておしまいです。
さて、またまた前置きが長くなっていますが、脱線とてんぷくは江戸の花と言います。脱線も、てんぷくも、ともに楽しんで行こうではありませんか。
なお、ここに書かれる感想はすべて「後知恵」によるものです。
ゲームというものは、プレイ感覚を確かめながら手探りで作っていくものです。完成したゲームを見て「俺たちが作ってたのはこれかー」と、改めて驚くことも少なくありません。「最初にこんなゲームになるとわかっていたら、ここはこうしたのに」という意見は、外部から指摘されるまでもなく、制作者自身が痛感しているものです。
なので間違っても、「この感想を書いてるひとはよくわかってる、それに対して開発陣は云々」――とは考えないでください。
このゲームを形にした開発陣こそが至高の存在で、その褌を借りて自説を開陳しているわたしなど、屁のような存在です。
とは言え、まあ、ドラクエ10を食って噴かす屁ですし、胸いっぱいに吸って、堪能していっては欲しいのですが。
なお、今回のVERSION 2感想には、レンダーシア大陸の世界観に関するネタバレが含まれます。これは大陸そのものの特徴や大魔王マデサゴーラの特殊性を語るうえで、どうしても避けることができませんでした。ですから、まっさらな気持ちでVERSION 2を楽しみたい方は、ここでこのページから離脱されることをオススメします。
VERSION 2 眠れる勇者と導きの盟友
さて、ドラクエ10 VERSION 2では、まもの使いやどうぐ使いが実装され、カジノもオープンし、他にもピラミッドの秘宝や不思議の魔塔、モンスターバトルロードなど一気にコンテンツが拡充されていきますが、忘れてならないのがヒロインの登場です。
前回ちらっと書きましたが、VERSION 1期間、ヒロインが登場しないんです。VERSION 1のヒロインを強いてあげるとすれば(ユーチャーリン推しの特殊性癖のひとはともかく)フウラかラグアス王子(?)かズーボー(!)になるんでしょうが、公式な正ヒロインではありませんね。
フウラはまだ公式正ヒロイン奪取の可能性を秘めていますが、ズーボー……ズーボーは……と、それはさておき、VERSION 2からはアンルシアという公式の正ヒロインが登場します。ヒロインと言っても立場は「目覚めし勇者」そのひとですから、むしろ主人公がヒロインでアンルシアが主役とも言えるのですが、そのひとがようやく登場します。
それにしても、びっくりですね。2012年8月から2013年12月までの1年以上の長きに渡って、ヒロインなしなんですよ、このゲーム。なんてゆーか、硬派?
まあその長い空白があったおかげで、ひとはユーチャーリンにハァハァできたわけで、その満を持してのアンルシア登場になるんですが、これが冷静に考えるとめっちゃ惜しいところがあるんです。ここがこうなって、こんな風だったらどんなに良いか、と口惜しくてギリギリと歯を鳴らしてしまうところがあるんですが、落ち着いて順を追って見ていきましょう。
VERSION 2.0 眠れる勇者と導きの盟友
さて、VERSION 1で魔王ネルゲルを倒し、グランドタイタス号に乗ってレンダーシア大陸へと渡ってきたわけですが、物語はこれまでの「アニメ塗り」の世界から「水彩調」の世界に変わるようにしっとりと変化します。
VERSION 1の登場人物は、パクレ警部や怪盗ポイックリン、放浪の賢者ホーロー、剣士ヒューザなど、従来のアニメやゲームのテンプレに沿った造形で、物語も封印された魔物を倒す系に偏り、「味方だと思っていたものが敵だった」だの「悪者が改心する」だのという、通り一遍の紋切り型のものが目立ったのですが、VERSION 2ではガラリと趣向が変わります。
英雄はおおよそ英雄らしからぬ態度とビジュアルで、それでいて逆張りではなく英雄の概念を一新する活躍を見せ、セレドの町のリゼロッタは細かく揺れる内面が描かれ、アラハギーロでは人間と魔物とが交わしあう複雑な感情が描かれています。
また、VERSION 1は、ベースになったWorld of Warcraftに似せたためか、攻略順がフリーで、従来のドラゴンクエストシリーズに慣れたプレイヤーをやや戸惑わせる構成になっていましたが、VERSION 2ではそこにも変化が現れます。
VERSION 1は、いわゆるフリーシナリオ制で、このため、新規ユーザーの参入に伴って「冒険者ガイド」が実装され、MMO初心者にも遊びやすいように配慮されたのですが、前回も書いたように、システム的に食合せの良いものにはなっていませんでした。
これに対して、VERSION 2.0では、攻略順はほぼ固定され(実際には3つの町はどの順番で回ってもかまいませんが)、従来のドラクエシリーズと同じプレイ感覚で遊べます。
おそらくこの「攻略順を固定する」ことによって、物語の幅や深みが増しているのだと思いますが、VERSION 2.0の物語はかなり豊かな奥行きを持っています。
そして、わたしが惜しいと思う要素もここにあるんです。
グランドタイタスを降りた主人公たちは、順当に行けばメルサンディの町へ向かい、ミーシャ(=アンルシア)の物語を先にこなすんですが、この時点で実はアンルシア、リゼロッタ、セラフィの3人は対等なヒロインなんですよ。
その後すぐにアンルシアがフィーチャーされて、リゼロッタとセラフィはゲストの立場まで下がるんですが、マデサゴーラの作った世界で新たな人生を得、それに翻弄されたヒロインとして、3人は対等なんです。
だからこそ、リゼロッタとセラフィのエピソードも回収してあげたい、とわたしは思うんですが、いかんせん一介のファンにできることは何もありません。
それでも、言うだけは言いたいので、言っときますが、たとえばですよ? VERSION 2.4の【悠久の果ての決戦】で、リゼロッタ、セラフィ、アンルシア(ミーシャ)が邂逅してそれぞれのルートでマデサゴーラを目指していたら、どんなに熱かっただろうと思います。ONEPIECEのマリンフォード決戦かインペリアルダウンのような、中央をアンルシア、あっちからリゼロッタと子どもたち、こっちからセラフィと魔物軍団と、総掛かり決戦の展開です。
リゼロッタやセラフィが道中どんな誘惑に惑わされて、どう克服するか――考えただけで胸が疼きませんか?
リゼロッタの前にルコリアが現れて、何を言うと思います?
同様に、ホイミスライムに戻ったセラフィの前にカレヴァンが現れるんですよ?
シチュエーション思い描いただけで涙が溢れ出すんですけど?
とは言え、ゲームの最終盤ってのは割と余裕なく作っているので、たとえマリンフォード決戦をやりたくても主人公1ルートしか描けませんでしたという結果になるというのもよく見てきたことなので、これはもう、夢でしかないですね。やりたきゃ自分で二次創作するしかないし、他のファンはみんなそうやって楽しんでるんですから、わたしもそうすればいいというだけの話で。
いやいや、もちろんそれは十分承知のうえです。承知の上で、さらに引っ張ります。マリンフォード決戦が無理なら、アスフェルド学園ででもかまわないんです。世界の中心でアイを叫んだけもののように。思えば、「エヴァンゲリオンが面白い」と聞いて、最初に見たのがTV版最終話でした。そのわたしがエヴァンゲリオンを何だと思ったか、140文字以内で答えなさい。
アスフェルド学園を「マデサゴーラの思念で生まれた」という設定にしてしまえば、そこにリゼロッタとルコリアを同時に配置するのは設定的に無理ではないはずです。
そこで学園生活を送りながら、グリーフシードの発生で顕現した「魔女の結界」にはいると、魔幻宮殿のバトルフィールドのような世界が広がっていて、そこで邪教祖サダク・真が襲ってくるんですよ。そこにリゼルコと挑むとどんな会話が発生するか、考えただけでもゾクゾクしませんか?
アスフェルド学園はVERSION 3からなので、ここで話題にするのはふさわしくない?
ええい、それなら、不思議の魔塔はどうでしょう。
不思議の魔塔のロビーに、ルコリアがいて、パーティに加えて魔塔を上ると60階より上は魔幻宮殿みたいになってて、そこでエンラージャとそれに魅入られたリゼロッタとのバトルになる。
もちろんそこにはヴォイス付きのドラマが繰り広げられて、62階ではセラフィカレヴァンとともにベルムドと戦い、63階ではマイユとともにジーガンフと戦い、64階では四術師とともにサルファバルを封印、65階はラウルの危機を賢者マリーンが助ける。
いや、スクエニさんが許可してくれるんだったら、ぜんぶ小説で書きたいですよ、本当に。
アスフェルド学園はVERSION 3ですから、そこでも触れるかもしれませんが、もったいないと思うんですよ。リソース割いた割には世界観が広がらないというか。せっかく大魔王マデサゴーラという創生の力を自在に操る存在がいるんですから、たとえばそこに大人になったジェニャがいてもいいはずなんです。
ただまあ、感想を言うだけならともかく、堂々と「自分ならこうする」とアイデアを開陳するのも失礼な話ですし、それと万が一の可能性として、実はすでに「魔塔と学園を融合したドラマ中心のコンテンツが進行中でーす」かもしれないわけで、もしそうだとしたら、とんでもない余計なことを言っちゃったことになるわけですが、語りたいんです! とにかく!
で、これもついでに言わせてください。
不思議の魔塔もアスフェルド学園も、あるいは異界アスタルジアも、システム先行で考えられたものだと思うんです。
でもユーザーが遊びたいのは、ドラマのある熱い展開だと思うんです。
ボスに相対した時のキャラクターヴォイスで盛大に泣きたいし、撃破して感動に打ち震えたいんです。そのドラクエならではの唯一無二の体験のためにキャラクターを育成するし、金もつっこんでるんです。でもいま、逆じゃないですか。ぼくらただ無目的にキャラを育てて楽しんでるかのように思われてる。
そうじゃない。
泣かせてくれ。
感動させてくれ。
俺達が欲しいのは新しい週課でも、福引景品でも、ロードマップでもない。
ドラマなんだ。
シナリオライターを前に出してくれ。
と、わたしは言いたい。
VERSION 2.1 重なりし運命の大地
さて、2.0で偽物のアンルシアを倒し、「本当の世界」に帰ってきてからが2.1の「重なりし運命の大地」になるのですが、2.0の順番が定まったお話から一転、どこからでも自由にクリアできるシステムに戻ります。
いや、システム自体に変化はないんですが、構成的には明確な導線がなくなり、目的もやや曖昧になります。
このあたりはWorld of Warcraftが築いたクエスト制をドラゴンクエストというゲームにどう組み込むかという苦悩と葛藤が見て取れます。クエストクリアによってスタンプが押される「スタンプカード」なるものが導入されるのですが、クエスト制のゲームに慣れているとかなり疑問符のつくシステムでした。
好きなように遊べるはずのクエスト制なのに、なぜか強制される……。しかも、王様が未来を見通したかのように、これから起きることが記されたスタンプカードを持ってる……。
わたしの場合は2.0から3.4あたりまではブランクがあり、おそらくはFF11かWoWで遊んでいたと思うので、スタンプカードの存在を知ったのは「見做しクリア」という更におかしなシステムが追加された後になります。
びっくりですよね。2年ぶりくらいに復帰してみたら「スタンプカード」が実装されていて、しかもVERSION 3に進むための「見做しクリア」まであるわけですから、もう、わけがわかりません。いったいいまのドラクエ10はどうなっているのかと心配になったものでした。
でもまあ、これも紆余曲折というものでありましょう。ゲーム制作にはよくあることです。
2.0のあとのブランクは、サポ構成で魔勇者アンルシアを倒せなかったのが原因でした。そこでいったんドラクエは中断して(たぶんこのときのアカウントはいまのアカウントとは別だったと思います)、結構長いこと他のゲームを遊んでいました。
サポ構成ではなく、他のプレイヤーに声をかければ倒せるのでは?
と思うかもしれませんが、「自分が遊びたいゲームのために、見ず知らずの他人を巻き込む」というのは、わたしの感覚からはちょっとかけ離れたものでした。
ちなみにFF11もレベル55突破だけは傭兵を雇ったもののずっとソロで遊んでいましたし。
WoWの場合、少し事情は異なり、あのゲームには「適当にプレイしてるとその場で誘われてボスだけ倒して解散する」というインスタントな文化があったので、必然的にドラクエやFFとは違ったプレイスタイルになっていました。
ひとに頼んで攻略すると、自分が育てたキャラで勝ったのか、手伝ってくれたひとのおかげで勝てたのかわからなくなり、これにもまたすごくモヤモヤしていました。
それでも、VERSION 4くらいまでは、酒場で強いプレイヤーを見繕ってボスを攻略してたんですけど、「いったいなんのためにレベルを上げたんだろう」と感じるようになって、Ver.4.0からは自分で育てたサポだけでプレイするようになりました。
Ver.3のラストはナドラガの攻撃に耐えうるHP700のキャラを酒場で探してましたから、自キャラ縛りはその後です。
当時の主力は、僧侶+戦士+魔法戦士+レンジャーで、全員をレベル100上限突破させるのは骨が折れましたが、以来ぐっとゲームにのめり込むようになりました。
VERSION 2.1は、小さなクエストが散発的に発生して、それらをこなしているとメインストーリーが進行するシステムで、小粒でおいしいクエストはあるものの、糖度は控えめで、おそらくはピラミッドや魔塔で遊んでくださいということなのだろうと理解しました。
その間、アンルシア姫はグランゼドーラ城には戻るものの目立ったストーリー進行はなしで、2.1の3つの町のクエストを終えたあたりから物語が動き始めます。
具体的には【ユリア妃の願い】という王妃からの依賴がきっかけとなってストーリーが再開するんですが、ドラクエ10のクエストで最大に許せないポイントがこのクエストにも現れているので、ちょっとその話を聞いてください。
それは、最初に依頼されたことをクリアしたあとに、別のお使いを頼まれて、それまで報酬をもらえないことです。
現実に準えて言えば、
イラストを発注されて納品したあとで、『肩が痛いのでビリビリ粘液を取ってきてくれ』と言われる
というようなもので、こういうクエストがドラクエ10には非常に多いです。
お前が取りに行けよ、ですよね。
っつーか、ギャラ払えよ。依頼こなしても完了しないんだったらUIに書いとけよ。こっちはUI見てリスクとリターン判断して請け負ってんのに、条件違うじゃねーかよ、と。
で、このユリア妃のクエストでは、イラストを納品すると「印刷所に納めに行くので護衛してください」ですよ。はあ? ですよ。はあ?
ギャラを払え、ギャラを。
印刷所へはお前が行け。
しかし、これはまあ世間知らずのユリア妃だから致しかたないと思えなくもないんですが、某カバン職人には何度「お前がやれ」と思ったかわかりません。
あと、クエストで、自分で使う剣を鍛えてもらうために「だったら○○鉱石が必要だ」と言われるのはわかるんですけど、たまに「その前に俺が必要な○○を取ってきてくれ」ってのがあって、こっちは解せぬ。お前が行け。
クエスト制でのストーリーテリングの雛形を作ったのは、言うまでもなくWorld of Warcraftで、そのまえのEverQuestやUltimaOnlineでは、クエストはあるものの経験値やアイテム入手手段でしかなく、明確なストーリーには結びついていませんでした。
FinalFantasyIXはWorld of Warcraftに先駆けてクエスト制を導入していますが、メインのストーリーはミッションと呼ばれる独自のシステムにより展開します。ミッションもクエストも、内部的には同じであろうと思われますが、進行管理などは旧来の手法が用いられているように見えました。(つまり、クエストは構造化(オブジェクト化)されておらず、進行フラグだけをUIに渡すような仕組みに思えましたが、中身を見たわけではないので、違うかもしれません)
ドラゴンクエストは、World of Warcraftが確立したクエスト制を導入しますが、わたしはそこにミスがあったことを指摘します。
World of Warcraftのクエストは報酬として武器防具が入手でき、それがクエストを進める大きな動機になっているんです。誰かに促されるまでもなくQuestGiverのアイコンを見たら半自動的に話しかけ、請ける請けないはともかく報酬の装備を確認したものですが、ドラクエ10のクエストではシステム上一切武器防具が手に入らないのです。
この点はゲームサイクル設計における致命的な欠点だと思っています。
WoWでは請け負ったエリア内で完結するクエストが多く、請ければ装備品がもらえ、ついでに世界背景が垣間見えますが、ドラクエ10ではどこに行かされるかもわからないクエストが少なくありません。このために、クエストを請ける動機が薄く、必然的に冒険ガイドやスタンプカードを導入せざるを得なくなったのではないかと睨んでいます。
また、ドラクエ10のクエストは、おそらく制作のポリシーだと思うのですが、目的の人物にアイコンが表示されず、ヒントを与えるNPCのネームの表示色が変わるだけに留まります。この点は、発売当初の時点ですら時代錯誤だったと言えます。
そもそも、WoWクローンと呼ばれるゲーム群はどれも規模が大きく、目的アイコンなしでプレイなどできないんです。ドラクエ10は幸いにしてリソースが少なく(それで良いのかどうかはともかく)、ぎりぎり成立しているようにも見えますが、洋ゲーやMMOで遊び慣れたものは逆になにをしてよいのか戸惑ったと思います。
VERSION 2.2 紡がれし勇気の絆
と、不条理なクエストをこなしにこなして、VERSION 2.2に入るのですが、ここではうってかわってストーリーが転がりだします。なんというか、2.1はクエスト作るのに夢中になってメインストリー忘れとったんかいとツッコミたくなるというか、アップデートごとに構成が変化していくところがVERSION 2の不可思議なところです。
限られたスタッフが、2.0ではメインストーリーを、2.1ではクエストを、2.2ではまた本編を、と家内制手工業のように順繰りに作っているような涙ぐましい姿を想像しなくもないんですが、それはAAAタイトルの作り方なの? と思ってしまうのも事実です。
なので、2.1と2.2は、クエスト→本編、のような順で実装されていますが、本来なら並行でリリースされるのが、完成された形なのだと思います。
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2.2の構成は、クエスト全部クリアしたらメインストーリーが先に進む、という仕様になっていますが、「流木を加工するための木工刀を調達する」というクエストまでもがその条件に含まれているのは非常に苦しい気はします。
魔幻宮殿突入の際にその楽器がなんらかの意味を持てば、わからなくはないです。あるいは魔幻宮殿の中に立っている人物がすべて、いままでの登場人物、楽器職人のシノン、水車郷のヤクプ、温泉峡の管理人ルジナだったら楽しかったと思います。
それぞれ「どんな風に生きたかったか」をプレイヤーに語り、「これを具現化して偽の世界を作り出したのがマデサゴーラだったのか!」となったら、全身鳥肌が立ってた気がします。
と、微妙に惜しいなあというのが積み重なるVERSION 2ですが、返す返すも後知恵ですよねえ。こういうのを全部飲み込んだうえで、新生ドラゴンクエストXを作りたい、いっそ俺様がマデサゴーラになりたい。っていうのが本音ですが、そも人様のゲームですし、還暦を迎えた者の抱く野望でもありません。
VERSION 2.3 天翔ける希望の双翼
ここまで書いたように、2.0から2.2までは、ずいぶんぼんやりとした物語だというのがわたしの印象でした。はっきり言えば、ライターそれぞれバラバラに書いたものを、なんとか接客剤でツギハギしたようなもので、明確な筋書きには欠けるという印象を持っていました。
そしてしばらく後になりますが、VERSION 5が出るとVERSION 2の印象までガラッと変わります。
2.0で中断していたのもあって、マデサゴーラの印象が薄く、システム面での息切れ感ばかり感じていたせいでしょうが、VERSION 5でマデサゴーラを知るうちに、その恐ろしさに気が付かされた格好です。
セレドの町で死んでしまったリゼロッタを、自分の筆で蘇らせたんですよ?
人間と魔物との関係を知り、それを逆転させた世界を作り出したんですよ?
童話作家の書いた英雄が具現化した世界を作り出したんですよ?
その意図は、単なるメッセージや啓蒙や批判ではなく、『芸術』なんですよ。
人間の苦悩や喜びの物語を、意図もなくただ芸術として再生してみせる・・・それはリゼロッタの物語を単なる娯楽として消費しているユーザーの姿にも通じると思いませんか?
VERSION 2.3は、竜族との関係が明らかになってくるパートで、2.2に引き続き物語主導でプレイしやすいパートです。
VERSION 2.4 悠久の果ての決戦
そして決戦の2.4。
悠久の回廊を抜ける際に、「魔王マデサゴーラとは言え、ここを抜けるのは簡単じゃない」みたいなことをシオン(馬)から言われるんですが、マデサゴーラがどんな誘惑に足止めされたかが気になるところです。
アップした画像に無限にいいねがつく誘惑だったり、ふとんに入ったままで小人さんが絵を仕上げてくれる誘惑だったり、自分の絵の中でリゼロッタやセラフィに言い寄られる誘惑だったりするんでしょうね。
マデサゴーラは登場も遅く、具体的な破壊活動は極めて少ないため、あまり印象に残っていなかったんですが、VERSIO 8まで遊んだいまとなっては、最も恐ろしく、また愛おしい大魔王となりました。
さて、そんなわけで、ひととおり全体を舐め終えたところで、VERSION 2における好きなキャラクターと好きなクエストをそれぞれ挙げましょう。今回はキャラクター3人と、クエスト?ならびにカットシーンから3つです。
好きなキャラクター
ザンクローネ
VERSION 2で最初に出会うクエストのキーパーソン、英雄のザンクローネ。
なんたってセリフがいいですね。
たとえ 全ての麦が倒れ
水が干上がり 涙が枯れても
お前の声が かれない限り
救いは 必ず訪れる
俺は 必ず駆けつける!
痺れますわ、本当に。
で、このセリフへの共感って、書いた作者への共感だと思うんですよ。ゲーム中のザンクローネを超えて、これを書けるリアルな人間への共感。それがゲーム中のザンクローネとアイリとの関係とも相似になってるところが本当に憎らしい。
そしてこのザンクローネがバラバラにされるわけですが、それはある意味、感想を書くためにとか言ってことこまかに分析してる己の所業を責められているようでもあり、少々ばつの悪さも感じます。
セラフィ
メルサンディ、セレド、アラハギーロの3つの町のお話に強いて順番をつけるとなると、アラハギーロは残念ながら3番目になるんですが、ヒロインとしてはセラフィのひとり勝ちです。わたし的には、ですが。
とは言え、セラフィも特別に際立ったキャラでもないし、普通と言えば普通なんですよね。
かつてホイミスライムだったという設定に惹かれるんかもしれません。並の人間キャラには感じ得ないほどの献身的情愛を感じてしまうというか、人間界に友だちはおらず、主のカレヴァンとは離れ離れという孤独さ、健気さに惹かれるのかもしれません。
ヒストリカ博士
こちらはセラフィと比べると正反対の際立ったキャラクターで、喋り方も性格もとにかく独特で、大好きです。幼い頃に愛用していたひよこ型のルーペの話とか、実によく設定したもんだと思います。
性格は、いじりがいがあるというか(リアルではそんなことをしてはいけません)、不意に告白してみたくなるというか(好きでもないのに告白するのはダメです)、見ていて飽きません(こちらも凝視しない程度に)。
そしておそらく、似た感じの女性は身近にもいたんだろうとは思いますが、リアルではそもそも話す機会がなくてすれ違ったのではないかと推測します。
好きなクエスト
メルン水車郷
こちらはクエストというよりは、とあるカットシーンのなかのワンカットです。メルン水車郷に行って、水車小屋の掃除を頼まれたあと、掃除が終わって水車小屋の周りを見渡すミーシャ(アンルシア)のモーションが、ゲーム全体を通して見ても屈指の出来栄えなので、ぜひ見てください。
いやいや、モーションで言えばマイユのアンテロへの連続攻撃やら、魔王城へ乗り込んできたアンルシアの無双やらいろいろあるだろうと言われるかもしれませんが、この水車小屋のシーンって、モーションを撮る理由がほぼ皆無なんですよ。なければないで物語は進むところに、めっちゃ丁寧なモーションが仕込まれてる。そして動きもさりげなくて自然。
最初見たとき、目を疑いましたもの。
なんでここにモーション入ってるの? って。
その後何度もこのモーションだけ繰り返して眺めてますが、いやあ、何度見ても良いです。エロくないのにエロいです。
ラゼアの風穴
こちらは妹(プレイヤーによっては姉だったり兄弟だったりする兄弟姉妹)の痕跡を追ってやってきたラゼアの風穴での一幕。
妹が研究室として利用していた場所で、残していた手紙を手に入れて読むんですが、自分の知らないところでものすごい苦労をしてきたんだってことが忍ばれて、それだけで涙腺が崩壊します。
姿を見たわけでも、カットシーンがあるわけでもない、ただの手紙なのに。
一度全部目を通したあとも、思わず「だいじなもの」からもう一度読んでしまうくらい良い場面。
部屋を隅々まで調べると、自分にはよくわからない難しい本が置いてあったりして、ごめんなー、姉ちゃんその間ずっとタコメット殴ってたわーって、自分が恥ずかしくなったりしたものでした。
リンジャ配信クエスト第7話「流星の追憶」
リンジャ配信クエストというのはヒストリカのクエストです。
最後はヒストリカとともに戦うんですが、このバトルのヒストリカの挙動がもうわたしのココロを掴んで放さず、ドラクエ10全体を通しても最も好きなバトルかもしれません。
このクエストでもらえる「炎の友情☆ダンス」のモーションもとても愛らしく、よくキャラを並べて踊らせていまして、所有するエルフキャラは全員このモーションを取らせるためにヒストリカクエはこなさせております。
入手できる称号が「ヒストリカのズッ友」ですよ。「ヒストリカのズッ友」。この称号まで含めてとにかくヒストリカが愛おしいです。
❡
と、今回も愚痴多目の感想になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
前回からポリシーは変わっていないんですが、やっぱり「命ある人間が、魂をぶつけて描いたもの」として受け取りたいのです。
人間が人間を見て、人間が人間を描いているのだ、と。
これからゲーム制作の現場にもAIが入ってきますし、AIが描いた文章もたくさん目にすると思いますが、たとえばザンクローネのセリフ、「俺は必ず駆けつける!」は、これを書いた人間がいると信じるから価値があるんです。
それがAIに学習され、バラバラに分解されたとき、果たして作家はどこにいて、何を考えているのだろう、と、そんなことも考えてしまいます。それはまさにメルサンディの物語じゃないですか。
それを思うと、「大魔王マデサゴーラが描き上げたモザイクのような世界」にも凄まじい厚みが生まれるような気がします。
マデサゴーラもきっと、クライアントにイラストを納品した際に「ちょっと肩が痛いんでビリビリ粘液を取って来て」みたいな意味不明の要求を突きつけられて、そうこうしてるうちに「だったらわしが本当の世界を描いてやる」と、怒りに任せてこの世界を創造したのかもしれませんね。
UIのクエスト受領確認は契約書みたいなもんですから、そこはぜひ守ってもらいたいものです。
……というか、大魔王マデサゴーラって、偽の世界を作っただけで、とくに悪いことはしていないような気もしてきたんですが、なんかやってましたっけ?