00年代、邦楽を聴く。日本語ラップ、Jpop、ロック、テクノ
10年代、ちゃんと洋楽を聴くようになる。ロック、テクノ、The Beatles
20年代、コロナでライブがなくなったのでこれまで聴いてこなかったジャンルを浅く掘る。ジャズ、ソウル、ファンク、クラシック、現代音楽、アンビエント
振り返れば10年を節目に聴く音楽に変化が生じてきた。のに何故か一発目でミスチルなのか。笑ってしまう。令和とは
疫病が世界中に蔓延する
ウクライナ侵攻を発端として世界中に戦禍が広がる
ミスチルのアルバムがいい
というつくづく妙な世界線に入り込んでしまったものと思う
ミスチルは以下のアルバムが好き
深海
Q
ワンダとHOMEも好き
前評判ではQみたいなアルバムと聴いていたけどその泥臭さ、ロックさ、温かさマジでQだった。令和の最新版Q! カッコよくないはずがない!
一曲目の「I MISS YOU」のシャープなカッコよさからいきなりのけぞる。これがあのミスチルなのか? 最早レコードの溝など関係ないサブスクの時代にあっても、一曲目に一番カッコいい曲を配置するのは全く持って理に適っている。この先に期待膨らむ。まあ、出オチなアルバムもそこら中にあるけれど
続く2曲も歌もアレンジも明らかに抑え目で好感度が増す。ALIVEが更にジジイになったような「LOST」も良い。「アート=神の見えざる手」もトラックがカッコいいが内容が狙いすぎててかなりしんどい。友コーぐらいにしてくれ。R&Bな「雨の日のパレード」も良い。「Party is over」→多分そうだ、ベタベタな韻踏みはマジで桜井和寿、90年代ライクの素敵な弾き語り。ガナり声がやはり同年代を連想させてイカす「We have no time」、、だが歌詞もいつもより等身大で書きずきてるのか『ジジイもうダメだ』か『ジジイがんばる!』の大体2パターンだな、、と油断していると最後の3曲のミスチル往年のラブソングが刺さりまくって死ぬ。死んだ
Qを通っていない、Qが刺さらないミスチルファンはどう思うかは分からないけど、時には洋楽っぽさすら感じさせる、ミスチルらしからぬソリッドな音で勝負している素晴らしいアルバムだと思いました◎
音楽と、その関係性のアイデンティティ
ミスチルらしからぬ、と言ったけどミスチルらしさってなんだ? 私は最近のミスチルと言ったらジャジャーン! くどいアレンジ! くどい歌! くどい歌詞! くどい小林武史! くどい顔! と良くも悪くもそのくどさがアイデンティティだと思っていた
しかしこのmiss youではそのくどさが徹底的なまでに取り払われている。音も歌もカッコストレートにカッコいいけど、それってソシャゲで言うと専用スキルを外して超強い汎用スキルで固めたような物では?(ソシャゲで言うな) 敢えてミスチルで聴く意味は? 技術も若さもある普通の海外バンドで良いのでは?
と音楽に対する超厄介オタクなので聴きながらそんなことを考えていたが、その内に聴き手にも聴き手なりのアイデンティティがあるのでは? と感じ出した。巷に聞く通り、良い音楽、そして良い文化は作り手を離れてそれを受け取った人々の中で息づき、広がり、違う人達、違う歴史の中でまた別のアイデンティティを作り出していく
それならば音楽を聴く人、リスナーと音楽の関係性にもまた、一人一人それぞれのアイデンティティがあっても良いんじゃないかと思った。私がミスチルを聴くと言う行為は、仰々しいスタジアムのステージから一歩降り立って、もう少し人間らしく、泥臭い、或いはシンプルで温かい歌とメロディを味わうと言う点に独自性を求めるのだろう
こうして好きな音楽一つ一つとその関係性にアイデンティティを求め始めると、新曲一つライブ一つにつき毎回毎回解釈違いを起こし始める。それもまたしんどいのだ
今デヴィッド・バーンの音楽のはたらきを読んでるのだが、こう言う面倒な話がずっと続いて超面白い。読了したらここに書く