ライブが苦手だって言ってたのがよく分かったわ
Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018の終演後に後方で女が言いやがったこの一言。この一言、このたった一言だけが、今に至るまで私と音楽、ライブとの関係を考えさせる呪いの言葉となる
なぜならその見知らぬ女の口から発せられたそれは、私のその瞬間のさすがに形にできぬ思いが具現化されたものだったからだ
宇多田ヒカルのライブについて
ライブ映像何本か観てLaughter~で生をはじめて観た、私が感じたライブの獲れ高
宇多田ヒカルが宇多田ヒカルの曲を歌っている
終わり。もちろん演奏も生でプロ級だし映像レベルも超高いんだけど、なんだろう、本人が超盛り上げ下手なんだろうか。すごく凡のレベルに落ち着いていしまう。リスナーは前述した1点にお金をかけてアガれるかにかかってる。それだけで満足したらいいが、すごいの知ってしまうと、ね…
録音とショーについて
デヴィッドバーンの音楽のはたらきで提唱されていた、ミュージシャンが取り組まなければならない2つの相反する仕事について。スタジオで何度もリテイクを繰り返して完璧に近い音楽を作り出す録音作業と、観客が見守る中やり直しの効かない即興性を求められるショー(ライブ)。しかもその癖たびたび、どういった訳かショーは録音の完全再現を求められる場合が多い。そんな完璧人間はそうそういなのだから、アーティストはどちらかに特化すればよい、と私は思う。そうすると、宇多田は前者に特化しショーは苦手な分類に入ると思う(国内R&Bアーティストはその傾向が多いと思う
音に似合う環境について
同じく音楽のはたらきの冒頭では、音楽には奏でられる環境(空間・場所の広さ・音の共振など…詳しくは本を読んで)があらかじめ設計されていると言われ、例えば讃美歌には天井の高い教会が、初期トーキング・ヘッズには老舗の狭いライブハウスが、ヒップホップは車内が…一番良く聴こえるということ。それを思うと、宇多田ヒカルの音楽はそもそもスタジアムクラスの箱で聴くのが適しているのか、疑問に思わないだろうか。他にも昨年、CoachellaでFrank Oceanのドタキャンが話題になっていたが、彼の素行はさておき、その生の歌声を聴く機会そのものが滅多にないとはいえ、そもそも彼の音楽を太陽が照り付ける野外フェスで聴きたいだろうか
一番聴きたい宇多田ヒカル
Hikaru Utada Live Sessions from Air Studiosの素晴らしさを覚えているだろうか。同じライブでもスタジオライブだが、そもそも宇多田ヒカルは宅録的で内省的で…もっと自分自身と向き合う、クローズドな環境で聴かれることを想定されているんじゃないだろうか。ドデカいスタジアムでHEART STATIONとか誰も知らないとか好きな曲を演られても映えないじゃないか。もっとクローズドな箱で、もっと彼女のプライベートな音楽を聴きたいのよ。Zeppとかで…はい、無理ですね!
SCIENCE FICTION TOURはどうなるだろう
値段は幾らでも詰むんだけど、夫婦2人で夜に外出するのに超手間な調整してまでもそのクオリティはあまり期待できないので、今回のツアーは見送るか…オザケンは申し込んだ(あまり知られてないけど、今のオザケンのツアーのライブのレベルはバチクソ高い。下手するとCornelius以上に凝っている
Floating Pointsが同伴してアリーナをクラブにしてくれるなら話は変わるが、ツアー全日程はあり得ないだろうしなーマルセイユで爆踊りはしたいのだけど! ただそこに宇多田本人は要るのか問題!
呪いの言葉に祝福を
こうしてライブの直後、私が喉まで出かかっていても実現されなかった言葉は呪いとして、知らん第三者によって世にリリースされてしまったのだった。て言うかライブ直後にそんな感想ツレに吐くやつマジの最悪じゃないか??? 絶対そんなやつと行きたくないわ。
でもそんな彼女も、友人か、恋人か、伴侶かと今でも楽しく(?)ライブに足を運んでいるのだろうか。どんな形でも、ライブを楽しむリスナーに幸多かれ