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愛しのドラクエ10:VERSION 5 いばらの巫女と滅びの神

愁羽淋
·
公開:2026/8/15

Ver.4の感想、同業者がここまで書くのも失礼だと思って非公開にしていたんですが、続けてVer.5をプレイしてやはり書きたくなったので、愚かにも続けてしまいます。

『ドラゴンクエストXオンライン VERSION 5 いばらの巫女と滅びの神』の感想です。

注意事項はいままでと同様、ネタバレありで書きますので、VERSION 5未プレイの方は閲覧注意、ならびに、この感想はすべて「後知恵」でしかありませんので、この作品を完成させた制作陣は本当に偉大だということはまず絶対的な前提として読んでください。

「完成したものを見てからなら何でも言える」というのは業界ではよく聞かされた言葉です。しかし、完成してからのレビューもまた重要なものですから、そこは立場を切り分けつつ、書いていこうと思います。

さて。

『VERSION 5 いばらの巫女と滅びの神』を最初にプレイした際の感想は、「男塾っぽい」でした。たぶん当時SNSにもそう漏らしたと思います。

特に大審門に集合してから後の展開を見てそう思ったのですが、前回までのヴェルヌ+ハインラインのような文学的展開を期待した自分としては、良作には思えませんでした。

おかげでVer.5のラストまで「男塾」のイメージが抜けず(実際このイメージは完全には抜けきっていないんですが)、1ランク低いものと見ていたのですが、このたび感想をまとめようと再度あたまからプレイした感想としては、前言は撤回したうえで、このシナリオは素晴らしかった、の一言になります。

ただし、このVer.5からキャラクター・ヴォイスがつくなどの革新があったためか、十分に仕様を揉めていないように感じた部分もありました。もちろん、ポテンシャルが高いチームですから、良い部分もたくさんあります。

まずそれらをアトランダムに書き連ねます。

  • キャラクターヴォイスはついたものの、BGMやSEは貧弱だと思いました。BGMに関してはそもそも種類が少なくてどうしようもないのでしょう。サウンドチームも人材が不足しているのか、カットシーンに環境音がないなど、違和が目立ちましたた。

  • レイアウトに単調な部分が見られました。とくに前半に顕著で、主人公に対して話す場面は従来のゲーム文脈のウエストショット日の丸構図が多いように感じました。

    日の丸構図が悪いわけではありません。たとえばシン・ゴジラなどは日の丸構図のオンパレードですが、実は実写で建物のラインを完全に水平垂直に揃えて日の丸構図を作るのは案外面倒なもので、これらは意図して作り上げたものです。

    一方で、「話者が主人公の目を見て日の丸構図で語りかける場面」(たとえばPOVではありませんが、うる星やつらビューティフル・ドリーマーのラムの「責任とってね」のカットなど)はドラマではかなり特別なショットになりますので、乱用するのはもったいないと感じます。

    またたとえば、マップに入って「あれを見て!」などと言う場合は、発話者は主人公を向く必要はないのですが、そのあたりまでも機械的に主人公を向いて、従来のゲーム画面のように処理されてると感じた部分がありました。

  • 主人公が喋らないために、キャラクターのセリフが無駄に多くなっているように感じました。せめて主人公側に気持ちを代弁するキュルル的なキャラがいれば多少は改善されるのですが、基本的には主人公も仲間も喋らないので、アニメやドラマのような自然な会話のキャッチボールには程遠いものが主流を占めていました。Ver.5.5の冒頭のようなイベントではユシュカ、ヴァレリア、アスバルの3人でセリフを分担してるので退屈しませんでしたから、同様に長台詞になる部分はなんらかの分散させる仕組みを入れたほうが良かったように感じました。

  • シナリオが映像化を想定しておらず、カットワークが演出側に任されているように見えるところがあるように感じました。主人公がなにかを注視する、背後で何らかの動きがある、などはシナリオで指定したほうがイメージを伝えやすいと思います。たとえばVERSION 1では、プスゴンとのバトル前の部屋の片付けをするなどシナリオ外でのお楽しみ要素がありましたが、そういったものがあまり見られませんでした。あるいはVERSION 6で、カブが祈願の神殿に乗り込んで大声で挨拶する場面で、その素振りが見えた時点でナンナとドルタムが耳を塞ぐカットがあありましたが、たぶんシナリオでト書きが入っているものだと思います。こういった小技をシナリオで指定して欲しいと思いました。

  • ガヤで十分なセリフにまでテキストがあったように感じました。これは従来のゲーム文脈での映像化なので仕方がないのですが、そこから再構築する必要があったのではないでしょうか。ラストの大団円ではガヤがガヤで処理されているので、このバージョンの制作を通してずいぶん表現は豊かになったように思います。

  • セリフ主導で展開するので、「ク~ラムッパイ! ク~ラムッパイ!」などと子どもがはしゃいだあとに、無言で歩くカット、のような不自然なつながりがよく見られました。ここでは「ク~ラムッパイ! ク~ラムッパイ!」を単独で抜く必要はなく、歩きながら喋らせたら良いように思います。というか、ここもやはりガヤで十分だと思います。こちらもVERSION 6ではナドラガのセリフで、テキスト外で喋りながらフェードアウトするものがあり、改善されていると言えます。

  • 引きで見たいショットで思いっきり引けていませんが、これはまあ、アセットの限界で仕方がないのでしょう。相米慎二やタルコフスキーのような絵がほしいと感じた場面がありましたが、そこまでくると作り手の好みの問題で、外野がとやかく言うものでもありませんね。

  • エフェクトがほしいところにエフェクトがついていないのが残念でしたが、これも予算と時間の都合でしょう。

  • 同様に、ライティングも最低限の調整のみで、映像作品としてキリキリに仕上げる意気込みのようなものは感じませんでした。

  • アップにする必要のないキャラにまでカメラが寄る点は気になりました。これはゲーム全般で言えることですが、映画だとモブが話しかけてくる際にモブのキャラをアップで抜くことは(意図がない限り)ありません。遠目で抜いて、それを咀嚼して言い換えるメインキャラを大きく映すような構成のほうがしっくり来ます。これは演出上の問題だけではなく、どれが重要なキャラやタームであるかを不明瞭にしてしまいます。

総じて前半はレイアウトの微妙さが目立ったのですが、とは言え、たとえばグザビエ・ドランの『たかが世界の終わり』などは意図的に顔のアップばかりで構成されているなど様々な表現手法があると思いますので、これで良いと言えば良いのですが、日頃見ているアニメとの違いを思うと違和がありました。

後半のレイアウト、とくに多数のキャラが入り乱れるドクター・ムーとの会話シーンなどは見事です。カットごとにキャラクターは奥行きを持って配置され、話者以外のキャラの配置バランスも良く、カメラアングルも自然で、地味なシーンながら素晴らしい出来栄えです。

次にストーリーについてです。

ストーリー展開は『魁!!男塾』のよう、と書きましたが、実際には『HUNTER✕HUNTER』、『ONE PIECE』、『BLEACH』、『NARUTO』などを彷彿とさせる多方面展開で、メインキャラ以外でも、イルーシャ、ペペロゴーラ、リンベリィなどは個性的な技を繰り出してきますし、能力者バトルものとしても十分な潜在力を持ち、これらのキャラをサブにしておくのがもったいないくらいだと感じました。

ぶっちゃけて言うと、酒場で雇ったサポートキャラなんかより、こいつらを連れて冒険したほうが楽しそう――ある意味、MMOとRPGはそもそも食合せが悪いのかもしれないと思ったほどです。

キャラクター構成や、ここまでの物語との接続、ストーリー展開と、どれをとっても素晴らしく、野心的で、もったいないのは本当にスタッフがヴォイスに不慣れであっただろう点と、おそらく予算も時間も足りなかっただろうことです。

ここまで完成されたものが作れるのだったら、このまま海外に出せるのではないかとも思うんですが、その場合はVERSION 1~4までが逆に負担になりそうな気もします。

ただ、一方では海外に出すとなると、もう少し先に上げた点などのクオリティを上げたくなるのも事実で、せめてリップシンクくらいは入れたいと感じました。

ドラクエ12に関して、「世界市場を見越して大人向けに改変しようとしていた」という話が聞こえてくるのですが、わたしが思うに、「見た目を変えても意味はない」です。

考えてみてください。『NARUTO』も『ドラゴンボール』も『ONE PIECE』も世界で受けているんですよ。『ドラゴンクエストX』のシナリオは非常に優れているし、日本のアニメの粋を集めたものと言っても過言ではありません。第一回目に書いたように、辻真先の魂を正当に引き継いだのがドラクエ10です。もちろん、残念なところも目立ちますが、そこはなんとかなります。それを「海外で受けない」なんて言い出すようでは、何を作ってもダメです。

そもそもミニオンズもトイ・ストーリーもそれなりの市場を得ていますし、「ドラクエが海外で受けないのは等身のせいだ」というのは安易な諦めです。じぶんたちが作っているものの価値を信じ、どこにクオリティラインを定めるか、という明確な目標を定めるべきです。

ドラクエ12の制作がどうなっているかわかりませんが、海外でAAAタイトルを狙う際に避けて通れないのが、リップシンク問題です。リップシンクはもう海外では必須と言ってよい表現です。

現状のドラクエでは旧来のアニメと同様の、口だけ別で描いてパクパクさせる手法でフェイシャルモーションを実装しています。いまの時代にはそぐいませんので、そこは変えるべきですが、そうなると骨格をどう取るかという問題が立ちはだかります。

ドラクエでわかりやすいキャラが思い浮かばなかったので、ここではONE PIECEのウソップを想像してみてください。ティーチがわかる人はティーチだともっといいです。「あ」「い」「う」「え」「お」を発音した際に、最大でどのような表情変化が起きるか思い描いてください。「喜」「怒」「哀」「楽」でどこまで表情に変化が生じるか、その幅を想像してみてください。これをカバーするモデルを作らないといけなくなりますが、容易なことではありません。

また、モデルを作るだけならなんとかなるかもしれませんが、果たしてこの表情差分のデザインは鳥山明(例に挙げたキャラだと尾田栄一郎ですが)以外にできるのか、という問題があります。

もしわたしがドラクエ12を作るとしたら、キャラクターデザイナーに尾田栄一郎を起用して世代交代をはかると主張しているんですが、理由は単に人気があるからではなく、「喜」「怒」「哀」「楽」の表情設定ができるから、です。

もし芦田豊雄が生きていたら芦田豊雄でも良いです。あるいは馬越嘉彦、吉成曜、すしおあたりのアニメのキャラクターデザイナーでもできると思います。

現在、表情差分は内部スタッフがデザインしているものと思いますが、やはりトップアニメーターに比べると劣るように思えます。そのデザインに予算を割かない、というのがドラクエの大きな欠点でもあると思っています。

鳥山明の『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』がどれほど豊かな表情を見せるか確認してみてください。あの表現があったから鳥山明はトップに立ったんです。尾田栄一郎にしても同様です。それは漫画にとって恐ろしく重要な部分です。そこをおざなりにしたままで「キャラクターデザイン 鳥山明」と言うのは、世間では「羊頭狗肉」と言うんです。

キャラデザに尾田栄一郎起用は、最初は反発もあるでしょうが、軌道に乗れば3作ごとに新しい気鋭の漫画家をデザイナーとして起用できますし、話題にもなります。スライムなどのIPは活かしたまま、自然にアセットを刷新することが出来ます。また、デザイナーを入れ替えることによって古くなった表現を刷新することができ、ユーザーに反発を喰らわない形でコンプライアンス問題をクリアできます。わかりやすく言えば、ぱふぱふネタという呪いからも解放されます。

尾田栄一郎はさておき、問題はもうひとつあります。海外市場を狙い英語版も作りリップシンクもする、となったときに、日本語をメインで作るか、英語をメインで作るか、という選択を余儀なくされる点です。

リップシンクにこだわるのは海外ですから、もし日本語版と英語版とで共通のフェイスモーションを使うのであれば、英語先行で作り、日本語版は英語版の口パクに近い形のセリフに合わせる、というワークフローにする必要があります。

この海外口パクに合わせたテキスト制作術は、海外映画の日本語版制作では普通に使われている技巧で、英語セリフの長さどころか、どこで口を開くかも合わせた形でセリフが選択されています。たとえば英語版で「あー」の口で伸ばす言葉だったら、日本語版でもそれで違和感のない言葉が選ばれています。

サンプルとしては、現在上映中のミニオンズ&モンスターズを見てください。英語版の口の動きに合わせて日本語のセリフが用意されているのがわかると思います。

この種のテキストライティングスキルを持っているのは、ゲーム業界では限られると思いますし、おそらくそんな仕様で書かされることがあるなど考えたこともないひとが大多数でしょう。採用するとなると、ワークフローや工数の見積もりなど、根本的な部分から制作が変わりますので、小さなチームで実績を積ませるのが良いと思います。そういったキャリアパスが考えられているどうか、という点もまた問題です。社内でしっかりと横の連携ができていれば、その人材も手配できると思います。これはチームの問題でなく、会社全体の問題です。

以上のように、英語版のカットシーンを先行で作るとするなら、シナリオは日本語で書いて、それを英語版に翻訳、モーション作成、フェイスモーションに合わせて日本語版を調整、日本語音声収録、というのが推奨されるワークフローになります。

しかし、海外の声優さんは妙にリアル指向で、日本人スタッフが想定したような外連味で演技してもらうのが難しいという問題があります。また、ドラゴンクエストのキャラクターで、英語版のフェイスモーションを作るとなると、おそらくミニオンズやトイ・ストーリーのような口の動かし方になると思いますが、それだと日本人に見限られる可能性がとても高いです。

なので、本気でクオリティを上げるとしたら日本語版先行で雰囲気を作り上げたのちに英語版を作成する、というフローの方が良いように思われます。フェイスモーションは日本語版のまま我慢してもらうか、そこだけ作り直すか、いずれかを選択しなければいけなくなりますが、これも一歩間違うと投資をドブに捨てる結果を招きます。

他にも、英語版を作る、海外ウケする作品を狙うとなると、文化的に違和を覚える点の修正も余儀なくされます。

次に、その観点からいくつか事例を上げます。

ひとつは、日本のコンテンツに自己犠牲ネタが多い点。

たとえばハリウッド3Dアニメでは、『アナと雪の女王』あたりまでは、『ベイマックス』も『シュガー・ラッシュ』も、基本は自己犠牲で泣かせに来たのですが『ズートピア』からこの傾向が変わります。

その後、『モアナと伝説の海』『リメンバー・ミー』などが制作され、そこでは「他者のための自己犠牲」そのものが否定・脱構築され、「他者や家族の期待に応えるために自分を殺すこと(=従来の美徳とされた自己犠牲)」自体が問題視・解消されるようなアプローチが取られています。

基本的に米国のドラマの基礎には「脱構築」があり、「なぜ個人が犠牲にならなければならないのか」が、社会の根幹レベルまで分析され、そこの物語が再構築される傾向にあります。

もうひとつは、物語の質の違い。

日本のオタクコンテンツの多くが、過去の因縁を紐解くドラマを中心としていますが、海外では(≒ハリウッドでは、ですが)いま起きていることの解決が物語の中心になります。ディズニーのアニメでも回想シーンはごく限られ、基本的に時間軸通りに物語が進むことを念頭に置いてください。

日本がなぜこの過去語り偏重のスタイルになったのか――ゲームの謎解き要素とミステリーとの相性が良かったか、TRPGやマダミスなどの影響が強いのか、あるいは漫画の長期連載の間を持たせるために挿入した過去語りが受ける傾向にあったか――は知りませんが、海外で(といっても主に米国でしょうが)受けるスタイルとは思えません。

ただ、韓国や中国の物語は幼少期のトラウマ(韓国)や歴史的な因縁(中国)も引きずりがちなので、そちらには受けるかも、と思ったり、日本の過去語り偏重主義も、ひとつの個性として伸ばすべきかもと思ったり、単純に答えは出ない問題です。

さらに問題なのは、文化というか人間の気質の違いというか、根本的な部分。

たとえばVer5にシュキエルという魔族のキャラが登場し、このキャラクターを村に住まわせるか「処す」かが本人の目の前で話されるのですが、米国のドラマを基準に考えると極めて異常な場面です。

たとえば部下を叱責するような場面でも、海外ドラマでは必ずひとのいない場所を選びますが、日本人は叱責する場面を大衆に見せることを目的とするひとが、ドラマばかりか現実世界にも多数います。

また、日本では「キレ芸」「いじり芸」というのが一般化してますが、海外では基本的に受けません。いまではYouTubeなどで海外のコメディなども見れますので、海外版も作られるゲームのシナリオを書くひとは観てみると良いです。そもそも「ツッコミによって成立するネタ」そのものが少ないことがわかると思います。

日本でも高質なスタンダップコメディアンはたくさんいますので、清水宏や入江雅人などの作劇はぜひ参考にしてほしいです。

話題はズレっぱなしですが、このシュキエルの話は必須クエストですので、わたしもいままで幾度もここを通っていますが、もしかしたら日本人の国民性なのかもしれないと思いながら、毎度微妙な気持ちで眺めています。

必須クエストなのに、物語性が浅くフラグを立てるだけになってる点や、完全にノーヒントなところなど、不満の大きいクエストです。

普通なら、

  1. 新しい村人が来た

  2. なんかちょっとおかしい

  3. 実は魔族らしい、追放だー

  4. シュキエルの記憶のなかに古いエテーネ村が?

  5. じつはこういうことだったのかー!

と進行すべきところを、これらは冒頭ですべて語られたうえで、あとはフラグ立て、という構成になっています。

しかも誰でフラグが立つかはノーヒント。物語になっていれば「ソップが反対していたからソップに聞けばわかるはずだ」などと推理できますが、推理する要素すらないです。サブクエだったらこれでよいのですが、必須クエストですよ?

ちなみにこのイベントのテキストですが、

「あなたは 冥王ネルゲルと同じく

 死者の魂を集める棺で 目覚めた……

「冥王ネルゲルに殺された エテーネの民の

 魂を糧にして 生まれた魔族……ですね?

というとても冗長で理解に苦しむものになっています。普通の出版物などであれば校正なり編集なりで修正指示が入るのではないでしょうか。

これがそのまま商品にまでなってしまっているのは、書き手の能力云々ではなく、テキストのチェックと修正にかける工数が見積もられていない点に問題があるのだと思います。

最初に書いて出したテキストが荒いのはよくあることで、あの糸井重里ですら、校正は何重にも入っているんです。テキストの質を上げる責任は、個人に帰するものではなく、制作フローの問題です。そしておそらくは、予算の問題です。

一般的なRPGの文字数は100万文字前後になりますが、読むだけで30時間かかる量です。本来なら校正だけで数ヶ月かかるはずの量ですが、おそらくほとんどのゲームでそこまでの工数は取られていません。

さらにちなみに、このテキストは一例として、下記のような書き換えが可能です。

「あなたは エテーネの民を糧に生まれた……

 あの 冥王ネルゲルと同じ、魔族……

ここはヴォイスなしのセリフでしたが、ヴォイス付きだった場合は、元のセリフだと違和があり、どこかの段階で修正されたのではないかと思います。

更にちなみますが、ドラゴンクエストをはじめとするゲームのテキストでは、読みやすいように読点が多めに打たれる傾向がありますが、声優さんはそこに読点が打たれた意図を汲み取ろうとするので、想定していない音声があがってくることがあります。

これは声優さんによっても変わるのですが、ドラクエ10で言えばカブ(岩田光央)は割と読点(ドラクエでは分かち書きなのでスペースですが)を意識してブレッシングする傾向があり、ナンナ(ファイルーズあい)は基本一息で喋ります。

どちらが正解でもないのですが、シナリオライターとしては「読みやすいように読点打っただけなので、一息で読んでください」とは言いにくく、収録の際に胸の中で「しまった」とか思ってることがあります。

漢字が連続して、しかも助詞を省いたところなど、高確率で読点を打ってしまうんですが、「読点」ですからね。本来ならブレッシングしない部分に打つものじゃないのだと思います。

昔の『サクラ大戦』や『空想科学世界ガリバーボーイ』などは、声優の発声に合わせてテキストの表示を行うという異様に手間のかかることをやっていますが、おそらくこちらのほうが声優の持ち味は出せるのではないかと思います。

そして話題は大きく巻き戻しますが、これら諸々の考察から、日本のコンテンツが子供っぽくて受けない根本の原因は絵柄ではなく、思想や社会性そのものだと思っています。仲間が主人公たちを守るために犠牲になって死んでいけば、その場面は瞬間的には感動を生みますが、その感動はそれほど強く求められていないのです。ツッコミ主体のギャグも、ひとまえで叱責するような痛々しい場面も、海外では望まれていません。

じゃあドラクエはダメってことか? というとそうではなく、VERSION 1のプスゴンのイベントなどは普通に行けると思いますし、スタッフにはそれをクリアできる十分な才能が備わっていると感じています。

前にも書いたのですが、「多様性」というニーズを満たすには、肌の色を複数用意すればそれで良いかといえばそうではなく、ぶっちゃけあらゆるユーザーが大いに満足のできるヒーローがひとりいれば、肌の色はその一色で良いのです。色の数を増やす、あるいは見た目を大人向けにするのではなく、何が顧客を満足させるのか、中身を検証することが重要です。

まだまだ感想は続きます。

文字数はもういっぱいになってきましたが、次はキャラクターです。

キャラクターは本当に素晴らしいです。

Ver.5ではサポキャラを外して強制的にNPCと組まされる場面がいくつかありますが、これが良し悪しと言うか、ほとんど悪しで、なかでもダビヤガ戦はここで詰むユーザーが多数いるんじゃないかと思えるほどです。

わたしの感触では回復持ちだとそれなりにねばれるんですが、魔法使いや武闘家だと殴るだけで運を天に任せるしかない感じです。

今回、魔法使いでダビヤガに臨みましたが、不思議の魔塔などの育成要素を一切無視してきたため、かなり苦戦しました。最終的には難易度を落として抜けたのですが、それでも辛かったです。

しかし、だからやめてくれ、というのではなく、逆にリンベリィもペペロゴーラもパーティメンバーとして活躍させてほしかったと思っています。このふたりが見せた幻惑術やスプレーでの攻撃はゲームとしても使い所がありますし、連れ歩いてなにが起きるかも楽しみなところです。

いっそ魔界にはサポキャラは連れ込めないというルールにして、固定キャラのゲームにしても良かったんじゃないかとも思います。

そうなるともうMMOとは呼べないんじゃない?

というところまで行きますが、ぶっちゃけいまストーリー攻略でパーティ組んでるプレイヤーなどほとんどいないと思います。パーティを組むのは、エンドコンテンツのみなのに、メインであるはずのストーリー攻略がその制約で縛られるのはもったいないです。

かといってアスタルジアでNPCと組んでも、こちらにはストーリーがないので意味がないです。イルーシャやペペロゴーラと一緒にオジャロスをぶちのめしたいんですよ。

と、そんなところで、好きなキャラと場面のコ~ナ~!

好きなキャラ

ウェブニー

登場場面は恐ろしく限られるクモ嫌いなのにクモの魔獣に変わってしまったバルディスタ兵のプクリポ女性。

なんでこんなどうでも良いキャラに惹かれるのかと思っていたら、第何回目かの総選挙で優勝してましたね。同志がたくさんいて嬉しかったです。

ネシャロット

ファラザードの呪術店の店主。どのへんが良いかセリフを書き出そうとも思ったんですが、知っているひとには書くまでもないし、知らないひとは体験して欲しいのでとりあえず名前を挙げるだけに留めておきます。

ナジーン

ファラザードの魔王ユシュカの片腕ですが、忠実で主人思いで、かつ主人に厳しく、イケボで優しくとても良いキャラ。このキャラの造形とユシュカとの関係というミクロな部分から、魔界での勢力闘争、過去何千年の歴史と、VERSION 5は近景から遠景までことこまかに設計されて、それがしっかりと物語上で機能しているのが感心します。その筆力が羨ましいというか悔しいです。魔法の鏡に裏切られた白雪姫の母親(継母説もあり)のように悔しいです。

好きな場面

【大魔王の舞踏会】

ドラクエ10全体を通しても一番好きかもしれないクエスト。このダンスを考案したひとにラーメン奢りたいです。奢らせてください。

【勇者復活】でのアンルシアのカチコミ

ドラクエ10のカットシーンの良さがぎゅっと詰まった良いカットシーン。

カットシーンばかりでなく、カチコミまでの前フリ、緊張感を高めておきながら現れたのはナラジアだった、といったん緊張を緩めておいて、自然と衣装を変えさせる――というさりげないセットアップが憎い。

オジャロス戦前・後

本文中にも書きましたが、リンベリィとイルーシャのそれぞれの「個性」が炸裂した活躍で、思わず「そのゲームで遊ばせてくれ!」と叫びそうになったイベントです。

カットシーンでこれを見たいんじゃないんだよ!

ゲーム本編でこの、イルーシャが敵を抑え、よろけたところでリンベリィが支えるこのシチュエーションに出会いたいんだよ!

と。

オジャロス戦後のアスバルと母の和解も良いですね。記憶ではこの場面にペペロゴーラも登場していたんですが、見直してみると出ていませんでした。

しかし、オジャロスがここで死ぬのは妥当だとは思うのですが、高木渉がここで退場するのはもったいない。

総じて思ったこと。

このゲームには「コトバとは意志なり」や「思考を止めることは死ぬことと同じ」という、非常にロゴス的信仰の強い思想が現れているんですが、VERSION 5のラストは「祈り」という非ロゴス的な行為でそれらが超克されてしまいます。「祈り」に至った時点で、「思考は止まって死んだのでは?」と思うのですが、どうなんでしょう。

おそらくその「思考」と「祈り」をつなぐのが「協調」なのでしょうけども、その「協調」を最も体現していたのはピュージュやヤファギルじゃなかったかという気もするわけで、ユシュカの言う「協調」が具体的にどう「祈り」に接続したかというのは、少しもやもやしている部分ではあります。

理性、強調、祈り、という推移から、アドルノやホルクハイマーといったフランクフルト学派の思想家たちの変遷を思い出さなくもないです。その推移にまつわるエピソードやロジックが見えていれば、このお話はもっと良くなったと思います。

あ、それと日本のファンタジーゲームにおける「光と闇」の原点はアーシュラ・K・ル=グウィンにあると思うんですけど、おそらくこのVERSION 5に出てくる「闇は光がなくても存在できる」というのもル=グウィンを意識していると思います。しかしそうやって、ル=グウィンの思想ベースで考えると、「闇は光がなくても存在できる」の意味がイマイチ掴めず、いまだに咀嚼しきれていません。ものすごく失礼な言い方をしてしまうと、言葉から先にできた概念で、中身はないのではないかと感じています。

ただまあ、エンターテインメントですので、そこを深く突っ込んでもしょうがないとは思いますが。

それから妹(姉兄弟)のことですけども、相変わらずやることなすことすべて詰めが甘いなあと感じました。こんな妹でごめんなさい、と。ハツラツ豆をダメにした冒頭の妹から基本的に進歩していないのが微笑ましく思える一方で、ユシュカやヴァレリアに対して申し訳ない気持ちがずっと抜けませんでした。ヴァレリア様から真っ二つにされたらどうしようとハラハラドキドキでした。そこもうちょっと、ベルトロあたりに突っ込ませたら良かったかもしれないと思った次第です。

と、いうのがVERSION 5の感想で、いまプレイはVERSION 6に進んでるんですが、カットシーンはかなり進化してますね。パルミオ(森久保祥太郎)のセリフがめっちゃいい。最高にいい。

ということで、VERSION 6の感想ももう書きたくてしょうがないんですが、たぶん1週間後くらいになります。内容は、「マップの複雑さなんとかしろ」がメインになるかもしれません。

そしてまたこの投稿も、またこんなもの書いてしまったと思い悩んで消しちゃうかもしれませんが、そのときはそのときで。

こんなわたしでごめんなさい。

@sonovels
さよならおやすみノベルズという個人小説レーベルで地味に書いています。サイトで読めばタダ。Kindleで400円。 sayonaraoyasumi.github.io/storage