2024.5.11

以前、事務所には後天的な血の繋がりがあり、わたしはその鎖の先端に繋がることはできないと書いた。けれども今ではそれは違うような気がしていて、わたしはこの組織で……正確には所長代理との間で……実際の血縁関係の中では実現できなかった家族関係を追体験している。

わたしの家庭が外からどのように見られているのかは分からない。わたしが生まれた時には既に母親は精神障害を抱えていて、幼いわたしは「大人の女性は皆意味不明な言葉の羅列を口走りながら部屋と廊下、家と外といったあらゆる境界線を行ったり来たりするものなのだ」と思っていた。反出生主義を公言する母が家庭を持ったのはおそらく自分がこの社会の中で生き延びるためで、女性が一人で(正確に言えば配偶者を持たずに)生きていくことは容易ではない。そういう家庭で生まれ育ったから、わたしは自分の家族を持ちたいとは思わなかったし、高校生の頃から漠然と、一人で生きていくためにはどうしたら良いんだろう、と思いながら過ごしていた。でも、所長代理とよく話すようになって、家族の話も聞くようになってから、家庭を持つのも良いかもな、と思うようになった。わたしにはなかった美しい家庭の香りに憧れたのかもしれない。……けれども、これはわたしがかつて経験できなかったエディプス的感情の遅れた発現であり、本当の意味での「家族が欲しい」ではないんだな、と思っている。ドゥルーズ=ガタリによれば、エディプス的欲望は原初的なものではなく、社会的に生じるものだという。ということは、わたしは幼い頃得られなかったものを今与えてもらっている状況なんだろう。これをどう捉えるかということ。そして、どう生きていくかということ。

@soprano
精神分析/現象学/臨床哲学/ASD/男性学/境界/皮膚